MIT(マサチューセッツ工科大学)でエンキャンプメンを設置する学生たち=2024年5月3日、杉田さら撮影
米国各地の大学では、パレスチナでの虐殺行為に対する学生たちの抗議運動が巻き起こった。目的は、米国の大学にイスラエルの企業や政府への投資から手を引かせることだ。大学の敷地内にテントを張る「エンキャンプメント」で、抵抗していた。
私は実際にいくつかの大学に足を運んだ。
抗議に参加していた学生たちは、日々の授業やテストの合間に声を上げる。そんな「普通の」学生たちを、警察は次々と逮捕。学生たちは停学になったり、寮を追い出されたりした。
「学生革命」
だがこれだけ抗議活動が広がっても、イスラエルから資金を引き上げる大学は少ない。
抗議には意味がないのだろうか。私はそんな疑問も抱き始めていた。
そこで、コロンビア大学の友人に現在の状況を聞いてみることにした。コロンビア大学は、一連の抗議運動の発端となった大学だ。
「もう警察がいるのも、プロテストが続いているのも、メディア関係者が大量に大学内にいるのも日常になっちゃったかな」と彼女は言う。
しかし希望もある。
「自分の大学で起こってたことが、こんなにも米国中にも他の国にも広まっている事には正直感激してるよ」
「ニュースばかり見てると心が重いし絶望的な気分になるけど、プロテストに参加している時だけは希望を感じられるんだよね」
私はSNSで、今もガザに残り続けるパレスチナ人ジャーナリストのビサン・オウダさんを去年からフォローしている。彼女が「学生革命」という題で動画を上げているのを見た。
「私は25歳で、人生の全てをガザで過ごしてきたけど、今ほど希望を感じたことはありません」とその動画は始まっていた。
パレスチナに暮らす人たちの一部にも、確実に声は届いているのだ。
「あなたは今、とても幸せなのだと思います」
先日、5月18日付朝日新聞の悩み相談コーナー「悩みのるつぼ」が、話題になった。記事の見出しは「世界の理不尽に我慢できない」。
相談者が悩みをこう綴る。
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています。ロシアの軍事侵攻、イスラエルのガザへの攻撃――。(中略)こうした報道に接するたび、激しい憎悪を覚えるとともに、その後にもたらされる世界の大混乱を思うと、絶望的な気分になり、夜も眠れません。憂えたところで何をするという手立てもなく、だったら新聞報道など見なければよいのですが、社会問題から目を背けるようで気が引けます。」
とても深く共感した。
ところが、この回の相談相手であった野沢直子氏の回答を見て愕然とした。
「このお悩みを読んで、まず最初に思ったことは、そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいいのにな、ということです。」
「おそらく、あなたは今、とても幸せなのだと思います。人間とはないものねだりな生き物で、あまり幸せだと『心配の種』が欲しくなってくるのだと思います。」
「世の中が酷くなるかどうかは誰にもわかりません。そんなことを嘆く前に、今自分が幸せなことに感謝して自分の周りにいる人たちを大切にしましょう。」
野沢氏は、遠くの人のことは自分が気にする話ではないという。むしろ、世の中の理不尽に目を向けられるのは、幸せなものの特権だとさえ書いている。
「不快感」から逃げない
だが、こうした言葉に私は聞き覚えがあった。中高生の頃、私は所属していた生徒会として国際問題に取り組むNGOへの募金活動を企画した。ある教師からは「偉そうに」「もうちょっと自分の周りの現実を見たら」と言われた。募金活動を始めると、今度は生徒たちから「偽善だ」と声をかけられた。
そうした言葉に反発していたのに、いつの間にか、私自身も反対側に回ってしまっていたのではないか。
米国の学生たちの抗議に対する、自分の冷めた感情を思い出す。
「まずは自分の周りを見よう」というのは、自分が「不快」に感じることから逃げるための言い訳だった。一旦そう言ってしまえば、外の残虐な現実を見なくても済む。朝日新聞の記事で野沢氏が質問者に対して言った通り、「とても幸せ」な状態から一歩も外に出る必要がないのだ。
これからの私は、一度知ったことを無視したくはない。見ないふりをする人も振り向くような報道がしたい。
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