自民党と企業の癒着を探るにあたり、経団連の資料を読み込んでいて「傲慢だな」と思った言葉があった。
経団連首脳たちの座談会で、経団連評議員会副議長の櫻井孝頴氏(第一生命保険会長)が語った。経団連の機関紙『経済Trend』2004年1月号に載っている。2003年11月に行われた衆院選挙を踏まえた発言だ。この選挙では、政権を担った場合の政策を、各党が「マニフェスト」として掲げた。
「今度の選挙で国民は随分勉強したと思います。これまでの誰それに投票するということから各党の政策に投票するということで、国民自身が責任を持つことになりました。民主主義のもとでは、統治する能力とともに、統治される能力も大事です。日本人の被統治能力は低いと言われていましたが、まだ問題はあるけれども、かなり上がってきたと思います」
「統治」という言葉に私は引っ掛かった。辞書の「大辞泉」(小学館)によると、「まとめおさめること。特に、主権者がその国土・人民を支配し、おさめること」と書いてある。
日本の憲法では、主権は国民にあると定めている。櫻井氏はそのことも忘れ、国を統治しているのは政治家であり、さらに政治家を監督しているのは財界だという意識があったのではないか。上述の発言に続き、経団連が政党への政策評価を始めたことについて以下のように語っている。「サポート」とは、経団連傘下の企業から自民党への巨額の献金を指す。
「経済団体が初めて一種のマニフェストを出して、そのとおりやってくれるかどうかをきちっと見て、それを評価しますと言っているわけですから、われわれも言い放し聞き放しというわけにはいかない。プラン、ドゥ、シー、サポートという繰り返しをやる」
強者の傲りに対抗するのは、ジャーナリズムを担う者たちの仕事だ。
だが、経団連は安心していたようだ。座談会では、こんな発言も出た。
宮原賢次・経団連副会長、政治・企業委員長(住友商事会長)
「われわれは、『政策評価に基づく企業の政治寄付の意義』という文書を出しています。メディアの人たちとの懇談会などで、この意義について意見を求めますと、意義そのものについて反対する人はいません。現場の記者の方々は、企業が透明性の高いお金を寄付して政治を活性化することの意義を認めて理解されているように思います」
奥田碩・経団連会長(トヨタ自動車会長)
「マスコミの第一線でやっている人たちはわかっていますが、それ以外の人たちは昔の平岩時代、あるいはそれ以前の感覚でしか捉えていません」
「平岩時代」とは、東京電力の会長だった平岩外四氏が、経団連の会長だった時代を指す。1993年に自民党の金丸信・元副総裁の脱税事件や、ゼネコン汚職が起きた。平岩会長は、経団連が会員企業の献金額を割り振る「斡旋」をやめた上で、献金自体の廃止を検討する方針を示した。
座談会には慶應大学政策・メディア研究科教授の曽根泰教氏も参加していて、平岩時代からのマスコミの態度について説明した。
「論説の人で厳しすぎたと反省している人もかなりいます。寄付を締めていけばいいという発想でいたけれども、蛇口を締めたりモグラたたきをすることで事態は解決しない。透明性ということで社説を組み立て直そうという論説や編集委員クラスが最近多くなってきました。日本経団連はもっと主張したほうがいいと思います。そして、情報交流があるともう一歩進みます」
この座談会から20年が経った。自民党はいまだに企業献金にしがみついて信用が失墜し、経団連傘下の大企業は国際競争力が凋落。「統治する側」に物分かりがいいと思われていたマスコミは、存亡の淵にある。
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