編集長コラム

システムを変えない限り(130)

2024年09月28日17時51分 渡辺周

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袴田巌さんの無罪判決を受け、毎日新聞と東京新聞が9月27日の朝刊で「おわび」を出した。東京新聞に署名はないが、毎日新聞は坂口佳代・編集局長の名前で出している。一部、引用する。

【毎日新聞】

「袴田さんが逮捕された際に犯人視するような報道を続けた結果、袴田さんとご家族、関係者の名誉を傷つけ、人権を侵害しました」

「事件報道の問題に共通するのは、捜査当局の見方を確定した事実であるかのように報道してしまう恐れがあることです」

「記者教育を徹底し、読者の信頼に応える報道をしていきます」

【東京新聞】

「事件当時、東京新聞は袴田巌さんを犯人と断定する報道をしました。袴田さんと家族の人権、名誉を傷つけたことを深くおわびいたします」

「本紙は現在、容疑者を犯人と決めつけない『事件報道ガイドライン』を策定しています。今後も予断や偏見を排した冷静な報道を続けてまいります」

この事件を報じてきた多くのメディアが、検証・おわびをしていない。毎日新聞と東京新聞の態度は真摯だ。

記者クラブとの絶縁宣言を

しかし、検証とおわびだけで同じ過ちを繰り返さないと言えるだろうか。

私は無理だと思う。捜査当局とメディアが一体となるシステムが、変わっていないからだ。

システムを機能させるための重要な道具の一つが、記者クラブだ。警察や検察を独占的に取材する権利を、加盟社の新聞社やテレビ局の記者は与えられる。警察本部の庁舎内など、取材拠点まで捜査当局に用意してもらえる。

記者クラブの記者は、捜査当局の情報をいち早く伝えるため、媚びた取材をする。当局と一体となり、批判精神など入る余地がなくなる。

毎日新聞は検証の中で、袴田さんが逮捕された後に「自白」へと転じたことを報じた記事を挙げた。1966年9月7日付の朝刊だ。

「全力捜査がついに犯罪史上まれな残忍な袴田をくだしたわけで、慎重なねばり捜査の勝利だった」

これは、記者が警察の中に溶けていき、高揚してしまっている例ではないか。

袴田さんのケースだけではない。数々の冤罪事件はこうした捜査当局とメディアの癒着が生んできた。その時々でメディアが「おわび」を表明することはあるが、失敗を繰り返している。

記者クラブと絶縁でもしない限り、本当の再発防止策にはならない。

だが、その気はなさそうだ。

象徴的なのは、今年の新聞協会賞だ。朝日新聞の「自民党派閥の裏金問題をめぐる一連のスクープと関連報道」が受賞した。東京地検特捜部の捜査方針を報じたことが評価された。

初報はしんぶん赤旗。朝日より1年以上前に報じた。それを端緒に神戸学院大学の上脇博之教授が調査を進め、検察に告発。東京地検特捜部が捜査を始めたという流れだ。

つまり、新聞協会は自前で取材することよりも、記者クラブのメリットを生かして検察当局と一体となり、その意向を報じることを奨励していることになる。

この状況では、記者に何を教育しても効果がない。

戦時中に「大本営発表」を垂れ流した新聞社は、「反省」することで戦後再スタートした。だが権力と癒着するという背信行為は、未だになくなっていない。

権力と闘う本能のようなものが備わっていて、長いものには巻かれない。そんな記者はわずかだ。大抵は環境に流される。

システムを変える必要がある。

袴田さんに「おわび」した9月27日付朝刊の毎日新聞(左)と東京新聞

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