編集長コラム

闘争心より強い本能(132)

2024年10月12日11時36分 渡辺周

FacebookTwitterEmailHatenaLine

中華料理店で、店員が何度も「そろそろ閉店です」と声をかけにくる。その度に「もうすぐ帰りますから」と答える。取材が白熱していた。

相手は外務省の官僚だった金子熊夫さん。日本の核政策の深層を知る人物だ。外務省で初代の原子力課長も務めた。Tansaのシリーズ『消えた核科学者』を、岩波書店で書籍化するにあたって、時代背景を知るために取材した。昨年2月のことだ。

外務省の外交政策企画委員会は1969年、「わが国の外交政策大綱」という文書を作成した。その中で「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する」と記した。文書は「無期限極秘」。

当時は佐藤栄作首相。「保有しない、製造しない、持ち込ませない」の非核三原則を提唱していた。その政権下で、外務省が「核兵器を作れる力は維持する」という極秘レポートを作っていた。どういうことか。

金子さんは「表の政治だけをみていてはだめだ」と言って、極秘レポートが作られたきっかけとして、1964年の出来事を挙げた。中国初の核実験だ。

「広島と長崎のことがあったから核廃絶を言っているけども、将来中国やソ連がどうなるかによって、核を持たなければ日本民族は生きていけなくなる。核を持たざるを得なくなるかもしれないじゃないかと。その時のためには手を縛っちゃうのはよくない。次世代のオプションを奪ってしまうのは間違っていると。その当時はそれが主流だったと思うんですよ」

金子さんが中華料理店のテーブルを叩きながら怒る場面があった。「NPT体制」について話が及んだ時だ。第二次世界大戦の戦勝5大国だけに核兵器の保有を認めている。

「世界は5大親分とその他で峻別されてるんですよ! 」

そして、力には力で対抗するしかないと言う。

「人間というのは、幼稚園でも小学生でもそうですけど、腕力の強いやつ勝つしね。相手が石を持てば鉄の棒を持って殴るし。相手が刀を持っていたらピストルを持ち出すということでね。常に相手より強い兵器を持たないと安心しない」

「外務省も、オフレコで喋らせれば今も半分くらいは核武装論者ではないか」

ならば核兵器が世界からなくなる時など来ないのではないのか? 金子さんはそんなことはないと言う。

「今は核兵器が最強兵器だからみんなこだわっているわけだけども。核兵器以上のものができれば、核兵器は次第に廃れる。その時世界は平和かというとそうではない。人間の本能は闘争心にある」

脈々と受け継がれる為政者たちの「核依存」

核兵器への依存心が、日本の為政者の底流にあるのは間違いない。

2002年、安倍晋三・官房副長官は早稲田大学で講演し「憲法上は原子爆弾だって問題ない」と発言した。これは1957年、祖父にあたる岸信介首相が「自衛のための必要最小限のものならば核兵器を保有しても憲法9条に反しない」と答弁したことを踏襲している。

2016年には、横畠裕介・内閣法制局長官が「保有」だけではなく、「使用」しても憲法に反しないと国会で答弁した。時は安倍政権、孫の代で岸答弁からさらに一歩踏み込んだことになる。

「我が国を防衛するための必要最小限度のものにもちろん限られるということでございますが、憲法上全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えておりません」

こんな調子だから、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約に、日本はオブザーバー参加すらしていない。この条約には70の国・地域が批准している。

脈々と日本の為政者に受け継がれる「核兵器依存」という壁を、核廃絶を願う人たちはどうやって突破したらいいのだろうか。

市井の人たちで、原爆の惨禍を広く永く共有していくしかないと思う。それが結局は一番効果的だ。

私は幼稚園の時から小学校を卒業するまでの7年間、広島で暮らした。身近にいる被爆者たちの話を聞き、毎年のように原爆資料館に出かけた。8月6日の8時15分には、まちに鳴るサイレンを合図に手を合わせた。

金子さんが言うように、人間は闘争本能を持っているだろう。私にもある。

だが少年時代に被爆者たちに接し「こんな思いはもう誰にもさせたくない」という気持ちを抱いたのも本能だし、こちらの方が強い。あの時の気持ちは今も薄らいでいない。

編集長コラム一覧へ