編集長コラム

ひこばえ(134)

2024年11月02日16時52分 渡辺周

FacebookTwitterEmailHatenaLine

ひこばえが好きだ。木の幹からピョンと飛び出す、小さな枝葉のことだ。「ひこばえ」という言葉の響きもいい。ひこばえを見かけると「おっ、がんばれよ」と思う。

だが百科事典の「ニッポニカ」(小学館)によると、ひこばえは歓迎されないらしい。

「成長力が旺盛なため幹の肥大が悪くなるので、ひこばえが伸び出したらすぐに切除することが望ましい」

昨日、シリーズ『保身の代償』で、「報道の自由裁判」について報じた。共同通信を元社員の石川陽一さんが訴えている。

共同通信「自由に取材をさせるのは組織管理上のリスク」/「報道の自由裁判」第8回口頭弁論

共同通信は、「幹の肥大」のため加盟社の長崎新聞を擁護し、石川さんというひこばえを切除した。切除がいかに正しいか。社内から石川さんの悪口とも取れる情報をかき集め、裁判で晒した。なりふりかまわない共同通信に、「ほー、そこまでやるか」と私はある意味感心した。

だが、共同通信が出してきた石川さんに関する情報の中には、逆に「頼もしいな」と思えるものがいくつかあった。

例えば、先輩記者が「千葉で何をやりたいのか」と尋ねたところ、石川さんは「行政も県警もやりたくない。被爆者、原爆の取材がしたい。千葉は面白くない。長崎に戻りたい」と答えた。このことをもって、共同通信は「千葉支局で役割を果たす意識に欠けていた」と捉える。

だが私は「やりたいことがはっきりしているのはいいこと。前任地の長崎で心を打つ人や現場にめぐり会えたのだな」と思う。

共同通信は、石川さんが県警担当の時、庁内回りや夜回り、朝回りをほとんどしなかったとも批判する。庁内回りとは、警察庁舎内の各部署を取材すること。夜回り、朝回りとは、警察幹部や捜査員の自宅を、夜の帰宅後や朝の出勤時に訪れて取材することだ。

しかしこれは、記者クラブに身を置いて「当局に食い込む」ことに石川さんは興味がなかったということだ。当局の情報をいち早く報じるマスコミの競争を担うことに、意義を見出していないのだ。同感だ。

石川さんは自分なりのテーマを追い、『いじめの聖域』(文藝春秋)という成果物を出した。この本はジャーナリズム関連の賞を複数受賞した。著書で石川さんが長崎新聞を批判したことに、共同通信が過剰反応していなければどうなっていたか。著者の所属先として、共同通信の評価も上がっていたはずだ。

「糸の切れた凧」の何が悪い?

その他にも共同通信は、石川さんの「欠点」をいろいろとあげつらっている。

私も朝日新聞に16年間いて、同じようなことを言われた。

「どこにいるか分からない、糸の切れた凧」、「記者である前に社会人として失格」、「悪の枢軸」・・・。

いろいろなことがあった。

全国の新聞社は「教育に新聞を」というキャッチフレーズで、小中学校に記者を派遣する事業「NIE」を実施している。朝日新聞の地方支局でも交代で記者が派遣されていた。だが私の順番が来た時、支局長は「お前が行くと朝日の名誉が傷つく」。私の順番を飛ばして、品行方正な後輩を派遣した。

NIEの件くらいなら笑い話だ。だが、私の取材について「勝手な行動だ」と社内の一部が激怒したことがあった。取材の中止を求める上申書を編集局長に提出し、それを受けた編集局長が私のところにやってきた。取材は潰された。

だが同時に、理解し応援してくれる上司や先輩もいた。

以前も紹介したエピソードだが再掲する。

朝日新聞に入社して、島根県の松江支局に赴任した私は、島根での在日コリアンを取材したいと思った。大阪や東京といった都会地と違い、島根は在日が少ない。同胞が少ない中、保守的な土地でどうやって生きてきたのかを知りたかった。警察担当だったので担当外の仕事だ。それでも取材したい。アポを取って取材に出かけた。

取材中、支局からのポケベルがなった。見ると「9」のメッセージ。支局に連絡しろという合図だ。だが大事な取材中なので無視した。するとまた「9」と打ってくる。それでも無視していたら「9999」と打ってきた。4つの9で「至急?」。こりゃ怒ってるな、と思いつつ取材を続けた。

取材が終わり支局に連絡すると、「お前はサツ担やろ!火事が起きたから連絡したんや。今すぐに取材しろ!」と頭からかじられそうな勢いで怒られた。怒鳴り声の主は、若手の教育係であるキャップだ。

その後、300字ほどの火事の原稿を、何度も書き直しをさせられた末に提出した。私は完全にふて腐れた。とっとと帰ろうと支局を出ようとしたら、キャップが私を呼び止めた。

「今日の取材はどうだったんだ」

取材した相手がいかに魅力的な人物だったかを、私は夢中になって話した。キャップは記事にする上で必要な補足取材についてアドバイスしてくれた。後日、特集記事として掲載した。

後年、その時のキャップと東京で飲んだことがあった。彼によると、あの時にキャップとデスクは「勝手に取材に行くとはオモロイ奴だ、育てよう」と意見が一致したらしい。

この他にも、上司や先輩に「それでいいんだ」と背中を押された事例はたくさんある。

社との取材方針が合わず、ハレーションを起こした末に転勤になったこともあった。その際の送別の色紙の中で、上司がしたためてくれた言葉には今も感謝している。

「とんがっていたら、とんがったまま。おおらかなら、おおらかなままでいてください。机の周りがきたないのは直した方がいいよ」

本田宗一郎の言葉

共同通信に限らず、ひこばえを切除してしまう組織が増えているように思う。余裕がないのだろう。

「昔の自分を見るようだ」と見守ってあげてほしい。ひこばえが育たない社会に、活力はみなぎらない。

敬愛するホンダの創業者・本田宗一郎さんは生前、NHKの番組でこんなことを言っている。

「若いということは素晴らしいものだと思う。失敗も多いですがね、失敗のないところに成功はないですから」

「とにかく好きで好きでたまらないという若い人はいくらでもいますよ。そういう人たちが出れば、後は引っ張られていくんですね。なんてったって若い人が元気いっぱいでやらないと」

若い人の活躍は、本田さん自身の喜びであり希望だったようだ。引退の日の言葉。

「僕がねえ、このとしになって今の若い人たちがね、やってることが分かるようだったら、うちの若い連中はボンクラですよ。僕の分からんことをやってるから、私は嬉しく希望に燃えているわけです」

編集長コラム一覧へ