編集長コラム

「世の中、捨てたもんじゃないわね」(142)

2024年12月28日17時24分 渡辺周

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LGBTQという言葉がまだ定着していない頃、世田谷区議の上川あやさんを取材した。

2010年秋に朝日新聞で、「男と女の間には」を連載した。この連載は、性的マイノリティーが社会の壁を突破していく生き様を描いた物語。上川さんは男性として生まれたが、女性として生きている。連載初回の主人公で、2003年に世田谷区議に初当選するまでを綴った。

上川さんは、幼い頃から心と体の性の不一致に悩んだ。中学生になる頃には、それが耐え難いものになっていく。

中学生になると、変わる体と声が耐え難かった。鏡に映る裸は自分とは思えない。のど仏が嫌で、人に見られたくないと終始うつむき加減になった。

 

授業も上の空、でも国語の教科書にあった「山月記」はむさぼり読んだ。心は人間のまま虎になってしまった詩人の苦悩に、自分のそれが重なった。

大人になり同じ悩みを持つ仲間たちと出会う。性的マイノリティーはもちろん、「すべての少数派の声を届けたい」という思いが募り、上川さんは世田谷区議選への立候補に踏みきった。

壁は厚かった。選挙中、上川さんが信念を説いて回っても偏見に満ちた罵詈雑言が浴びせられる。涙が出た。

それでもへこたれないのが、上川さんだ。勝利を引き寄せていく。

だが、街の空気は変わる。

 

演説をしていると、目の前のバス停で本に視線を落としている若い女性がいた。女性はバスに乗り込むと、窓越しに上川をまっすぐ見つめてきた。その唇が、ゆっくりと動く。

 

「が・ん・ば・れ」

 

5024票、72人中6位で当選した。翌朝、年配の見知らぬ女性が上川に声をかけてきた。

 

「世の中、捨てたもんじゃないわね」

連載初回となる上川さんのストーリーの見出しは、「見えない壁 突き破った」にした。

法廷の空気を変えたもの

「世の中、捨てたもんじゃないわね」という言葉を今、ひしひしと噛みしめている。

12月25日、「国葬文書隠蔽裁判」の第1回口頭弁論で意見陳述をした。

9月30日にTansaが国を提訴し、記者会見をした時は記者クラブ加盟の大手マスメディアは全く報じなかった。記者会見は司法記者クラブと、Tansaが自前で借りた会場とで2回も開いたが、参加者は少なかった。情報公開制度は、報道機関にとって必要不可欠だ。それが脅かされているというのに、なんという熱量のなさ。予想はしていたものの、「やっぱりダメか」とがっかりした。

ところが意見陳述の傍聴には、市民が詰めかけた。20人ほどは法廷に入りきらなかった。若者から年配者まで、年齢層も多様だった。

満杯の法廷で、裁判官たちの入廷を待つ間、静寂に緊張感が漂う。やがて開廷し、私の意見陳述にという運びに。私は原告席にいたままで陳述をするのか、それとも法廷中央の証言台で陳述するのかを裁判長に尋ねた。

「どちらでも」という答えが返ってきて、「じゃあ、せっかくなので」と証言台に向かおうとした時だった。傍聴席から、どっと笑いが起きた。法廷の空気が変わった。

温かい笑いだった。「応援してくれている」と実感した私の中で、ムクムクと闘志がわいてきた。10分間、胸を張り腹の底から声を出して意見陳述した。裁判官たちは、私と目が合うと頷く。熱心にメモも取っていた。

閉廷後、東京地裁となりの弁護士会館で説明会を開いたのだが、大きな部屋を取りなおしたにもかかわらず満員。応援の声を多々もらった。じーんとした。

「捨てたもんじゃない世の中」で、Tansaは2025年も疾走する。原動力は、社会を変えたいと願う人たちからの応援であり、伴走だ。

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