あるフレンチレストランで、見習いの青年は不満を募らせていた。野菜の角切りを練習したり、市場で魚のさばき方を学んだり。人知れず自分なりに努力しているのに、一向に仕事を任されないからだ。腹いせに料理のレシピを持ち出し、ライバル店に提供する。
レストランのシェフたちは、青年が頑張っているのを知っていた。ある日、青年に自分たちの料理を食べさせながら、技術の手解きをする。青年は自分がスパイをしていたことを後悔し、土下座して謝る。
ところがシェフたちは、顔を見合わせて笑いだす。それぞれが言う。
「一流のシェフはね、レシピが外に出ることを気にしないんだよ。自分がそれを一番おいしくできる自信があるから」
「その都度調理法も変わるのよ。乾燥の時間とかオーブンの温度とか。その日の気温や湿度で変えてるんだから。真似できるもんならやってみろっていうのよ」
「うちの店で簡単に真似できるものなんて一つもない。俺たちの仕事はあまいもんじゃないんだよ。まあ、真似事でやってる店は腐るほどあるけど。三つ星狙うんだったら、自分で本物を生み出すしかねぇんだよ。お前はどっちだ、どんな料理人になりたいんだ!自分で決めろ」
TBSのドラマ『グランメゾン東京』のワンシーンだ。このドラマは、一度は挫折した中堅のシェフたちがレストランをオープンし、三つ星を目指す物語だ。
「レシピがあってもいい料理ができるわけではない」。ここに私は共感した。ジャーナリストも同じだからだ。
もちろん、教えることは大事だ。昔ながらの職人のように「先輩の技を見て盗め」というやり方がいいとは思わない。教えればできることに時間をかけることは無駄だ。私自身は昔ながらの職人の世界で育ってきたが、同じことをTansaに持ち込んでは駄目だと考えている。自分の経験は言語化した上で体系化し、若手に伝えるようにしている。
しかし、ノウハウを伝授するだけでは探査報道ができるジャーナリストは育たない。端緒を得るところから始まって、社会に成果として送りだし、それに対する批判相手からの反撃に対峙する。探査報道の一連の過程には幾多の関門がある。その都度の判断を誤ったり、行動が中途半端だったりすると、ゴールにはたどり着かない。重要な点は、立ち現れる関門が多種多様なことだ。「レシピ」だけでは対応できない。現場で試行錯誤を重ねて、判断力と行動力を磨いていくしかない。
そう考えると、探査報道を担うジャーナリストを育成するには10年かかる。Tansaがマンスリーサポーターを懸命に募っているのは、若手を10年かけて育成しようと思えば安定的な財源が必須だからだ。
ジャーナリストに国家資格は必要ない。権力監視が役割なのに、権力側から資格を与えられるという仕組みは矛盾しているからだ。その分、ジャーナリストになろうとする人は自分で律する必要がある。
しかし、現実は逆だ。マスメディアへの世論の怒りやあきらめに乗じて、「ジャーナリスト」を名乗った者勝ちの状態だ。フジテレビの記者会見には何百人も参加したが、あの中でプロといえる人は何人いただろうか。
自分がジャーナリストとして活動するよりも、育成することの方が断然難しいことは分かっている。それでも育成に力を入れないと、未来はない。朝日新聞を辞めた後、フリーランスとして活動でするのではなく、わざわざTansaという組織を立ち上げた大きな理由もそこにある。