編集長コラム

回り道は回り道か?(154)

2025年03月29日13時17分 渡辺周

FacebookTwitterEmailHatenaLineBluesky

4月に日本テレビに入社して間も無く、私は回り道を余儀なくされた。報道志望で入社したのに、営業の部署に配属されたのだ。

嫌な予感はしていた。研修期間中の飲み会のこと。私が「ジャーナリストになりたいと」言うと、人事局長が「いやー、君は営業かバラエティーだな」と笑っていた。

営業局ではしばしふてくされていたが、転職を決意。新聞社と通信社を受験することにした。テレビ局と違い職種ごとの採用なので、記者職で入社すれば記者になれる。

だがうまくいかない。翌年の春採用の入社試験を受けたのだが、朝日、毎日、共同、時事、日経と全滅だった。日テレの採用面接では、相手に合わせてテキトーなことを言っていたものの、転職しようとしてからは「ジャーナリストになりたい」という思いが募っていた。正直に、熱を込めて話した。それが不評だったようだ。

毎日の最終面接では、「ウチは日テレさんに比べたら給料が低いよ」と何度も言ってくるので、「だからお金の問題じゃないって何度も言ってるじゃないですか!」とキレてしまった。共同通信の作文試験では感極まって、敬愛するアントニオ猪木の引退スピーチを引用した。

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし  踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ。ありがとうーっ」

共同通信は作文試験で不採用となった。

再チャレンジした秋採用の試験で、朝日新聞にうかった。ズラリと幹部が並ぶ最終面接の反応はイマイチ。パイプをくわえながら苦々しい顔をしている人もいた。今回も駄目かと思ったが、補欠で滑り込んだ。内定辞退者が2人出たということだった。

記者になってしばらくは、おおむね楽しかった。だが壁が現れ、回り道をすることになる。当時、私が熱心に取材していた事件に関して、社の幹部たちと衝突したのだ。

朝日新聞では、支局を5年で2カ所経験した後、「ドラフト」にかけられる。プロ野球のドラフトのように、本社の各部署の部長が記者たちを取り合うのだ。私は「ドラフト外」。本社勤務とはならず、静岡の浜松支局へと異動する。上司には「君がその事件の取材にこだわっている限り、本社に居場所はない」と言われた。

私としては、本社か支局かはどうでもいい。同期入社の記者たちは本社の部署へと異動していったが、嫉妬することもなかった。どこで仕事をするかよりも、何を取材し、その土地の人の息づかいを伝えるかが大事。そう考えていたからだ。「渡辺くんは社内学歴が低いね」と先輩記者に言われたこともあったが、そんな発想をすること自体、哀れに思えた。

ただ会社にしてみれば、「お前をレールには乗せない」という意思表示だ。

レールは自分で敷く

その後、名古屋での勤務を経て、東京の特報部に配属された。ここは楽しかった。普段はどこをほっつき歩いていてもいい。スクープを掴んだら会社に上がってきて、応援記者や紙面計画の段取りを上司とするという具合だ。性に合っていた。

ところが、暗転する。2014年9月、東京電力福島第一原発事故の「吉田調書報道」を朝日新聞が取り消した上に、木村伊量社長が謝罪記者会見まで開いたのだ。記事を出した特報部は、解体へと追い込まれていく。私は吉田調書報道には関わっていなかったが、当事者の先輩や上司は意気消沈。朝日新聞社全体も萎縮していき、私は「こりゃ、こんな会社にいたら腐る」と思うようになった。

そんな時、私の携帯に見知らぬ番号から着信があった。電話に出ると、流暢ではない日本語で彼は言った。

「今度、外国資本のメディアが日本に進出することになりました。創刊編集長になりませんか。その気があるならお会いして詳細をお話しします」

外国名の苗字しか名乗らないし、何者かは分からない。だが私の携帯番号を知っている。私の知人が教えたのだろう。ということは、私のこともある程度の情報を仕入れているはずだ。オファーの詳細は分からないが、給料とポストが用意される。いい話ではある。

だが断った。直感的に「近道ではなく、回り道をした方がいい」と思った。

朝日新聞を辞めるという考えは変わらない。Tansaの前身であるワセダクロニクルへの創刊に向けて動いていくのだが、その途上で、まとまった資金を提供してくれるという人物が現れた。創刊にあたり、何が悩みかと言うとお金だ。こんなに嬉しい申し出はない。

だがこれも、断った。その人物は、編集に介入してくる恐れがあると判断したからだ。平たく言えば「金は出すが口も出す」ということだ。ジャーナリズムを貫きたくて朝日新聞を辞めるのに、また誰かの意向に左右され、独立性を確保できないならば意味がない。

それから10年弱が経った。相変わらず、回り道の連続だ。はたから見れば「こっちを選んどいたら楽なのに」ということばかりだ。しかし、私もTansaの同僚たちも、それを良しとしない。

苦行をしているわけではない。回り道の方が、新たな出会いや展開があって楽しい。何より、自分の足で歩んでいるという実感がある。回り道は回り道ではなく、その人自身の専用道なのだ。

社会に出たら、思い通りにいかないことが多いだろう。でもその時に、「レールから外れた」ではなく「レールは自分で敷く」という発想をしてくれたらなと思う。

編集長コラム一覧へ