編集長コラム

「国益」って誰に言ってる?(156)

2025年04月12日16時34分 渡辺周

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学生の文章をみる機会がよくある。Tansaでもみてきたが、昨年からは青山学院大学でジャーナリズムの授業を週に1回受け持っている。

文章が硬い。「であるがゆえに」とかいう言葉が、あちこちに出てくる。

「この文章、誰に向けて書いている? 」と尋ねると、キョトンとする。学生にとっては、授業で提出するためのレポートという意識のようだ。文章とは、格式ばったものだという誤解もある。

アドバイスするのは、「誰か特定の人を思い浮かべて、その人に向けて書いてみよう」ということだ。特定の人とは、自分が「この人には私のメッセージに共感してほしい」と思う人。友人でも家族でもいい。なるべく身近な人がいい。

特定の人を思い浮かべながら、書き直してもらうと劇的によくなる。その人にはどういうエピソードを使うと理解してもらいやすいか。専門用語は違う言葉に置き換えようといったことを練るからだ。

Tansaでも同じことを実践している。

我々はインターネットという媒体を通して、不特定多数の人に記事を届けている。だが、記事を書く時は「この人に共感してほしい」という人を思い浮かべる。その人の心に届けば、全員とまではいかないまでも、多くの人に共感の輪を広げることができる。

誰に向かって言葉を発しているのか分からない人たちもいる。

その典型が、「国益」を口にする人だ。国益というのは、具体的には何を指すのか。個々人の幸せと何の関係があるのかがよく分からない。

石破茂首相は、やたらと「国益」を持ち出す。例えば、自民党の企業団体献金の是非を問われ、国会で次のように答弁した。

「国益とそぐわないと知りながら、たくさん献金をもらって政策判断の材料にするとなれば、政治家としてあるまじきものだ」

企業団体献金を受けることが、国益と何の関係があるのか。さっぱり分からない。

国益を持ち出す人は警戒する必要がある。「国益なんだから納得しろ」という乱暴な思惑を伴っているからだ。

誰かを思い浮かべて言葉を発する場合、「個から全体」に共感が広がる。だが「国益」と言う人は、「全体から個」に同調圧力をかけてくる。

政治家だけではなく、メディアもサラリとこの言葉を使うので、違和感がすり減っていく。2024年11月30日付の朝日新聞のコラム「天声人語」では、外交を題材にこう書いている。

外交とは、国益をかけた密室の交渉であるとともに、為政者が国民に見せたい何かを見せようとする舞台でもあるのだろう

アメリカのトランプ大統領が強行な関税措置を打ち出してからは、国益に「国難」、「オールジャパン」という言葉を石破首相は加えた。

関税措置への対応策は必要だ。しかし、こうした言葉を水戸黄門の印籠のようにして、政治が暴走することはないか。要注意だ。

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