編集長コラム

戦争を止める意思がないなら廃刊を(208)

2026年04月04日14時42分 渡辺周

XLineBlueskyFacebookEmailHatena

3月31日付の朝日新聞1面の記事にゾッとした。

「敵基地攻撃ミサイル配備 陸自 専守防衛の転換点に」

陸上自衛隊が、敵基地を攻撃できる長距離射程のミサイルを配備し始めたことを伝えている。2022年の安保3文書改定を受けた措置だが、記事は防衛省の目的を伝えて締めくくっている。

「中国は射程500~5500㌔の地上発射型を2千発近く保有しているとみられ、日本は米軍と合わせても、この地域での戦力差は大きいとされる。防衛省は長射程ミサイルの配備を進めることで、ミサイル戦力のギャップを埋めることをめざす」

中国を敵国とみなして緊張を高めるのは、戦争のリスクを増大させるだけだ。高市早苗首相は、「中国が台湾を攻撃した場合に自衛隊は出動できる」旨の発言をし、中国との関係を悪化させているから尚更だ。

そもそも、中国と軍拡競争をする経済力は日本にはない。戦前のように破滅するだけだ。「憲政の父」といわれた政治家・尾崎行雄は、1937年の帝国議会で軍部を次のように批判している。

「軍備の拡大競争になった時、陸軍と海軍は相手国と同等以上の軍事力を持つことができるのか」

「軍備の拡充と国防の安全は違う。国防は相手があることなので、こちらが軍備を拡充しても相手がそれを上回れば国防は危うくなる」

本来ならば、朝日新聞はこのミサイル配備に反対する紙面を大展開するべきところだ。

しかし、1面記事ではミサイル配備が進む事実と、防衛省の言い分をそのまま掲載しているだけ。3面記事では「残る課題」として、ミサイルを保管する火薬庫の不足や訓練基地の確保をメーンで取り上げている始末だ。自衛隊の広報紙を読まされているようだ。

ミサイルが配備される地元住民が、「攻撃を受けるリスクが高まる」と不安を覚えていることも伝えてはいる。だが全体の紙面の中では付け足しのような扱いだ。

祖父から孫への警告

『新聞と戦争』という本がある。朝日新聞の取材班が、朝日新聞の戦争責任について、事実を丁寧に掘り起こして検証した力作だ。朝日新聞出版が2008年に発行した。

取材班のまとめ役だった外岡秀俊氏は、「はじめに」の中で、検証のきっかけは一通の投書だったと明かしている。

私が2006年春、日々の紙面を統括するゼネラルエディターという職に就いて数か月後、一通の手紙に視線が引き寄せられた。「私が小さな頃、祖父が口癖のように言っていたのを思い出します。朝日の論調が変わったら気をつけろ、と」

口承として祖父から孫に受け継がれたこの警告が、1931(昭和6)年の満州事変を境として戦争の拡大と翼賛に論調を転じた朝日新聞の変貌を指すのは明らかだった。

外岡氏はその上で「私たちもいつ、同じ過ちを犯さないとは限らない」と述べる。

朝日は45年11月7日、「国民と共に立たん」という宣言を掲載して戦時報道の責任を明らかにし、新たな陣容で「平和国家」への出発を目指した。戦後の論調はつねに武威への戒めと外交・対話の重視であり、私たちも先輩から日々、戦時報道の過誤と愚かさ、その責任の重さを教えられて育った。

しかし論調の変化には当然、歴史の背景と、それを受け入れた記者たちの葛藤があったに違いない。記者の信念という問題だけではない。当時の部数獲得競争や、販路の拡大など、経営上の要請もあっただろう。裏を返せば、その時代の軋みと記者たちの身悶えを知らない限り、私たちもいつ、同じ過ちを犯さないとは限らない。投書の主が指摘したのも、今の報道の危うさであり、問いかけたのは時代と切り結ぶ報道機関としての現在のありようだった。

外岡氏のもとへ投書が来たのは2006年の春だから、それから20年が経った。「同じ過ちを犯す」という外岡氏の危惧は、現実のものになりつつある。

朝日新聞の個々の記者にしてみれば、自分の持ち場で日々の仕事を一生懸命やっているだけだという感覚なのかもしれない。ミサイルの配備の記事にしろ、防衛省の担当記者として、防衛省の動きと意図を正確に伝えただけなのかもしれない。

そこには、外岡氏が言う「記者たちの身悶え」も感じられない。「戦争を止めるんだ」という明確な意思がないまま、権力の一挙手一投足をひたすら追う毎日を送っている。権力と時代の空気に身を委ね、いつの間にか戻れない地点まで流されている。

報道機関として戦争を止める意思がないならば、廃刊するべきだ。二度の裏切りは誰も許さないだろう。

2026年3月31日付朝日新聞朝刊1面より

XLineBlueskyFacebookEmailHatena
編集長コラム一覧へ