Tansaの記者たちが取材をしていて、心苦しく思うことがある。
それは、取材相手から「わざわざ取材に来ていただいてありがとうございます」とお礼をよく言われることだ。犠牲者や遺族、窮地にある人たちから言われる。
近く始めるシリーズのため、先日も九州に取材に行っていたのだが、辻麻梨子と私は丁重なお礼を言われて胸が詰まった。
取材は私たちの仕事だ。取材をしただけで私たちがお礼を言われる資格はない。お礼を言われて喜べるのは、事態を変えることができた時だ。探査報道の目的は、同じ犠牲者を出さず、窮地にある人たちを救うことだからだ。そのために、たとえ出張費がかさんでも、時間がかかっても、真摯に粘り強く取材する。
なぜ、Tansaが取材をしただけでお礼を言うのか。取材相手に理由を聞いてみると、マスコミ各社の記者たちに嫌な思いをさせられているからだという。例えばこんな感じだ。
・当局や企業の言い分ばかりで、自分たちの取材はしてくれない。
・世間が盛り上がった時だけ取材にくる。
・東京の記者は地方になかなか取材に来ない。地元の記者も何かのイベントがないと取材しない。
・全く予習してこない。
・コメントを誘導する。
・手柄意識ばかりが先行している。
・社内事情で報道されない、取材結果が歪められる。
本来であれば、このような記者たちは相手にしなければいいだけだ。だがそうはできないところが、つらいところだ。何とか取材をしてもらい、報道してもらわないことには状況を打開できない。マスコミは凋落しているとはいえ、数千万人の読者・視聴者がいる。為政者たちはマスコミ報道を気にする。
会食をしながら記者たちへの説明会を開いたり、ぶしつけな質問にも丁寧に答えたり。記者の機嫌を損ねないよう気を遣う人がどれだけ多いことか。しんどい状況に置かれている人に、記者がさらに負担をかけてどうする。
しかも、報道されたとしても、ミスリードが多々ある。取材を受けた方がさらに追い込まれる。「頼られたら裏切るな」と思う。
結局、犠牲者や窮地にある人への想像力が欠如しているのだ。
頼りにしている人たちの取材はしない一方で、何の意味もない取材に熱中しているのがその証拠だ。
京都府南丹市で11歳の安達結希さんが犠牲になった事件。あれほど連日、警察の捜査過程を集中的に報じる必要があるだろうか。異常だ。結希さんの無念と悲しみを想像すれば、取材は次のポイントに焦点が当たるはずだ。
・なぜ結希さんを誰も救うことができなかったのか。
・このような事件を防ぐための社会システムはどうあるべきか。
だがポイントを外したまま、警察の一挙手一投足に張り付き、読者・視聴者に「推理ゲーム」を提供することに明け暮れている。
自分が当事者でなくても、想像力を持つ。そこから取材態度が変わる。取材態度が変われば、より多くの人から信頼されてメディア業界が浮上する。
シンプルなことだと思う。

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