新聞配達所に住み込みで浪人生活を送り、志望校の早稲田大学に入学したものの、しばらく友人ができなかった。肩を組んで校歌を歌うようなノリにはついていけないのでサークルに入らなかったし、退屈な講義が多かったので授業にもろくに出ない。大学で友人ができないのは当たり前かもしれない。「なんでこんな大学に入学するため受験勉強したんだろ、授業料返せ」という思いが募り、大学生活はどんよりしていった。
明かりが差したのは、初めて友人ができてからだ。
彼は私より年齢が10歳近く上。友人であり、心から「先輩」と言える存在だ。元は韓国陸軍の大尉だったが、ビジネスの世界に転身しようと、軍隊を辞めて早稲田大学に留学していた。軍人の時は中隊長として100人の部下を率いて、北緯38度線で勤務した経験もある。
私は体育のサッカーの授業で知り合った。先輩は韓国やフランス、中国からの留学生たちと日本経済史の勉強会を開いていたが、日本人がいないということで私が誘われた。そこからの付き合いだ。今も日本に住んでいて会社を経営している。
互いの距離が近くなるのに、時間はかからなかった。
ある日の晩、大学近くの先輩のアパートに泊まった。布団に入って灯りを消してから、先輩が「なべちゃん、僕はもうプライドにはこだわらないことにした」と天井を見つめながら言う。生活費を稼ぐため、飲食店で皿洗いのアルバイトをしていたのだが、店であれこれと小言を言われゲンナリしていた。
「軍隊では部下たちに命令する立場だったのに、皿洗いでは『はい、はい』と言うことを聞かなきゃいけない」
弱音をはくのは私に心を開いてくれている証拠だ。先輩には申し訳ないが、嬉しかった。
先輩が折に触れて言っていたことで、印象に残っている言葉がある。
「子どもの頃から、『日本人は鬼だ』と教えられてきたが、日本に来てみたら全然違った。実際に会って話をするのは大切だなぁ」
30年後、当時の先輩と同じことを言う韓国人と出会った。
今年3月、労働組合「関西生コン支部」(関生支部)が、韓国の建設関係の労働組合と交流するため釜山を訪れた。韓国の労組も「暴力団」という嘘のレッテルを貼られ、組合員が警察に次々と逮捕された。弾圧された労組同士が国境を越えて連帯し、政治権力に対抗していくことを確認するため、釜山でシンポジウムを開いた。Tansaは取材で釜山に足を運んだ。
この時のことは別途詳報するが、シンポ後の懇親会で印象に残っている言葉がある。韓国の労組の組合員の中に、大統領の警護役から転身した人物がいて、彼がこう言ったのだ。
「日本人は鬼だとずっと教えられて育ってきたし、大統領の警護をしている時もそう思っていた。でも今日、こうして関生支部の人たちと心を開いて話をすると、全くの誤解だということが分かりました」
コンビニや介護施設で
戦時中、日本の為政者は「鬼畜米英」を喧伝した。
米国人もイギリス人も、大切な人たちがいる至って普通の人間だ。鬼でないことは、少し考えれば分かりそうなものだ。だがそのデマを国民は受け入れ、熱狂した。私の父は9歳で終戦を迎えたが、8月15日の日記には「にっくき米英を、大きくなったらなげとばしてやります」と書いている。当時の社会の空気が、子どもの心に浸透していたのだろう。
どうすれば、外国人を「鬼」と思う愚を繰り返さないで済むのか。
広島の松井一實市長は8月6日、平和宣言で言った。
「若い世代の皆さんに提案があります。価値観の異なる人々との国境を越えた交流を深めてください。そうすることで、嬉しさや楽しさ、夢や希望を共有することができます。既に世界の多くの若者が、広島を始め様々な場で被爆の実相を学び、交流を深めています。皆さんも平和のために日常生活の中でできることを実践し、自らの思いを発信することで、その行動の輪を広げていってください。こうした取組は、お互いを認め合う平和文化を世界中に根付かせ、核兵器廃絶を国際社会の常識にすることにより、為政者が核抑止力に依存することを認めない環境づくりにつながります」
松井市長の言葉に深く共感する。若者だけではなく全世代が、松井市長の提案を実践することが大切だと思う。
「国境を越えた交流を深める機会などない」と思う人もいるかもしれない。
だが日本には今、様々な場所に外国人がいる。コンビニや飲食店、介護施設や建設現場、農業や漁業に従事して社会を支えている。買い物をした時、介護施設に親を訪れた際、「ありがとうございます」と伝える機会はいくらでもある。感謝の気持ちを伝えれば互いに心が通い合う。警戒心を解いて、まずは声をかけてみることだと思う。
外国人を敵視する心がなくなれば、外国との戦争は起こらない。シンプルなことだと思う。

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