葬られた原発報道

福島からの叱咤 (2)

2019年05月02日9時45分 渡辺周

朝日新聞は2014年9月11日、木村伊量社長らが記者会見を開き、吉田調書報道を取り消して謝罪しました。1面トップの見出し「所長命令に違反 原発撤退」という表現が、読者に「東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与えた」ことが理由でした。

朝日新聞の取り消し理由がおかしいことは、「葬られた原発報道」の1回目でお伝えした通りです。記事の主眼は、「いったん原発事故が起きると誰も事態をコントロールできなくなる」ということでした。

しかし、新聞社のトップが「間違った記事だった」と頭を下げたのです。朝日新聞には読者からの苦情が殺到しました。読者窓口の「お客様オフィス」ではいつもの担当者だけでは人が足らず、各部署から応援に入りました。私も電話で苦情を受け付ける仕事を手伝いました。取材班ではないとはいえ、記事を出したのは私が所属する特別報道部です。引き受けないわけにはいきません。

そこで触れたのは、読者からの思いがけない声でした。

「自分の意見いうな」、読者との「想定Q&A」用意

お客様オフィスでは、読者からの電話に対して「勝手に自分の意見をいわず、朝日新聞社としての見解を伝えるように」と指導され、次のような想定問答を渡されました。

読者からの想定質問: 「ひどい誤報だ。社内のチェック態勢はどうなっていたのか」

回答例: 「5月20日付の記事で福島第一原発の事故の際、『所長の待機命令に違反し、東電社員ら9割が第二原発に撤退』と報じました。しかし、これは間違った表現であり、記事を取り消しました。調書を読み解く過程で評価を誤り、十分なチェックが働きませんでした。(くわしくは紙面をご覧ください) このたびは読者のみなさまの信頼を損ね、大変申し訳ありません。心から反省し、おわびします」

心にもないことをいって謝ることなどまっぴらでした。

でもそれは杞憂に終わりましたーー。私が受けた吉田調書報道に関する電話の主は、1時間にわたり、いかに記事の取り消しが 間違っているかということを熱弁しました。

「元東電社員」の朝日読者が「へこへこ謝るな」

「なんでへこへこ謝るんだよ」

私が受話器を取ると、いきなり男性に怒鳴られました。

男性は福島在住の63歳。東電の職業訓練校である東電学園を卒業後、東電で働いたこともある建築士で、朝日新聞の50年来の読者といいます。

男性の義母は原発事故後、6箇所の施設を転々とし、いわき市の高齢者施設で90歳で亡くなりました。男性は「年寄りはたらい回しにされると認知症が進むし、弱るんだよ。原発事故の関連死で何人の老人が亡くなったと思ってるんだ」と怒ります。

記事の取り消しについては、こういいました。

「サンゴ事件の時のようなねつ造じゃないじゃないか。吉田所長が1F(福島第一原発)で待機しろといったのに、2F(福島第二原発)に行ってた。状況的には命令違反じゃないか。あの時は東日本が壊滅するかどうか紙一重の状況の中で、1Fにとどまれといったんだよ」

「あの原発を、9割がいなくなった後の50人で動かそうなんて無理だ。しかも各分野の専門家がそろっていなかっただろう。第一原発なんて40年経った老朽施設だから、あちこちが壊れたはず。俺は建築士だからわかるが、配水管の接合部なんて20年ももたない」

「一度事故が起きたらアンコントロールド(制御不能)になる。これが本質だ。放射能の前ではみんな一緒。大熊町に『原子力 明るい未来のエネルギー』という看板があって、今や草がぼうぼう、イノシシが10頭走ってるのを見た。あれが原発の姿だと思うんだ」

「ペンは力なり」を試されている時

男性の怒りは、ジャーナリストたちへの期待の裏返しのようでした。「あんたら悔しくないのか」と次のように語りました。

「今回のような謝り方をしていると、2回目の原発事故が起きた時に『あの時批判したのに』と朝日がいえなくなるぞ」

「第二次大戦の時は、良心的な人が牢屋に入り、新聞は戦争を煽った。同じ失敗を繰り返すのか。今回は第二次大戦の時に匹敵するくらい『ペンは力なり』を試されている時だと俺は思う。普段は駄文を書いても許すよ。ここぞという時に踏ん張って勝負しなきゃ。しっかりしろよ」

そして1時間ほど私と話をした最後に、こういって電話を切りました。

「お前社員なんだろ、お前が今日から主筆をやれ。こんなところで、くそじじいの話を聞いているようじゃだめだ。今から外に出て働いてこい」

私は感動しました。この男性の話をメモにして、同じ特報部員の同僚たちに知らせました。そのうちの一人はそのメモを「特報部のドアに貼ってやりたいです」と返事をくれました。

新聞労連は「吉田調書報道」に賞、弁護士194人も取り消しに抗議の申し入れ

吉田調書報道の取り消しには、市民や学者、弁護士らも反対の声をあげました。ジャーナリストは、大きなウネリになるほどの連帯はありませんでしたが、それでも出版物や集会で積極的に声をあげる人が出てきました。

新聞社の労働組合でつくる新聞労連は、吉田調書報道に対して2015年1月に「特別賞」を出しました。受賞理由は以下の通りです。

「非公開とされていた調書を公に出すきっかけになったという点で、昨年1番のスクープと言っても過言ではない。特定秘密保護法が施行され、情報にアクセスしにくくなる時代に、隠蔽された情報を入手して報じた功績は素直に評価すべきだ。朝日新聞社は記事を取り消したが、選考委員は『虚報やねつ造と同列に論じるのはおかしい』との見解で一致した」

弁護士は北海道から九州までの194人が賛同して、朝日新聞社に申し入れました。抜粋して紹介します。

「『命令違反で撤退』したかどうかは解釈・評価の問題です。吉田所長が所員に福島第一の近辺に退避して次の指示を待てと言ったのに、約650人の社員が10キロメートル南の福島第二原発に撤退したとの記事は外形的事実において大枠で一致しています。同記事を全部取り消すと全ての事実があたかも存在しなかったものとなると思料します」

「貴紙報道は政府が隠していた吉田調書を広く社会に明らかにしました。その意義は大きいものです。この記事は吉田所長の『死を覚悟した、東日本全体が壊滅だ』ということばに象徴される事故現場の絶望的な状況、混乱状況を伝えています」

「『吉田調書』報道関係者の『厳正な処分』を貴社木村伊量社長が公言されています。しかしながら、不当な処分がなされてはならず、もしかかることが強行されるならばそれは、現場で知る権利への奉仕、真実の公開のため渾身の努力を積み重ねている記者を萎縮させる結果をもたらすことは明らかです。そのことはさらに、いかなる圧力にも屈することなく事実を公正に報道するという報道の使命を朝日新聞社が自ら放棄することにつながり、民主主義を重大な危機にさらす結果を招きかねません」

これだけ各方面から記事取り消しに反対する声が上がっているということは、少なくとも吉田調書報道に対する評価は否定的なものだけではないということです。

しかし、朝日新聞社は記事を取り消しました。

取り消しとは、報道内容を全否定することで、ねつ造やでっち上げの時に取られる措置です。そのことは朝日新聞社もよく知っているはずです。

ではなぜ朝日新聞社が記事を取り消したのでしょうか。

本当の理由は次回に。

=つづく

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