ワセクロの五感

ワセクロは「愚公」だ 地道な仕事が未来を作る(5)

2020年04月14日14時31分 佐野誠

家の前を山に塞がれ、どこへ出るにも遠回りを強いられている老人がいた。老人の名を愚公という。ある日、愚公は意を決して息子や孫たちと山を削り始める。作業は遅々として進まない。切り崩した岩や土を海まで捨てにいく手間もある。愚公はまもなく九十歳というから、息子たちとて推して知るべし。

彼らを嘲笑う男がいたが、愚公は反論する。「たとえ私が死んでも子は孫を生み、孫はまた子を生んで子孫は尽きない。しかし山はこれ以上高くなりはしないから、いずれ平らにできる時がくる」。

これは中国の古い思想書が伝える説話である。継続は力なり。たとえ自分の代で成し得なくても、子孫のことまで考え壮大な仕事に取り組む心意気が尊い。

私はワセクロを知った時、これは「愚公」だと思った。探査報道には時間も金もかかる。大手メディアがまともにやらない(やれない)から、小さな所帯のワセクロが身を削って取り組んでいる。誰かが取材せねば救われない弱者がいるのだ。私にも何か手助けができないかと思った。山を削って出た土を捨てに行くことくらいならできるのではないかと思った。

愚公の物語はこう結ばれる。愚公の意気込みを知った山の神は、このままでは本当に山が崩されるのではと恐れ、天帝に報告する。ところが天帝はかえって愚公の誠意に感じ入り、怪力の神に命じて山をよその土地へ移させてしまった。

どうぞみなさん、今日も愚直に巨大な山に挑み続けているワセクロをご支援ください。それが私たちワセクロにとっての「天帝」となるのです。

ボランティア 佐野誠

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