梅雨の紫陽花は美しい。今にも空気に溶けだしてしまいそうな淡い色は、これまで見てきたキレイな景色にも決して負けない。こんな光景が、彼女の家の玄関先から大学の喫煙所の裏にまで行く先々に広がっているなんて、私はちょっぴり「奇跡だな」と思う。
だから6月はたくさん寄り道をする。普段通る道から外れて、少し緑が多い方へ。初詣でしか行かない地元の神社にも、紫陽花が咲いているから立ち寄ったりもする。
たくさん紫陽花を見て気付いたこともある。紫陽花の色が育った土の酸性度によって決まるというのは有名な話だが、近くで見てみると、同じ場所で育った花でも、一つずつ微妙に色が異なる。まるで同じ色になることを拒むように、自分の色を一生懸命作っているようなのだ。
僕は22歳の平凡な学生だ。自分にしかできない取材があるわけでもないし、飛び抜けた才能もない。ワセクロの多彩なメンバーを見ていて「自分も何とかしなければ」と焦るうち、ときどき周りに埋もれているようで息苦しくなってくる。僕の個性って何だろう。これから記者としてやっていけるのだろうか。ときおり恐ろしく、不安に感じる。
だから紫陽花に少しだけ勇気をもらっている。決して派手な色で目立つわけではないけれど、それぞれが自分の色を出そうとしているように見えるから。僕も、もがき続けてやろう。いつか自分にしか書けない記事があると、胸を張れる記者になるために。僕にとって6月の街は、そんな小さな奇跡であふれている。
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