編集長コラム

みずほ銀行社員からの質問「民主主義って何?」(30)

2022年10月15日18時12分 渡辺周

10月13日にみずほ銀行の社員を対象に講演した。私は昨年、アショカのフェローに選ばれた。アショカは、世界最大の社会起業家ネットワークで「チェンジメーカー」を発掘している。私は日本のフェローでは7人目、日本のジャーナリストとしては初選出だ。みずほ銀行がアショカをサポートしている縁で、講演することになった。オンラインで60数名が参加した。

講演のタイトルは、「ファースト・ペンギンズが開くジャーナリズムの未来」。過去の成功体験にすがって「まだ大丈夫」と動かなかったら「茹でガエル」になる、勇気を持って挑戦していこうというメッセージを込めた。恐竜のように大きくなりすぎて変化に対応できないマスコミ企業と、Tansaのこれまでの歩みを比較しながら話をした。

みずほ銀行の参加者からは積極的に質問が寄せられた。核心に迫る質問だと思ったのが、以下の質問だ。

「市民ベースのジャーナリズムを構築しないと民主主義が崩壊するという趣旨のご意見に深く賛同します。一方でその結果として目指すべき民主主義とはどのようなものであると捉えられているのか」

民主主義ついては様々な説明があるだろうが、私はこう答えた。

「自分のためではなく、苦境にある他者のために、知恵とエネルギーを注ぐ空間があること。そしてその空間には多様な人たちが集うこと。これが民主主義だと思います」

忘れられない事件がある。

駆け出しの記者の頃だ。生後間もない赤ちゃんが、風邪をひいたのに両親が病院に連れていかず死亡したという事件が起きた。父親は保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕された。警察の調べに「治療費が払えないから」と病院に連れて行かなかった理由を供述した。

赤ちゃんはなぜ死んでしまったのか。私は連日、その家族が住む地区に通って取材を始めた。両親には知的障がいがあり、赤ちゃんが冷たくなった後もドライヤーの風を当てていたことを知った。家族は過去にも火事で赤ちゃんを亡くしていた。

中学生の長女が両親を支え、きょうだいの面倒もみていた。私は、長女が通う中学校にも取材に行った。長女が学校で、何らかのSOSを出していたのではないかと考えたからだ。

担任によると、長女はクラスでリーダー的な存在。家庭での困難を全く学校ではみせていなかった。担任と生徒たちは交換日記をしていたが、その日記でも家庭でのことは書かれていなかった。私は長女がリーダー的な存在だからこそ、自分の弱音を学校では出したくなかったのではないかと考えた。長女の取材をさせてほしいと、担任に私は頼んだ。担任は断った。

「あなたは記事を書いた後、どこかへ転勤するのでしょうが、あの子はここで、これからも生きていかなければなりません」

返す言葉がなかった。私は結局、この事件を記事にしなかった。

その後、様々な不条理な事件や事故を取材しては発信する中で、私はあの時の担任の言葉にあっさり従ったことを後悔するようになった。私の仕事は、社会に事実を提示し、二度と同じ悲劇を繰り返さないため社会が対策を立てられるようにすることだからだ。長女の心の傷口を広げないよう、匿名にすることはもちろん、時間を置いてから取材するなど方法もいろいろある。

しかし最近は、長女が取材を受けることは、やはり難しかったのではないかとも思う。報道によって自分が置かれている状況が改善する期待よりも、好奇の目に晒される恐怖の方が大きかっただろうからだ。長女にそう思わせるような社会状況は、当時も今も変わらない。

「他者」は、好奇の目を向ける対象としてあるのではない。苦境から救い出すため、社会を構成する個々人が知恵とエネルギーを注ぐ対象だ。そういう人が増えれば、民主主義が社会に根付く日へと近づいていくと思う。

そのためにジャーナリストは、他者のために仕事をするということを徹底する必要がある。みずほ銀行の社員から質問を受けて、改めて肝に銘じた。

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