飛び込め! ファーストペンギンズ

葛藤(14)

2022年11月15日17時13分 小倉優香

私の父は11年前、48歳で亡くなった。沖縄の海でサーフィンをしている最中、水難事故にあった。当時私は高校3年生。4つ下の弟と母が遺された。

父は琉球大学農学部でマングースの研究をしていた。絶滅危惧種のヤンバルクイナを守るため、本島北部へのマングースの侵入を防ぐ柵を開発した。

父は元々獣医になりたかった。絶滅危惧種を守るためとはいえ、マングースの命を奪わなければならないことに葛藤していると言っていた。

父が亡くなってから半年後、私が県外の大学へ進学するために沖縄の実家を出た時のことだ。

父を亡くしたばかりだったこともあり、引越し間近になって母は「もし何かあったらすぐに行けないし、県内の大学を受験し直すのはどうか」と言った。

スポーツ栄養を学びたいと思っていた私には県外へ出る以外の選択肢はなかった。沖縄にスポーツ栄養を専門としている大学がないからだ。母を説得してそのまま進学した。

今年1月、私はTansaで働くことを母に電話で話した。母は「その仕事は危険じゃないの? 」と心配していた。

政府や大企業など、強い相手に妥協せず向かっていくというTansaの魅力を伝え、私の選択を応援して欲しいと思ったのだが、それが逆に心配を募らせたようだ。

日本でジャーナリストが命を奪われるようなことはまずない。私は母に「大丈夫だ」と、その時は伝えた。

だが2週間前、母の言葉を思い出した。タイのチェンマイで開催されたジャーナリストカンファレンスに参加した際、ミャンマーのジャーナリスト、ソニー・スーさんの話を聞いたときだ。

ソニーさんは、2000年に新聞社「Myanmar Times」を立ち上げた。当時は国軍が政権を握っており、記事は全て政府に検閲されていた。2004年には、検閲に引っかかったことで8年間刑務所に投獄されていたことがあった。

ソニーさんは出所後、いくつかのニューズルームで働いたが、2021年2月の軍事クーデターをきっかけに国を離れることを決意した。同僚の記者が取材先で軍事クーデターに巻き込まれたことや、ソニーさんが再び投獄される可能性があったからだ。

ステージに立つソニーさんの背後には、村から火の手が上がる写真が映し出されていた。同僚が巻き込まれた軍事クーデターの様子だった。

彼は今、タイのチェンマイを拠点にミャンマー情勢を報じるオンラインメディア「Frontier Myanmar」の発行人だ。

私は母の心配に「大丈夫だ」と答えたが、やはりジャーナリストは危険と隣り合わせだと感じた。

もちろん、日本はミャンマーほど深刻ではない。だが事態が少しずつ悪くなっていき、気付いたら手遅れということもある。

編集長の渡辺に聞いて印象に残っているのが、1987年に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件の話だ。

犯人が支局に押し入って散弾銃を発射し、小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷を負った。

小尻さんは今の私と同じ29歳だった。後に「赤報隊」から犯行声明がでた。

渡辺は阪神支局で勤務したことがあり、事件が時効を迎えた今も真相解明の取材を続けている。長い取材を振り返りながら、渡辺はこう言った。「取材を始めた20年ほど前は赤報隊の犯行声明文を奇異に感じたが、今は犯行声明文に似た言動が溢れていて違和感がない」

問答無用の暴力を生む土壌が、いつの間にか日本にも生まれ始めているのではないだろうか。

最近母に、農薬の取材をしていると伝えると、「楽しんで仕事ができてるならそれでいい」と言ってくれた。「PFOAの記事を読んだよ」と連絡をくれたこともある。Tansaのことを応援してくれている。

だが、会話の終わりには必ずこの言葉を言う。「健康と安全には気をつけて」と。

私はソニーさんのように自分の身が危険だと感じた時、ジャーナリストを続けられるだろうか。正直なところ、まだわからない。

 

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