飛び込め! ファーストペンギンズ

私と絵(18)

2022年12月13日14時10分 中川七海

2012年、大学1回生の私が法律の授業を受けていた時のことだ。教授が、福島の原発事故の東京電力の責任について言った。

「過失がなくても、リスクの高いもので膨大に儲けているので責任がある」

は? 私は引っ掛かった。責任があるということにではなく、リスクが高いものでボロ儲けすること自体に対してだ。

私は手元の紙をひっくり返して、絵を描き始めた。授業を進める教授の声が遠のいていく。

まずは、生命力を感じる何かを描きたかった。ササッと1〜2分で、草や花が浮かび上がった。次に、その植物の器を描いた。植木鉢ではない。食虫植物のような、先に描いた植物が飲み込まれてしまうようなイメージでペンを走らせた。

その次は、根っこだ。脆くて傷ついた根っこをどう描くか考えた。私は人の手を模した形で表現した。最後に、根っことして描いた指先から血を垂らした。

きれいな植物の根っこから、血が滴っている絵が完成した。豊かな人々の生活の土台を、儲けが全ての人間たちによる原発が傷つける様を映し出せたと感じた。

以来、憤りを感じたら私は絵を描くようになった。具体的な憤りがなくても、ペンを走らせれば、自分の中にある違和感を描き出すことができる。

次第に私は、絵やアート作品をツールに、疑問や違和感を社会に問いかけ、人々の議論を巻き起こしたいと思うようになった。「スペキュラティブ・デザイン」と呼ばれる領域だ。当時の日本では唯一、アーティストのスプツニ子! 氏が作品を出していた。私のお気に入りは、「ムーンウォークマシン、セレナの一歩」だ。科学オタクの主人公セレナが、未だかつて女性の足跡がついたことのない月面に、ハイヒールの足跡をつけるマシンを開発する物語だ。実際のマシンをもとに、ミュージックビデオやインスタレーションで作品を発表している。

だが私は、スペキュラティブ・デザインの道には進まずTansaで探査報道に打ち込んでいる。進学する米国の大学も決まり、頭金も払っていたのに辞めた。

理由は、探査報道もまた、私の違和感や怒りを表現できるからだ。しかも単なる「私憤」ではなく、「公憤」を社会に問いかけることができる。

これまで本格的に手がけたのは、「双葉病院 置き去り事件」と「公害PFOA」だが、常に怒りと隣り合わせだ。取材時の録音を聞き直すと、それがよくわかる。相手がのらりくらりと返答し始めた途端、私の口調も変わる。一問一答で詰める取材に切り替え、「質問に答えないなら、その様子を書きますね」と念押ししていた。

ただ、絵を辞めたわけではない。実はペンギンコラムの絵も自分で描いている。すべて、大学時代から描き溜めている作品だ。

私にとって絵を描くことは、自分の感情を抑えたり、違和感を見過ごしたりしないようにするための装置だ。

 

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