編集長コラム

日本が核兵器を持つ日(43)

2023年01月21日14時50分 渡辺周

私は小学校6年間を広島で過ごした。平和教育が盛んで、「語り部」から被爆体験を聞いたり、原爆投下後の広島を描いた演劇を観たり。語り部の話は生々しく、やけどで皮膚が垂れ下がった人が歩く姿も迫真の演技で再現した。原爆による惨状が脳裏に焼き付いた。

核兵器は絶対悪だと信じて育ったが、大学生の時にフランス人留学生から言われて驚愕した。「核兵器は合理的だよ。兵士として前線で戦うのは嫌だけど、核ならボタンを押して発射すればOKだ」。

フランスは原爆を落とされていないから彼はそう思うんだ、さすがに日本では核を持ってもいいという人なんていないだろう。そう思っていたら、日本にもいた。1957年2月から1960年7月まで首相を務めた岸信介氏である。

岸首相は1957年5月7日、参議院予算委員会で社会党の吉田法晴議員から戦術的核兵器の保有の可能性について問われて、次のように答弁している。戦術的核兵器とは、都市を破壊する大型の戦略的核兵器とは異なり、戦場や軍事目標に使う小型の核兵器のことを指す。

「自衛権の内容というものを裏づけるところの最小限度の実力とはどういうものだという解釈になりますというと、これは憲法上の解釈としては、私はいわゆる核兵器と名前がつくものは全部憲法違反だという御説もあるようでありますけれども、それはこの技術と科学の発達につれまして、核兵器と言われるところの性格というもの、性質も、また兵器の種類もいろいろこれから出てくることでありましょうし、従って名前は核兵器とつけばすべて憲法違反だということは、私は憲法の解釈論としては正しくないのじゃないか」

岸首相は「全ての核兵器が違憲だというのは正しくない」と婉曲的に答えたのだが、このやりとりに続いて改進党の八木幸吉議員が「率直に伺いたい」と質問すると、もっとはっきりと言った。

「憲法の解釈、純粋の憲法解釈論としては、私は抽象的ではありますけれども、自衛権を裏づけるに必要な最小限度の実力であれば、私はたとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈としては持っております」

それから45年後の2002年6月10日、岸氏の孫にあたる安倍晋三氏が、衆議院の「武力攻撃事態への対処に関する特別委員会」で官房副長官として答弁に立つ。安倍氏は、早稲田大学での講演で「憲法上、原子爆弾は保有できる」などと発言したことを、サンデー毎日に報じられていた。その点を民主党の川端達夫議員に問われた。

安倍氏はまず、大学の講演内容を報道されたことに苦言を呈す。

「私は、本来静かな場所である、学びやであるべき教室に盗聴器とかいわゆる盗撮ビデオが持ち込まれて、その中身が週刊誌に出るというのは、これは学問の自由を侵すことになりはしないかという大変な危惧を持っております。事実、早稲田大学も厳重に抗議をしているわけであります」

その上で核兵器と憲法について答弁した。

「私は、我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは憲法第九条第二項によって禁止されていない、したがって、そのような限度の範囲内にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」

「岸内閣の見解、岸答弁も紹介しております」

核兵器が合憲であるというのは、岸・安倍のファミリー政治家内での見解にとどまらない。日本政府の公式見解だ。2016年3月18日の参議院予算委員会では、横畠裕介内閣法制局長官が「憲法上全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えておりません」と答弁した。

脈々と権力中枢に引き継がれるこの土台の上に、岸田政権は昨年末、安保3文書の改定を閣議決定した。

自衛の範囲が曖昧になっている中では、日本が核兵器を持つ日が来る可能性は大いにあると私は考える。中国などとの軍事競争の中で防衛費が増大し、斜陽の日本経済が耐えられなくなった時には「核武装が合理的」という考えも出てくるだろう。

岸田首相は非核三原則を堅持するとは言っている。だが安保3文書の改定という歴史的な政策転換を、閣議で決めてしまうような政権だ。非核三原則も同様にあっさりと放棄しても不思議ではない。

広島出身をアピールする岸田首相は、自身のホームページで「世界で唯一の戦争被爆国である日本はこれまでもこれからも平和国家として歩みます」と掲げている。字面がむなしい。

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