編集長コラム

「Tansaスクープ」とは(45)

2023年02月04日18時04分 渡辺周

Tansa Schoolの一環でこの1年半、広島のフリースクール「木のねっこ」で研修をしてきた。疑問を持ち、自分で調べて発信するというジャーナリズムの基本動作を、将来ジャーナリストになるかは別としても若い時に身につけてほしいという思いからだ。小中学生たちは、取材テーマを自分で設定し、実際に取材して記事を書くことにチャレンジした。研修のタイトルは「スクープを放つ!」。

広島の宮島で開いた最初の研修で、私は3択クイズを出した。「スクープ(scoop)という英語の本来の意味はなんでしょう?

①やっつける ②すくいとる ③有名になる

答えは②。全員が正解した。この時私は、この若者たちは有望だと確信した。実際、生徒たちが選んだのは「すくいとる」という意思が感じられる取材対象だった。田上史花さんは飼い主に捨てられた保護犬、横山怜勇さんはコロナ禍でもマジックで元気を与えようと奮闘するマジックバーの店主、田上晃さんは余った食品をスーパーなどから提供してもらいホームレス支援団体や子ども食堂に配っている団体を取材した。

スクープというと派手で激しいイメージだ。しかし私は、村八分に遭って苦境に立つ人のこぼれ落ちそうな声を、心静かにすくいとることがスクープの原点だと思っている。

権力者との闘いはその後だ。ジャーナリズムの役割は権力監視だが、何のために権力を監視するかというと、犠牲者のためであり、将来の犠牲を防ぐためである。

「絶望が希望に変わりますように」

忘れられない言葉がある。2018年から2019年にかけて報じたシリーズ「検証 東大病院 封印した死」の取材で知った。

調理師の齊藤聡さんが2018年10月17日、41歳で死亡した。齋藤さんは心臓に病気を抱えており、死亡する半月前の9月21日、心臓にカテーテルを入れて弁をクリップで挟むという最先端治療を受けた。治療は途中で中止され、その後、容体が急速に悪化した。

齋藤さんはこの最新治療を受けられる体力はなかったが、東大病院が「実績づくり」のため強行した結果だった。だが東大病院はこの死を隠蔽した。医療事故調に届け出ず「病死・自然死」として処理した。Tansaが報じると、それまでTansaの質問には答えなかったのに、新聞とテレビに1万字に及ぶ経緯説明をメールで送った。Tansaの報道を念頭に「事実と大きくかけはなれた、偏った内容が多いことを憂慮しておりました」と書いてあった。私はカルテや東大病院の内部文書を入手してこの事実を暴いた。記事に間違いはなく、言いがかりである。

東大病院とやりあっているさなかに、Tansaにメールが来た。亡くなった齋藤さんが15年ほど前に店長をしていた居酒屋で、大学生の時にアルバイトをしていた女性だった。入院中の齋藤さんとLINEのやりとりをしていたが、連絡が途絶えて心配していたところTansaの記事を読んだという。

その女性と、同じ時期にアルバイトをしていたもう1人の女性の2人にファミリーレストランで会って齋藤さんの話を聞いた。

魚料理がとても上手だったこと、接客に慣れていないアルバイトにも決して怒ることがなかったこと、頼れる兄貴のような存在で、アルバイトの2人とロックバンドHi-STANDARDなどの話で盛り上がったこと・・・。齋藤さんの人柄がうかがえる話をしてくれた。

齋藤さんは闘病の最中の七夕の日に、インターネット上の短冊に願い事を書き込んだ。元アルバイトの2人は大切に保存していた。

「絶望が希望に変わりますように」

この言葉をすくいとることに、私たちの仕事の意味が凝縮されている。

実名と顔を出して活動する理由

Tansaはリポーターたちが、実名も顔も出して活動している。その大きな理由の一つは、人知れず苦しんでいる人たちの声をすくいとるには、こちらの姿形を見せる必要があるこということだ。

声をあげたくてもなかなかできない人は、こちらを観察している。頼りになる人か、人柄はどうか、粘り強くやってくれるかどうかを吟味している。その時にジャーナリストが個人として、全人格をかけて、そうした声を引き寄せられるかどうかで私たちが仕事を始められるかが決まる。

実名と顔を出すことは当然、様々なリスクがある。それでも、真のスクープのために私たちは腹を括っている。

Tansaはこれからも、スクープを放ち続ける。

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