消えた核科学者

18年間拉致認定がない理由とは(53)

2024年06月05日15時29分 渡辺周

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日朝平壌宣言の際に北朝鮮が日本人拉致を認めたのは2002年9月。それから20年以上の歳月が流れたが、拉致問題は一向に進展しない。

被害者の家族は高齢化が進み、家族会の代表を務めた横田滋や、飯塚繁雄は亡くなった。

なぜ拉致問題は進まないのか。旧動燃のプルトニウム製造係長だった竹村達也の失踪事件を機に拉致問題を取材するようになって、進展を阻む大きな原因となっている組織に私はぶち当たった。

日本の警察である。

電話で済ませる聴取

拉致被害者支援法に基づき、被害者に認定されているのは17人。最後は、2006年11月20日に認定された松本京子だ。それ以降18年間、被害者認定はない。

認定は日本政府が行う。だが認定するかどうかの判断は警察の捜査に基づく。

警察は「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」として、871人をリストアップしている。拉致の可能性の度合いは様々だが、この18年間で1人も追加認定者がいないというのは異常である。

拉致の捜査を担当する警察や政府関係者への取材で耳にしたのは「拉致認定した後に、もし被害者ではないと判明した場合に北朝鮮に『これ以上拉致被害者はいない、でっち上げだ』とつけ込まれる。だから慎重に捜査している」というものだ。本当だろうか。私にはそうは思えない。二つ理由がある。

一つは捜査へのやる気のなさだ。

例えば、竹村の出身校である大阪府立天王寺高校と大阪大学の同級生たちを取材した時のことだ。大阪府警外事課は彼らに直接会うのではなく、電話で「竹村さんは動燃で核技術を扱っていたから、北朝鮮に拉致された可能性がある。何か知らないか」と尋ねていたことを知った。

同級生たちは、いずれも大阪市内を中心に関西に住んでいる。大阪府警本部から少し足を伸ばせばいいだけだ。会って話を聞けば、電話口以上にいろいろな感触が得られる。なぜその一手間をかけないのか。

私は竹村がどのような人物で、どんな研究をしていたのかを詳細に知りたかったので、彼らの自宅に東京から足を運んだ。その結果、電話では得られない事実を聞くことができた。例えば、竹村が大阪大学で学んだ冶金の知識がどういうものであったかや、動燃にいた竹村に同級生たちが会いに行った際の様子を知ることができた。

特に竹村の研究内容の把握は必須だ。核兵器の開発を急ぐ北朝鮮が竹村を拉致したなら、どのような技術と情報を欲しがるか。そのことを推察できる。

学生時代の同級生たちだけではない。警察は動燃のOBたちにも接触していない。

動燃を警備していた茨城県警と、竹村の拉致疑惑を捜査している大阪府警の連携は、ほとんどない。失踪事件の発生場所である茨城県警からの情報なしに、大阪府警はどうやって捜査するのか。

竹村が失踪した2日前には、東海村からほど近い日立市から当時19歳の女性が失踪した。茨城県警はこの件も、北朝鮮による拉致の疑いで捜査している。だが大阪府警外事課は、私から告げられるまで、その事実すら知らなかった。

失態を晒したくない

拉致疑惑への警察のやる気のなさは、捜査の失態を伴う。拉致被害は、警察が本腰を入れて捜査していれば防げた事件もあるはずだ。

このことが、拉致認定が進まないもう一つの理由だと私は考える。拉致疑惑を捜査すればするほど、過去の警察の失態を晒してしまうことになる。だから本格的な捜査をしないのではないだろうか。

その証拠に、警察は拉致が濃厚な事案についてさえ、「拉致ではない」と打ち消すことに腐心するケースが幾度もあった。

2004年3月5日のことだ。山梨県警は突如、1984年6月6日に失踪した山本美保(当時20歳)が、山形県遊佐町の海岸で15日後に発見された遺体と同一人物であると発表した。

山形県遊佐町の遺体と、美保と一卵性双生児である妹の美砂とのDNA型が一致した。山梨県警はそう説明した。

美保は1984年6月5日午前10時ごろ、図書館に行ってくると母親に告げて原付バイクで自宅を出た。2日後の6月6日、美保のバイクが甲府駅南口の歩道に停めてあったのを母親が発見した。

6月8日には、免許証が入った美保のセカンドバックが、約280キロ離れた新潟県柏崎市の海岸で発見されたことが判明する。

この海岸は、1978年に蓮池薫と奥土祐木子が北朝鮮に拉致された場所に近い。後年、民間団体の「特定失踪問題調査会」は、元北朝鮮工作員から「美保さんに似た人物を平壌で見た」という目撃情報も得た。にもかかわらず山梨県警は拉致を否定する発表をしたのである。

杜撰なDNA鑑定

山梨県警の発表は矛盾に満ちていた。

山梨県警は美保が自殺した可能性を挙げた。だが妹の美砂によると、美保が自殺するような兆候はなかった。

何より山形の海岸で発見された遺体の身体的特徴と所持品は、美保とは別人の疑いが濃厚だった。

例えば遺体が身につけていたブラジャーのサイズは「A70」なのに対して、美保が普段着用していたのは「B75」か「B80」だった。遺体のジーパンはウエストのサイズが28インチ。細くて美保にははけない。ネックレスも妹の美砂と母が見たことのない高価なものだった。

DNA鑑定の方法も杜撰だった。通常、後に再鑑定が必要になった時に備えるため、遺体の試料を保存しておくのが常識だ。ところが、鑑定に用いた山形の遺体の骨髄粉末は使い切って残っていなかった。

美保と、妹の美砂が一卵性双生児であることの確認もしていなかった。美砂は山梨県警に血液を提供させられているが、それが遺体のDNAとの照合のためだという説明を受けていない。警察は「説明した」と主張するが、美砂は「そんな大事なことを説明されて忘れるわけがない」と言う。

9年前の報道を否定してアピール

もう一つ、例を挙げよう。

1962年4月、千葉県海上町から加瀬テル子(当時17歳)が失踪した。パーマをかけに美容院に出かけると告げたまま、行方不明になった。

翌日に叔母と新宿コマ劇場に観劇に行く約束をしており、自ら失踪する理由が見当たらなかった。出かけた際の所持金もパーマ代だけだった。

事件が動いたのは、失踪から40年以上が経った2004年のことだ。

TBSの「報道特集」が、脱北した人物から「拉致された日本人女性で、同じ拉致被害者と結婚している主婦」の写真を入手した。専門家がその写真を加瀬本人の写真と比較して鑑定した。すると、報道特集が入手した写真は加瀬本人である可能性が高いという結果が出た。特に右目の下にあるホクロが一致したことが大きな根拠となった。

この報道は、これまで拉致が日本海の海岸近くで行われると考えられていたことに一石を投じた。取材チームは、千葉県付近の太平洋側から陸路で甲信越を通り、日本海側に出るルートがあったのではないかと推察した。そのルート上で拉致された疑いがある人物として、山梨県甲府市から失踪した山本美保のケースも取り上げた。

ところが、TBSの報道から9年以上が経った2013年12月、国家公安委員長の古屋圭一が記者会見し、報道特集が加瀬ではないかとした写真は加瀬ではなく、別人だったと断定したのだ。

警察庁外事課の特別指導班が、写真に写っている人物と面会したところ、加瀬ではないと判明したという。特別指導班は拉致の捜査を専門に行うため、新設されたチームだ。

この記者会見での発表には、強い違和感がある。右目の下のホクロまで一致したのに別人と断定したことも疑問だが、報道から9年も経ってから、なぜわざわざ「あれは違っていた」と発表したのだろうか。

警察の面子を保とうとしただけではないのか。国家公安委員長の古屋は、特別指導班について記者会見で言及し、こう述べている。

「特別指導班を作って、詳細な検証をしていった一つの成果ということだと思います。御本人が見つかったということではなく、むしろ、その逆ですね。御本人ではないということが確認されたわけでございますが、こうやって一つ一つ事実解明をしていくという意味では、こういった特別指導班が機能しているという象徴であると考えております」

日本の国土で、国民を外国に拉致されてしまったというのは、警察の失態だ。その失態をさらに上塗りすることはできないーー。

警察組織にはこうした意識が蔓延しているのではないか。拉致疑惑を解明する熱のなさに比べ、疑惑を打ち消そうとする時の力の入れようにそのことが現れている。

ではなぜ、このような警察の態度がまかり通るのか。そこには、この15年で特徴的な警察の動きがあった。

政府の拉致対策本部のウェブサイトより

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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