元共同通信記者の石川陽一氏が、同社を訴えてから1年と2カ月。2024年9月13日、7回目となる口頭弁論が開かれた。
Tansaはこの裁判を「報道の自由裁判」と銘打ち、報じてきた。石川氏がジャーナリストとして著した『いじめの聖域』(文藝春秋)に対して、共同通信は雇用主である立場を振りかざし、報道の自由を奪おうとしたからだ。石川氏自身、報道の自由を守ることに裁判の意義を見出している。
だが7回の口頭弁論を通して見えてきたのは、「報道の自由」という争点を避ける共同通信の姿勢だ。
原告代理人の喜田村洋一弁護士は「共同通信は結局、この裁判で何も言っていない」と呆れ、この日の口頭弁論では共同通信が沈黙する「4つのこと」を挙げた。
共同通信の沈黙①『いじめの聖域』が長崎新聞の名誉を毀損したという裁判前の主張
喜田村弁護士は準備書面で、共同通信が主張・立証していない4点を列挙した。
一つ目は、書籍『いじめの聖域』が長崎新聞の名誉を毀損したという主張についてだ。
共同通信は本発売から5日後の2022年11月14日、石川氏を社へ呼び出し約2時間にわたって聴取した。法務部長の増永修平氏は、長崎新聞の報道姿勢を批判した記述を指し、「あなたがここに書いたことで、長崎新聞さんの名誉を毀損したわけよ」と石川氏を追及した。
ところが共同通信はこれまでの裁判で、長崎新聞の名誉をどのように毀損したのかを明らかにしてこなかった。前回(第6回)の弁論で喜田村弁護士がその点を改めて問うと、共同通信の代理人である藤田雄功弁護士は「名誉毀損の有無ではない」と述べ、「名誉毀損に関して、新たな事実の主張をする考えは持っていません」と、石川氏が長崎新聞を名誉毀損したという主張を引き下げた。
第1に、被告は、本件書籍『いじめの聖域』が、被告、長崎新聞社その他の者に対して、民事不法行為である名誉毀損を構成するとは主張していない。また、これまでの応訴態度を見ると、将来においてもこの主張をすることはないようである。
共同通信の沈黙②『いじめの聖域』のどこに事実誤認や飛躍した論理があるのか
二つ目は、『いじめの聖域』に存在すると主張する「事実誤認」や「飛躍した論理」を具体的に示していない点だ。
第2に、被告は、本件書籍に、「事実誤認や飛躍した論評が存在」しているかのように述べるが、本件書籍のどの記述が「事実誤認や飛躍した論評」に当たるとするかの具体的な主張はない。この点は、原告が、2024年6月7日付け準備書面1頁などで論じたところであるが、被告は、その後も、本件書籍のどの記述が「事実誤認や飛躍した論評」に当たるとするのかについて具体的な主張をしていない。
したがって、被告がこれ以上、この点について主張・立証しないのであれば、本訴においては、「本件書籍には事実誤認や飛躍した論評は存在しない」ことを前提とされるべきである。
共同通信の沈黙③『いじめの聖域』が長崎新聞と共同通信の信頼関係を毀損した裏づけ
三つ目は、『いじめの聖域』が「長崎新聞と共同通信の信頼関係を毀損した」という主張の裏付けが存在しない点だ。
第3に、本件で被告は、本件書籍が「長崎新聞社との信頼関係を毀損した」と主張するが、この主張を裏付ける証拠は提出していない。被告と長崎新聞社との信頼関係が毀損されたと主張するのであれば、最低限、本件書籍が刊行されたことによって、長崎新聞社から被告にどのような申し入れがあったか、これに対して、被告は長崎新聞社にどのように回答したか、どのような約束をしたかなどを明らかにしなければ、前記主張が証明されたとはいえない。
しかし、被告は、これを明らかにしてこなかった。むしろ、この点については、原告が明らかにしている。すなわち、本件書籍発行日である2022年11月10日、被告の谷口誠・福岡支社長は、長崎新聞社を訪れ、本件書籍が長崎新聞社らの名誉を傷付けているとして謝罪した。この時点では、被告は原告に対する事情聴取すらしていなかったが、長崎新聞への謝罪を先行させたのである。
共同通信の沈黙④『いじめの聖域』により共同通信の社会一般の信頼が損なわれた証拠
四つ目は、『いじめの聖域』によって、共同通信の社会一般からの信頼が損なわれたという主張の具体的な内容や証拠を示していない点だ。
第4に、本件で被告は、本件書籍が「共同通信の記事及び記者の資質に対する一般的信頼を毀損し〔た〕」と主張するが、この主張を裏付ける証拠は提出していない。本件書籍によって被告ないし被告の配信記事及び記者に対する信頼が損なわれたと主張するのであれば、具体的にどのような損害を受けたのかを明らかにし、かつ、それを裏付ける証拠を提出すべきである。
また、被告は本件書籍によって被告が保護しようとした信頼が毀損されたか否かは「一般読者の基準を持って判断されなければならない」と主張している。だが、原告の知る限り、本件書籍を問題視した「一般読者」は存在せず、被告側もその存在を立証していない。
続けて、共同通信の主張とは反対に、『いじめの聖域』がむしろ社会的な信頼や評価を受けている事実を綴った。
むしろ本件書籍は、第54回大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補に選ばれた他、第12回日本ジャーナリスト協会賞・大賞など3つの賞を受賞しており、高い社会的評価を得ている。これらの受賞に際しては、一般読者からの推薦が多数寄せられている。
共同通信の唯一の「切り札」も自社にブーメラン
準備書面では、共同通信が沈黙する4点を示した上で、こう結論づけた。
被告は、これらの点について何らの反論・反証をしようとしていないのであり、被告のこのような応訴態度は十分に斟酌されるべきである。
唯一、共同通信が切り札にしているのが、石川氏が長崎新聞に対して社の見解を問う取材をしなかった点だ。
だがこれについては、原告側はその理由を説明してきた。石川氏は、誰でもアクセスできるデータや公然の事実をもとに、長崎新聞への批評を本に綴った。
たとえ相手を取材していなくても、事実をもとに批判することは共同通信も行っている。原告側は、それらを証明する共同通信の過去の記事を集め、証拠として裁判所に提出した。これらについて共同通信は反論をしていない。
社によるジャーナリスト個人への越権行為
共同通信は司法の場で、『いじめの聖域』の問題点を挙げられないでいる。
ところが実際には、『いじめの聖域』の内容から、「共同の記者の水準には達していない」と評し、石川氏を記者職から外した。この日の裁判でも触れられた。
原告は、半年間の育休が明けた2023年4月3日に千葉支局へ出社すると、待ち構えていた江頭建彦・総務局長から、「今回の本についての石川さんの表現が、さっき言ったように記者活動の指針に反して共同の記者の水準には達していないということは明らかだと思っておりますので、この点については反省をしてほしいと思います」「石川さんにはですね、取材・出稿を伴う現場から一度外れていただきたいというふうに社として対応を決めました」(中略)と通告された。
だがそもそも、この本は共同通信での業務としてではなく、一ジャーナリストとして石川氏個人が取材・執筆したものだ。出版元も、文藝春秋だ。
第三者である共同通信が、自社にとって不都合な内容であったことを理由に人事権を行使することは、筋が通らない。社によるジャーナリスト個人への越権行為だ。
共同通信自身、そのことをよく理解しているのではないか。社長の水谷亨氏をはじめ、幹部の多くが記者出身だ。長年、報道の現場に身を置いてきた人たちが分からないはずがない。
しかし、経営のことを考えれば加盟社である長崎新聞の機嫌を損ねることがあってはならない。何とかこの裁判を切り抜けようとした時、出てきたのが「沈黙作戦」なのではないだろうか。
次回期日:11月1日午後4時から東京地裁611号法廷
原告と被告双方は補充する主張を提出し、裁判所が双方のこれまでの主張をまとめることが決まった。
次回期日は11月1日午後4時、東京地裁の第611号法廷で開かれる。
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