遺族への取材は「必要ない」、著者の「私怨」が動機の「悪意に満ちた本」/「当社だけではなく、共同通信の加盟各社にも波及する問題」 /長崎新聞から共同通信への「見解文書」入手①
2024年11月15日7時00分 中川七海
長崎新聞社=2024年11月10日、中川七海撮影
長崎新聞は一体何を考えているのか。
共同通信の記者だった石川陽一氏が、文藝春秋から『いじめの聖域』を出したのは2022年11月。著書で長崎新聞を批判した。共同通信は石川氏を責め、重版の禁止を通知するとともに、記者職を解いた。
これに対して石川氏は2023年7月、共同通信を提訴した。本シリーズで報じている「報道の自由裁判」だ。
ところがこの間、長崎新聞は共同通信を矢面に立たせ、自らは沈黙してきた。
Tansaは長崎新聞の「本音」がわかる文書を入手した。約5000字、A4用紙4ページにわたる。出版翌月の2022年12月に、長崎新聞が共同通信に送った文書だ。
タイトルは「共同通信記者・著『いじめの聖域』に関する見解」。
そこには、報道機関としての使命を捨てたとしか思えない文言が並んでいた。
「石川問題」について、共同通信長崎支局長が総務局長にメール
2022年12月19日、共同通信長崎支局の山下修支局長が、本社の江頭建彦総務局長にメールを送った。
件名:Re: 長崎新聞報告書の件
江頭様
長崎支局の山下です。
石川問題での長崎新聞の報告書(見解)を添付してお送りします。
全4ページです。
よろしくお願いいたします。
共同通信社長崎支局
山下 修
共同通信が「石川問題」と呼ぶのは、『いじめの聖域』を書いた石川陽一記者のことだ。本が出版された時は、長崎支局から千葉支局に異動していた。
『いじめの聖域』は、長崎県で起きた高校生のいじめ自殺事件を追った本だ。
2017年、私立・海星学園高校に通う福浦勇斗さん(当時16歳、高校2年)が、同級生からのいじめが原因で自ら命を絶った。遺書が入ったショルダーバッグを肩から下げ、人目につきにくい自宅近くの公園の木で首を吊って亡くなった。
遺族は息子の死の真相を知りたかった。ところが学校は遺族に対し、「自殺」ではなく「突然死」として公表することを提案する。事実と異なる上、死因の捏造は国が定めるガイドラインに反する行為だ。遺族には、とうてい受け入れることはできない。
遺族は県に助けを求めた。ところが県は「突然死までならギリ許せる」と、学校の提案を追認。のちに県は緊急の記者会見を開き、発言が不適切だったとして遺族に謝罪した。
しかし、報道にはばらつきがあった。地元紙の長崎新聞は、地元行政である長崎県への追及に及び腰だったのだ。
『いじめの聖域』で石川氏は、いじめ自殺を隠蔽しようとする学校や行政を批判するとともに、地元紙である長崎新聞の報道姿勢も批判した。
2022年11月9日に文藝春秋から発売されるや否や、長崎新聞は自社が批判されたことを問題視する。発売翌日には、謝罪にやって来た共同通信・福岡支社長の谷口誠氏に対して、長崎新聞の石田謙二編集局長、山田貴己報道本部長、向井真樹報道部長が抗議した。
その約1カ月後の2022年12月19日に長崎新聞が共同通信に提出したのが、「共同通信記者・著『いじめの聖域』に関する見解」だ。冒頭のメールにあるように、共同通信長崎支局の山下支局長が、本社の江頭総務局長に届けた。
「長崎新聞社の社会的信用を貶める目的」
長崎新聞は見解文書の中で、石川氏の書籍について次のように評した。
本書11章の内容は、事実を意図的に捻じ曲げて解釈し、長崎新聞を攻撃している。その主たる動機は、石川記者自身が「スクープ」として配信した記事が、当社をはじめ地元メディアに取り上げられなかったことへの私怨のようである。
当社にしてみれば、長崎新聞社の社会的信用を貶める目的で、石川記者にとって不都合な事実は無視し、都合の良い事実だけを捻じ曲げて意図的に解釈した悪意に満ちた本としか言いようがない。
では何をもって、「悪意に満ちた本」とまで長崎新聞は主張するのか。
例えば、長崎新聞の記事を「アリバイのように小さく載せた記事」と表現したことだ。
以下のような経緯だ。
2020年11月、石川氏は独自の取材により、勇斗さんの自殺を「突然死」とする学校側の提案を、県総務部学事振興課・松尾修参事が追認していた新事実を掴んだ。学事振興課は私立学校を管轄する部署である。にもかかわらず、死因の捏造提案を認めた。スクープだ。「海星高が自殺を『突然死』に偽装/長崎県も追認、国指針違反の疑い」と共同通信から報じると、Yahoo!ニュースでトップページに載るなどし、長崎県庁には抗議の電話が殺到した。
翌日、県総務部が緊急の記者会見を開いた。追認発言が不適切だったと認め、遺族に謝罪した。
記者会見翌日には、西日本新聞や読売新聞などのメディア各社が、県の落ち度を報じた。
各社は遺族へも取材し、父・大助さんの声を掲載した。
「県と学校が一緒になって突然死にしようとしたと感じ、驚いた」(西日本新聞)
「県の発言として違和感を覚えた。今後、同様の発言がないようにしてほしい」(読売新聞)
ところが、長崎新聞は違った。紙面の1段分のスペースに、小さい記事が載っただけだった。これを石川氏は著書で、「アリバイのように小さく載せた記事」と表現した。
見出しは「『突然死』追認報道 県は「積極的」否定/海星生徒自殺」。記事本文は、県を庇う内容だった。石川氏のスクープを「一部報道」と表現し、記者会見での県側の釈明を前面に出していた。
「学校の立場を積極的に正しいと追認したとは思わない」
「『転校はおかしい』と強調するあまり、『突然死』という表現を少し軽んじてしまったのではないか」
遺族に取材しないでなぜ分かる?
遺族の声は全く取り上げられていなかった。理由について長崎新聞は、見解文書に記している。
県は会見で、当時の担当者が学校に対し「転校は事実に反するので適切ではない」と指導する一方で「ケースによっては突然死ということはあるかもしれない」と発言したことを認め、遺族に対し謝罪。本紙はそれをそのまま記事化しただけである。
遺族は2019年の会見で学校側が突然死を提案したことだけを指摘し、「県の追認」については全く触れていないので、少なくとも当初は遺族も県の対応を問題視していなかったと考えられる。今回は共同通信が問題視している件について県が謝罪したのだから、当社が遺族に運絡して、わざわざ面倒な取材の対応をしてもらう必要はないのである。
遺族に取材していないのに、本当に「少なくとも当初は遺族も県の対応を問題視していなかったと考えられる」と言えるのだろうか。
記者クラブを笠に着て
長崎新聞の見解文書では、石川氏の著書での次の記述にも反論した。
思わぬ所から、大田に助太刀する人物が現れた。長崎新聞のベテラン男性記者だった。彼は筆者と大田の会話に割って入って、こう言った。
「ユーチューブで会見は流れるのだから、個人名を出すというのは、どうかしたら名誉毀損とかになりかねない。あなたはあなたで質問して良いかもしれないけれど、記者クラブの問題になってくるわけだから。そこら辺を自覚してやってもらわないと。県政記者クラブとしてもあんまり行きすぎたことをされると、それはそれなりに対応せざるを得なくなりますよ」
この時の状況を補足する。
石川氏は2020年12月の知事会見で、突然死を追認した松尾修元参事の名前を挙げた。
松尾氏はこの当時、県内公立高校の校長に就いていた。石川氏は、法律やガイドラインを理解していない松尾氏が校長職に就くことが適切か否かを、中村法道知事に質したのだ。
この質問に対して、大田圭総務部長が注意する。
「知事にあんなことを聞くなんて、ルール違反だ! 」
「一連の流れの中で(突然死はギリ許せると松尾修は)言っているわけですよ。それを一部だけ切り取って、そこの反応どうなんだ、とこの場でぶつけるのやめてもらえますか」
石川氏と大田部長は口論になる。そこに「長崎新聞のベテラン男性記者」、堂下康一記者が大田部長の助太刀に加わったというわけだ。
長崎新聞の見解文書では、この時の堂下記者の言動を支持する。
本書に記載の通り、当社記者はインターネットでライブ中継されている記者会見において、石川記者が犯罪者でもない一県職員の実名を挙げ、その人格までを否定するかのような質問をしたことについて、下手をすれば名誉棄損になりかねず、そうなると記者クラブ全体に波及する問題であるから、質問の手法については気を付けてほしい、と注意しただけである。
なお、この記者会見における石川氏の質問については他社からも疑問の声が上がり、共同通信長崎支局の山下修支局長は2021年1月、「知事会見で県職員の実名を挙げて質問したことが配慮にかける行為だった」として、県を通じて記者クラブ加盟各社にお詫びのメールを配信している。だが、その事実について本書には一切記載がない。
だが松尾氏は、「参事」という県の幹部として遺族対応にあたった。その後は高校の校長を務めている。
その人物が、高校生のいじめ自殺という重大事件において、国のガイドラインに反する対応を行ったのだ。実名を挙げて批判して何の問題があるのか。
長崎新聞は、共同通信も記者クラブも同じ考えだと主張する。だがそれは、行政と記者クラブ加盟社の馴れ合いを、図らずも自白しているのと同じだ。
第三者の「ゲラチェック」
長崎新聞の見解文書には、憲法で保障された「表現の自由」を侵しかねない内容まであった。第三者による「ゲラ」のチェックに言及しているのだ。ゲラとは、出版前に確認するための、レイアウトされた原稿のことだ。
石川記者は千葉支局で本書の出版を共同通信社に申請し、認められている。しかし、前述のように、石川記者は長崎支局においてこの事件をめぐって記者クラブで問題を起こし、長崎支局長が記者クラブにおわびしているのである。
記者クラブに謝罪するというのは報道機関として重大な事態であり、共同本社はもちろん、異動先の千葉支局でも情報共有されていたはずだ。なのに、なぜ千葉支局長が安易に出版を許可し、ゲラのチェックもしなかったのか理解に苦しむ。
『いじめの聖域』は、社外での執筆許可を受けた石川氏が、勤務時間外に執筆し、文藝春秋から出版した書籍である。出版に関して共同通信社は第三者だ。第三者が公表前のゲラのチェックをすることは越権行為だ。
表現の自由を保障する憲法第21条では、表現の事前抑制(prior restraint)につながる行為は、原則禁止されている。表現物を事前に差し止めることにより、人々の知る権利が失われることがあってはならないからだ。
長崎新聞は、行政との馴れ合いの場となっている記者クラブを持ち出し、そこで問題を起こしたから、第三者であってもゲラのチェックをするべきだという。理解に苦しむのは、長崎新聞の主張だ。
「当社の名誉は本書によって将来に渡って毀損され続け、損害が発生し続ける」
長崎新聞の見解文書は、共同通信と長崎新聞の関係性を持ち出し、締め括られていた。
今回は当社だけではなく、共同通信の加盟各社に波及する問題である。週刊誌等から事実無根の記事を書かれた場合、地方紙は名誉棄損で訴えようにも、膨大な訴訟コストがかかるので泣き寝入りせざるを得なくなる。無関係の相手なら諦めもつくが、今回はいわば身内の共同通信記者である。地元紙と共同通信社は同業他社よりも関係性が強く、色んな情報をやり取りする。相互に信頼しているからである。仮に今回、共同通信が「業務外の問題だから対応しない」とするならば、信頼関係は崩壊する。
当社の社会的信用を損なう本書は、既に全国で出版され、長崎県内でも店頭に並び、各地の図書館でも購入・貸し出しが進んでいる。当社の名誉は本書によって将来に渡って毀損され続け、損害が発生し続けることとなった。当社は今回の件で、共同通信社にお詫びしてほしいわけでも、当該記者を処分してほしいと要求しているわけでもない。このような状況に至り、当社に共同通信社がどう対応していただけるのかを聞きたいのである。
以上
長崎新聞の見解文書は、共同通信社の加盟社の立場を利用した脅しではないのか。私には、そう思える。
長崎新聞は、この文書を読んだ遺族がどのような気持ちを抱くのか、想像したことがあるのだろうか。
Tansaはこの文書を入手後、急きょ長崎へ赴いて遺族にインタビューをした。
次回、報じる。
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