Tansaは今、「国葬文書」を隠蔽した日本政府と裁判で闘っています。明日12月25日は、初めての口頭弁論が東京地裁で開かれます。
私たちが提訴に踏み切ったのは、安倍晋三元首相の国葬を閣議決定で決めたプロセスが不明だからです。2022年7月12日から3日間、官邸と「法の番人」である内閣法制局が協議したのは確かなのですが、その記録文書を情報公開法に基づいて開示請求しても、政府は開示しません。
記録文書を開示しないのは、「作っていない」または「捨てた」という理由です。
不開示決定をした時の総理大臣は、岸田文雄さんでした。しかし、石破茂さんが総理になった今、情報公開制度を愚弄したこの態度をどう考えるだろうか。私たちは石破さんの過去の言動を調べました。
すると、ありました。国葬を間近に控えた2022年9月9日、「石破茂ブログ」で「国葬についての議論など」と題する記事を投稿していました。
首相官邸ホームページより
当時の法制局長官の方が「説得的」
ブログでは国葬の実施について、石破さんは過去の経緯を示しながら、否定的な見解を述べています。
1975(昭和50)年6月3日未明に佐藤栄作元総理が逝去した際、同日午前8時に急遽開催された政府・自民党の首脳会議に陪席した吉国一郎法制局長官(当時)は、「司法・立法・行政の合意が必要だ」と述べた、と報ぜられています(同日日経新聞夕刊).
当時の最大野党であった日本社会党が国葬に否定的であったこともあり、佐藤元総理の葬儀は国葬ではなく、政府・自民党の他に財界なども主催者となって費用を分担する「国民葬」として執り行われました。私にはこの吉国長官の発言の方が、より説得的であるように思われます。
石破さんは、単に当時の吉国・内閣法制局長官の発言が「説得的である」と書くのに留まらず、さらに筋道立てた論理で自身の見解を展開します。
旧憲法下における「国葬令」に基づく国葬は、唯一の主権者であった天皇から下賜されるものであったため、その決定に異議をはさむ余地は法的にも全くなかったのですが、現行憲法下で主権者が国民となった以上、今後国葬を執り行うに当たっては、この「国民の意思」が表明される必要があるものと考えます。
「誰を国葬とすべきか」の基準を定めることはまず不可能でしょうが、決定に至るプロセスにおいて「主権者である国民の意思」が表明される、ということが重要です。そしてそれには、憲法上「国権の最高機関」と位置付けられ、全国民を代表する議員によって構成される国会の議決がまず必要でしょう。両院の議決があって、意見を求められた内閣(内閣総理大臣)が、これに異存のない旨を表明する、という流れが考えられます。
「『国民の意思』が表明される必要がある」、「全国民を代表する議員によって構成される国会の議決がまず必要」――。その通りだと思います。
民主主義の本質
「国民の意思」が表明されないまま、国葬実施にひた走る政府に、石破さんはよっぽど忸怩たる思いを抱いていたのでしょう。上記のブログから1週間後の9月16日にも、国葬について言及していますね。
その中で私たちが「我が意を得たり」と思ったのは、石破さんが民主主義の本質について「意思決定に至る手続きの整備だ」と述べているところです。
私たちが政府を提訴することに踏み切ったのも、記録を残し、公開し、それを社会全体で検証するという民主主義の基本が崩れていると判断したからです。意思決定に至る手続きが整備されていないのです。
政治権力のあまりの劣化であり、アンフェアです。
内閣総理大臣として、国葬文書の開示を決断してください。
記録のない国一覧へ重要な政策決定の過程や、協議内容を記録した文書が「存在しない」ことはありえるのでしょうか。私たちは2022年7月から、安倍晋三・元首相の国葬実施に関する行政文書の開示請求を続けてきました。探査報道シリーズ「記録のない国」へのご支援をお願いします。文書の開示を求める署名も実施中です。