12月25日、東京地方裁判所にて「国葬文書隠蔽裁判」の第1回口頭弁論が開催されました。原告のTansa編集長・渡辺周が約10分にわたって意見陳述しました。全文を公開します。
意見陳述全文
Tansaは、ジャーナリズムの実践を通じ、民主主義の堅持に資する報道機関です。その代表者として、意見を申し述べます。
国葬反対の声が上回った世論
まず、被告が「記録を取得していない」「廃棄した」という理由で不開示決定をした対象文書が、なぜ重要なのかを説明します。
安倍晋三元首相の国葬の実施については、2022年当時、世論が二分され、しかも反対の声が上回っていました。政府は同年7月22日の閣議決定によって国葬の実施を決めましたが、その決定を支持しない人が多かったのです。
閣議決定翌月の8月から9月にかけて報道各社が行った世論調査は、次のような結果でした。
共同通信 「納得できない」56%、「納得できる」42.5%
毎日新聞 「反対」53%、「賛成」30%
産経新聞・FNN 「反対」51.1%、「賛成」40.8%
朝日新聞 「反対」50%、「賛成」41%
読売新聞・NNN 「評価しない」56%、「評価する」38%
さらに、法の専門家たちも国葬反対の声を挙げました。
憲法研究者85名は「政府による安倍元首相の国葬の決定は、日本国憲法に反する」という声明を出しました。東京弁護士会をはじめ、全国の弁護士会も相次いで反対声明を出しました。
首相が言明した重み
しかし政府は、2022年9月27日、安倍元首相の国葬を東京の日本武道館で実施しました。国会に諮ることもありませんでした。
なぜ政府は、世論が真っ二つに割れる中、閣議決定のみで国葬を実施したのでしょうか。
その「唯一の支え」が、2022年7月12日から14日の3日間にわたって行われた、内閣法制局第一部、内閣官房内閣総務官室、内閣府大臣官房総務課による協議です。この協議が閣議決定による国葬実施の支えとなったことは、当時の岸田文雄首相が記者会見と国会で述べています。
例えば7月14日の記者会見で、岸田首相は国葬を閣議決定で行うことについて次のように語っています。
「これにつきましては、内閣法制局ともしっかり調整をした上で判断しているところです。こうした形で、閣議決定を根拠として国葬儀を行うことができると政府としては判断をしております」(甲2・11頁)
国会でも、9月8日の衆議院議院運営委員会で、岸田首相は、「内閣法制局ともしっかりと確認の上で、政府として判断ができるという判断の下に今回の決定を行った」(甲24・8頁)と答弁しています。
日本政府の責任者が、国民の知る権利に応える記者会見、そして国権の最高機関である国会に対して、内閣法制局との協議が閣議決定による国葬実施の支えとなっていることを言明したわけです。
被告は協議記録について「当該意思決定に与える影響がないもの」として、作成していないか廃棄していると主張していますが、それは「首相が嘘をついた」と言っているのに等しいと言わざるを得ません。
現首相の考えとも矛盾
閣議決定で国葬を実施することについて協議した記録がいかに重要か。そのことは現首相の石破茂氏も認識しているはずです。2022年9月9日付の石破氏のオフィシャルブログから引用します。
1975(昭和50)年6月3日未明に佐藤栄作元総理が逝去した際、同日午前8時に急遽開催された政府・自民党の首脳会議に陪席した吉国一郎法制局長官(当時)は、「司法・立法・行政の合意が必要だ」と述べた、と報ぜられています(同日日経新聞夕刊)。
当時の最大野党であった日本社会党が国葬に否定的であったこともあり、佐藤元総理の葬儀は国葬ではなく、政府・自民党の他に財界なども主催者となって費用を分担する「国民葬」として執り行われました。私にはこの吉国長官の発言の方が、より説得的であるように思われます。
旧憲法下における「国葬令」に基づく国葬は、唯一の主権者であった天皇から下賜されるものであったため、その決定に異議をはさむ余地は法的にも全くなかったのですが、現行憲法下で主権者が国民となった以上、今後国葬を執り行うに当たっては、この「国民の意思」が表明される必要があるものと考えます。
「誰を国葬とすべきか」の基準を定めることはまず不可能でしょうが、決定に至るプロセスにおいて「主権者である国民の意思」が表明される、ということが重要です。そしてそれには、憲法上「国権の最高機関」と位置付けられ、全国民を代表する議員によって構成される国会の議決がまず必要でしょう。両院の議決があって、意見を求められた内閣(内閣総理大臣)が、これに異存のない旨を表明する、という流れが考えられます。
石破氏は1週間後の9月16日付のブログでも国葬に言及する中で、民主主義の本質を「意思決定に至る手続きの整備」だと述べています。
国会を通さないどころか、閣議決定に至るプロセスを示す記録すら「不存在」だという主張は、石破首相の考えとは大きく矛盾しています。
記憶に基づく報告はあり得ない
次に、協議内容を記録していないという被告の主張がいかに荒唐無稽であるかを述べます。
内閣法制局の応接録(甲5)によると、3日間の協議には内閣法制局の乗越参事官と森下参事官補、内閣官房内閣総務官室と内閣府大臣官房総務課の担当者が参加しています。
協議の場面を想像してみてください。このメンバーは3日間、記録も取らずに話し合いを続けていたのでしょうか。それとも無言で顔を突き合わせていただけなので、記録を取る必要がなかったのでしょうか。
また応接録の備考欄には、「近藤長官、岩尾次長及び木村第一部長に相談済み」とあります。乗越参事官と森下参事官補は、上司たちに報告する際、記憶を頼りに協議内容を報告したのでしょうか。
内閣官房内閣総務官室と内閣府大臣官房総務課の担当者も、関係各所への報告があり、それが岸田首相に上がったはずです。これらも記憶をもとに行ったのでしょうか。
情報公開制度は民主主義の基盤
民主主義の基本は、記録を残し、それを基に社会を構成するすべての人が検証できるようにしておくことです。情報公開法の第三条でも、開示請求の権利について「何人も請求できる」と定めています。日本国民でなくても、日本の社会を良くしたいと考える全ての人に開かれた制度なのです。年齢も問いません。
情報公開法は第一条で、法の目的を次のように定めています。
この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
私たちは、国葬の是非を問いたいのではありません。民主主義が機能不全に陥らないよう、ここで歯止めをかけたいのです。国葬文書だけではなく、近年、政府による公文書の隠蔽や改ざんが横行しているからです。
日本の民主主義の一角を担う裁判所が、情報公開に対する行政府の態度を改めさせることを切に願い、私の意見陳述を終わります。
次回期日:3月12日午後3時30分東京地裁第522号法廷
次回期日は、2025年3月12日(水)午後3時30分より、東京地裁522号法廷で開催します。多くの傍聴希望者がこられる見込みですので、お早めにお越しください。
本裁判の訴状や証拠資料等は、公共訴訟を支援するプラットフォーム「CALL4」にて順次公開します。
Tansaは、民主主義の基本である情報公開制度を蔑ろにする政府に対し、市民の怒りの声を届けるため、オンライン署名を立ち上げました。署名はこちら。
本裁判および報道へのサポートも募っています。いただいた支援は、情報公開の手続きに関する費用、長期にわたることが予想される裁判の事務費用や人件費などに活用します。
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