ミキサー車の運転手らでつくる生コン産業の労働組合、「関生(かんなま)支部」への警察・検察による弾圧には特徴がある。
一つは、長期間にわたり勾留することで自白を引き出そうとする「人質司法」で臨んでいること。
もう一つが、捜査当局がフェイクニュースの根源になっていることだ。関生支部に反社会勢力のレッテルを貼ることで、それを真実かのように新聞やテレビが報じ、SNS上ではデマが横行している。
Tansaは関生支部の組合員やその家族、心ある経営者や法律家らの証言を、毎週水曜日に報じていく。反社会勢力のレッテルを貼られるような人たちでは決してない。そのことが理解できるはずだ。
初回は、関生支部組合員の小見薫さん。2011年、大阪府警警備部と大淀署に逮捕、約3カ月間勾留された。
社員の待遇改善を経営側と交渉する中で、給料などが記された資料6枚を印刷して持ち帰ったことが「窃盗」の罪に問われた。逮捕の翌日、産経新聞は「社内情報窃盗容疑で関生支部組合員の女逮捕」と報じた。
会社には警察官がよくお茶を飲みに来ていた
私は当時、次男と三男と3人で暮らしていました。長男は東京で大学生活を送っていました。
2011年2月3日の早朝、私は次男のお弁当を作っていました。ちょうど関西大学を受験する日だったんです。そうしたらピンポンが鳴って。ドアを開けたら、大阪府警の警察官たちが、あれよあれよという間に大勢で入ってきました。家宅捜索ですよね。
「なんで? 」っていう感じでした。最初は子どもが何か悪いことをしたのかと思ったんです。
そしたら、まさかの私の逮捕でした。次男は受験だからどうしても行かせてほしいと警察に頼んで、本人にはお弁当を作れないからお金を渡して「これで何か食べて」と送り出しました。高校生だった三男にも登校するよう言いました。子どもたちが出かけた後も、ずっと家宅捜索をしていましたね。
容疑は社内データを6枚印刷し、持ち帰ったことによる「窃盗」です。
私は事務員としてその会社に勤め、関生支部の組合員としては経営側と団体交渉をしていました。給料が組合員と非組合員で違うのかを確かめたかったんですが、ある日、給料が分かる資料が、社内パソコン内の削除ボックスに捨ててあるのを見つけました。それを印刷し持ち帰ったところ、逮捕されたんです。
私は全然気付かなかったんですけど、後から聞いた話では、私の机の頭上には監視カメラがついていたそうです。社長と大阪府警とは仲良しで、よく警察の人が会社にお茶を飲みに来てたのは知っていたんですけどね。
「お母さんの考えが分かれば、もうそれでいい」
同じ窃盗容疑で2011年4月12日に再逮捕された時も合わせると、計3カ月間は勾留されていました。
取り調べでは、雑談には応じるけども黙秘しました。刑事からも検事からも「労働組合活動をしていたら、子どもさんたちも大変な思いをする」というニュアンスのことは言われましたね。
私は自分のことはいいけれど、子どものことが心配でした。未来ある息子たちが、例えば警察官になりたいとか、裁判官になりたいとか、政治家になりたいとかいう時に足を引っ張られるんじゃないかって。そういうことを思った時に、私が労働組合に入っていることで足を引っ張られるんじゃないかと一瞬、頭をよぎったりしました。労働組合を辞めさせようとする刑事や検事には応じませんでしたけど。
私が勾留されていた2011年は、東日本大震災が3月に起きて東京の長男は大阪に帰ってきていました。兄弟で面会に来た時はすごく複雑でした。私は何も悪いことをやっていないけれども、何もやっていない人が捕まるわけがないというのが常識ですから、子どもたちとの会話はちょっとチグハグになったんです。
その後釈放されて家に帰ったんですが、離婚して母子家庭だったんで「お父さんの籍に入ったら」って言ったんですよ。なぜかと言うと、私が嫌なのではなくて、子どもたちの将来を見据えた時に、どんな職業でも就けるということを考えると、母親が前科者で、不利になったら嫌だなって私が勝手に思って。そしたら長男は「お母さんがそういうふうに考えてくれてるっていうことが分かれば、もうそれでいいから」「僕たちは何も言わないから」って。
「社長と労働者は対等」に感動
自分が悪いと思っていなくても、捕まったというのは一応事実であって、いろんな人からそういう目で見られたこともあると思う。もう、心折れたんですよ。ピンポンが鳴るとものすごく怖くて。“ピンポン恐怖症”になりました。すごく仲良くしていた社員さんには裏切られました。警察に私のことを悪く言っている調書を読んだとき、ショックでしたね。
でも、そこで労働組合を辞めちゃうと、本当の犯罪者みたいになっちゃうのが嫌で、私はそうじゃないんだと。だからこそ、間違っていないという思いで続けていく。やめるのは簡単だったんですけど、そうすると私のやってきたことが、何も意味がなくなると思って残っています。
私は関生支部に入るまでは、労働組合っていうものを知らなかったんですね。入って一番感動したというか、びっくりしたのが、経営者も労働者も対等っていうこと。それまでは社長さんが偉くて会社は絶対。逆らうと辞めなければならないと思っていました。労働組合員になると、団体交渉やストライキをする権利があって、「労使対等」で話ができるということにすごく感動を覚えたんです。
一方で、労働者の権利を認めさせるためにしっかり活動ができているのは、関生支部くらいしか私は知らない。だからこそ、今回の弾圧のように狙われたんだと思います。
ポンと判子を押すだけの裁判官
警察・検察と違って、裁判官は言えば分かってくれると思ったんですよ。それが見事にひっくり返って。裁判官も結局は同じだなって思ったんですよ。
なぜかと言うと、勾留を裁判官が許可する手続きは、文書を見て話を聞いて決めるのかと思ったんですけど、書類を見てポンと判子を押して、はい終わりっていうそれだけだったんで。初めて私は「え? 」って思ったんですよ。
それまで裁判官のことを、天秤を持って中立でいると思っていたんですけど、違うって気づいた。どっちかっていうと、検察寄りだなって。
人質司法とよく言われているように、軽微な事件であっても、私の時のように3カ月間も親子を分断させて勾留する。普段の生活をさせないという「人質」。そういう司法のやり方が日本では現実であるということを、世界中の人に言いたいです。
逮捕されたことは新聞に実名で載りました。でも新聞社から取材を受けたことがないんです。
我々がお願いしたいのは、真実をいろんな人に伝えてほしいんです。暴力団みたいな言われ方や見られ方をするのは、納得いかへん。関生支部の組合員たちは私の中では好きな子たちだし、一緒に頑張っていきたい。
真実を伝えてほしいなと思います。
【取材者後記】息子の大学受験日を狙った警察の暴力性/リポーター 中川七海
小見薫さんは、私の母と重なる。
愛想がよく、仕事をテキパキとこなす。年齢が近く、関西弁で話すところも同じだ。シングルマザーとして子どもたちを育ててきた。
2011年2月、小見さんが逮捕された日は、次男の関西大学の受験日だった。私もこの年、関西大学を受験している。早くに目が覚め、参考書を読みながら朝食をとった。そわそわする朝だった。情景が目に浮かんだ。
だが、この先は想像ができない。警察官がどっとやってきて、逮捕令状が読み上げられる。リビングから子ども部屋まで家中を捜索される。「せめて子どもは受験に行かせてください」と母が懇願し、「これでお昼ご飯を食べて! 」とお金を渡される。こんなことが目の前で起きた後に、冷静に受験に向かえるはずがない。
警察がこの日を狙ったのは、わざとだと思う。関生支部の壊滅のために徹底弾圧を加える警察の過去の手法を振り返ると、自ずと分かる。「関生支部に入っているから、こんな目に遭うんだ」と、本人やその家族に分からせるためにやっているのだ。
それだけでは終わらない。罪を認めず、組合を脱退しない小見さんを、捜査機関は3カ月間勾留した。
マスコミは小見さんを実名で報じた。SNS上では、小見さんら関生組合員に「暴力団」のレッテルを貼って、権力側を後押しするための誤情報が流布されている。
小見さんが暴力団員に見えるだろうか。
暴力的なのは、子どもの大学受験日を狙って権力を濫用する警察官たちだ。
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