遺書に記した「マスコミにかぎつかれないように」 息子の不信感、裏付けた共同通信と長崎新聞 遺族が問う「報道とは何か」
2025年04月23日18時34分 渡辺周
亡くなった福浦勇斗さんの命日に、長崎県のいじめ対策の現状について報道陣に説明する母・さおりさん=長崎市で2025年4月20日、千金良航太郎撮影
長崎・海星学園高校2年の福浦勇斗さんは2017年4月20日、学校でのいじめを苦に自死した。
亡くなった現場には、「第一発見者へ」と書かれた遺書があった。「家族に迷惑をかけたくないから」と次の言葉が記されていた。
「マスコミにかぎつかれないようにして」
遺族も新聞社などのマスコミには不信感があったが、共同通信の記者だった石川陽一氏には心を開いた。
石川氏は、著書『いじめの聖域 キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録』(文藝春秋)で、長崎新聞を批判した。海星高校を県がかばい、その県を地元紙の長崎新聞がかばうという癒着があったからだ。
ところが石川氏は、共同通信から「出版の了解」を取り消された。長崎新聞が共同通信に抗議したからだ。長崎新聞は共同通信の加盟社であり、加盟料を払ってくれる「お客様」だ。記者職も追われ、退職を余儀なくされた。
息子の不信感が裏付けされた。マスコミの共同通信と長崎新聞は、被害者の気持ちなど考えない。
勇斗さんの死から8年。母のさおりさんが、「報道の自由裁判」に意見書を提出した。
「共同通信がおこなってきた行為や言動、長崎新聞社の圧力によって真実をすり替えてしまったことは、真実さえも社会全体から抹殺できるということを証明したような感じさえいたします」
なぜ長崎新聞だけが報じなかったのか
さおりさんは、4月23日付で東京地裁民事第6部に意見書を提出した。以下、意見書に沿って綴る。
遺族が石川氏と出会ったのは、2019年の2月。第三者委員会が、勇斗さんへのいじめと自死の因果関係を認めた報告書を出した時だ。
遺族は、マスコミには報告書を閲覧させてもコピーはさせないよう、弁護士から言われていた。各社の記者からコピーの提供を求められても断った。記者たちは諦めた。
だが石川氏は違った。共同通信の同僚たちと、膨大な報告書をパソコンで入力して書き写す作業をした。
「このとき私たち遺族は大変驚き、共同通信社や石川記者は正確な報道をするということへの執念がある、という印象を受けました」
2020年11月には、石川氏が共同通信からスクープを出す。勇斗さんの死を「突然死」として公表することを、海星高校が遺族に提案したことに対し、長崎県の職員が「ギリ許せる」と発言していたのだ。各社が一斉に後追い報道した。
ところが地元紙の長崎新聞は報じなかった。
「長崎新聞社からも事実確認の取材を受けました。当然、記事が掲載されるものと思っていましたが、翌日の長崎新聞の紙面には取り上げられていませんでした。県職員の言動がこれだけ騒ぎになっている中で、なぜ紙面に掲載されないのか、私たちにはわかりませんでした」
長崎新聞・堂下康一記者「県は悪くない」
「突然死追認」報道の翌日、県は記者会見を開いて、追認したことが不適切だったと認めた。各社はそこに重点を置き、県に対して批判的に報じた。
だが長崎新聞は県の「積極的な追認をしたとは思わない」という言い訳を取り上げ、遺族の言い分は掲載しなかった。遺族が不思議に思っていると、長崎新聞で勇斗さんの事件を担当している記者の堂下康一氏から電話がかかってきた。
「『長崎県は悪くない。いじめ防止対策推進法を守らないといけないのは学校であり県ではない。よって長崎新聞としてはこのような記事にしました。』と一方的に言われ、今後は私たちの事案から降りる、という趣旨の連絡を受けました」
「このとき私たち遺族は、長崎新聞社の報道内容も堂下記者の発言も理解できませんでした。ただ、はっきりと感じたのは、県にとって不都合な事実を明らかにすれば、地元メディアである長崎新聞社に見捨てられるという恐怖です」
遺族は長崎新聞が、県を擁護したのだと感じた。それを確信したのは、堂下氏の2022年3月1日付コラムだ。当時の中村法道知事が新知事と交代する際に書かれた。見出しは「心から感謝」。
「知事と懇意にしていた様子や、自身の言葉で『報道の重要な役割は行政の監視とされるが、真面目に施策を進めようとする姿に触れ、後押ししたいとも思った』と書かれていました」
「報道は、弱者の味方だと信じ込んでいた私たちはこのコラムを読んだとき、言葉では言い表せないほどの衝撃を受けました。長崎新聞社は、行政の監視よりも後押しを選んでいるのだと」
「子どもの命に関わる問題、そしていじめで苦しんだ子どもの尊厳は、『突然死』への偽装を提案した学校だけではなく、それを追認する発言をした長崎県、そして県は追認していないと公の新聞で報道した長崎新聞によって、抹殺されるような恐怖を抱きました」
遺族を徹底無視する共同通信
石川氏は著書『いじめの聖域』で、長崎県を擁護する長崎新聞を批判した。長崎新聞は本の発売直後、共同通信に抗議した。
「まず私が驚いたのは、この出版に対して長崎新聞社がおこなった行為です。石川記者が執筆したのですから、意見があるのであれば著者本人や版元である文藝春秋に直接申し出ればよいのに、なぜ勤務先である共同通信社へ抗議するのか、不思議でなりませんでした」
「そして、共同通信社もまたその抗議をそのまま鵜呑みにして、さらには育児休暇中である石川記者に何度も連絡して会社へ呼び出し、取り調べのようなことをおこなう、挙句の果てには審査委員会を立ち上げるとまで言うのです。事実をそのまま書いたらこのような理不尽な目にあうのかと、石川記者から事情を聞くごとに段々と私たち遺族は恐怖を感じ始めました」
遺族は石川氏を援護するため、当時の所属先である千葉支局の正村一朗支局長に手紙を出した。石川氏の著書に対する審査委員会へも意見書を出した。
「今まで石川記者が共同通信社を通して配信してきた記事も、書籍『いじめの聖域』も事実のみが書かれたものであり、私たち遺族の真実の叫びなのです。これを共同通信社には理解して頂きたかったです」
「私たち遺族の証言や主張は一切考慮されなかったようです。審査に当たり、共同通信社やその審査委員会から、私たち遺族への連絡やお尋ねなども一切ありませんでした。共同通信社は、当初から石川記者への処分を前提として、審査委員会を設置したのではないか、との疑念が残ります」
遺族の言葉に耳を傾けない共同通信は、事実誤認がある書面を裁判所に提出するという、失態を演じている。石川氏の著書『いじめの聖域』に対する、長崎新聞の見解文書だ。
見解文書で長崎新聞は、著書が石川氏の私怨に満ちていて、都合の良い事実だけを意図的に捻じ曲げていると荒唐無稽な主張をしている。その際、遺族について誤った事実を記載しているのだ。
「長崎県の対応についての私たち遺族の思いについては、『当初は遺族も県の対応を問題視していなかったと考えられる』と憶測で記載がありましたが、残念ながらこのことについて、私たちは長崎新聞社から確認取材を受けていません。長崎新聞社の憶測と私たちの考えは乖離していることにぜひ気づいていただきたいです」
「共同通信社も、石川記者への処分をくだす前に、私たちに聞き取りや確認をすれば、上記の事実誤認に気付けたはずです。しかし、共同通信社から私たちにお尋ねやご連絡は一切ございませんでした。事実関係の調査が不十分なまま、石川記者へ厳しい処分をくだしたことに関して、公平な判断だったとは思えません」
「弱者の声は永遠に社会へ届かないのか」
勇斗さんの遺書は、マスコミに触れている。
「第一発見者へ もし見つけたら警察を呼ぶとき、もしできるならサイレンなしとかにして、マスコミにもかぎつかれないようにして、周囲の人や家族に迷惑をかけたくないし、静かにしたいし、なかったことにしたい」
さおりさんは、息子の気持ちを察する。
「16歳の息子は、自死する直前まで、マスコミに騒がれることを気にしていたようです。それは私たち遺族も同じでした。マスコミというのは、あることないことを報道するもので、被害者の人格や気持ちなど考えない、そういうものだと思っていました」
ただ、石川氏に出会って希望を見出した。
「石川記者に出会い、報道の役割は真実を社会に伝えることだと初めてわかりました。そして、その根底には弱者に寄り添い理解していく姿勢があるということも知りました」
だが、発端は勇斗さんがいじめを苦に自死したことだったにもかかわらず、いつの間にか共同通信と長崎新聞が石川氏をいじめるという事態にすり替わっている。さおりさんは「報道とは何か」を問う。
「今回の裁判は、石川記者だけの問題ではないと私たち被害者は考えています。報道とは何かを問う重大なものであると思います」
「このようなことがまかり通れば、私たちのような何の力もない弱者の声は永遠に社会に届くことはありません」
7月2日東京地裁、共同通信常務理事・江頭建彦氏に証人尋問
7月2日(水)午後1時30分から、東京地裁611号法廷で証人尋問が開かれる。
被告側の証人として共同通信常務理事・江頭建彦氏、原告側の証人として石川氏本人が出廷する。尋問時間は以下の通り。原告側が行う尋問の方が、それぞれ10分間多い。双方の希望と、大澤多香子裁判長との話し合いで決まった。
江頭氏:被告側の主尋問30分、原告側の反対尋問40分
石川氏:原告側の主尋問40分、被告側の反対尋問30分
被告側は共同通信社会部の松本晃氏も証人として申請していたが、却下された。松本氏は石川氏が千葉支局に勤務していた当時の上司。石川氏の勤務態度を非難しようとしていたが、大澤裁判長が証人としての必要性を認めなかった。
原告側は、共同通信の谷口誠福岡支社長(当時)も証人申請していた。谷口氏については、江頭・石川両氏への証人尋問を行なった後、必要性を検討することとなった。
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