人質司法 なぜ労組は狙われたのか

「会社を困らせよう」と入った労組、なぜ「人権」に行き着いたのか 国連調査のきっかけ作った「人権部長」/関生支部執行委員・西島大輔さん<関西生コン事件・証言#17>

2025年06月18日17時12分 渡辺周、中川七海

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勤めていた会社から突然、他の仕事を探すように言われた。会社を困らせてやろうという軽い気持ちで、関生支部に入った。

だが活動をしているうちに、つらいのは自分だけではないことを知る。明日どうやって食べていくかという瀬戸際にいる人たちがいるし、社会的マイノリティであるがゆえに差別されている人たちもいる。

関生のモットーは「他人の痛みは我が痛み」。会社を困らせることが目的ではない。弱い立場にある人のために役立つことが大切なんだという心持ちに変わっていく。

その心持ちを突き詰めていった時、ふと気づいた。

「労組の役割って、人権を守ることとちゃうか」

証言集の17回目は西島大輔さん。関生支部で人権部の部長を務める。

国連の「ビジネスと人権」作業部会が、刑事弾圧を受けている関生支部に調査のため訪れたのも、西島さんのある行動がきっかけだった。

「解雇される人って、こんなにおるんや」

2008年に関生支部に入りました。

当時勤めていた生コン会社に、関生の役員さんが機関紙を持ってよく来てたんです。社長は「まいど! 」みたいな感じで笑顔で受け取る。それなのに関生の役員さんが立ち去ったらすぐに、機関紙をゴミ箱に捨てていた。社長とお昼ご飯を食べている時に「あの人は誰なんですか」と聞いたら、「労働組合や、口をきいたらあかん」って。会社がここまで嫌う労組があるんやというのが印象に残っていました。

その後、大型の受注物件がなくなってきたという理由で会社を閉じることになり、社長の息子から「違う仕事を探しや」と言われました。その時に僕の頭の中で関生に加入することがひらめいたんです。経営者を困らせてやろうと。

関生に誘ってくれた同業者の方たちからは「ちゃんと腹を据えてやらなあかんで」と言われました。その時は「あぁ分かりました」と軽い気持ちでしたね。

でも関生に入ってからは、会社を困らせてやろうというような軽い気持ちで労組活動を始めたことに、ものすごく後ろめたさを感じました。

病院に病人が来るように、労組には会社に解雇された人や、会社の扱いに傷ついておられる人たちがいらっしゃる。生きるか死ぬかというところで、闘っておられた。解雇される人って世の中にこんなにおるんやと、正直、驚きました。

憲法で保障されている、団結権、団体交渉権、団体行動権も最初は何も知りませんでした。大阪の建設現場のストライキに参加した時、「ほんまに工事が止まるんか? 」と半信半疑でしたが、本当に止まったのを目の当たりにした。すごいなって思いました。

大阪府警の事件を和歌山県警が取り調べ

2018年から始まった関生への弾圧では、大阪のストライキに参加し、威力業務妨害容疑で2回逮捕されました。45日間勾留されました。

勾留中は、関生で留守を預かっている人のつらさを思いました。以前に弾圧があった時は、逮捕・勾留されずに外で動いていたのですが、あの時がしんどかったからです。権力に立ち向かっても無力で、むなしさのようなものを感じたんです。だから今回僕が逮捕・勾留されてから、いろんな差し入れをしてくれたり、警察署の前での抗議活動に来てくれたりしたんですけど、「もう俺のところには来なくてええよ」と思いました。

警察が怪しい行動をとっていると思ったことがあります。大阪府警に再逮捕された時の取り調べを、和歌山県警の刑事が担ったんです。

大阪府警に逮捕されているのに、なんで和歌山県警が取り調べをするねんと思いました。和歌山県警の刑事は「関生という組織の勉強がてらに来た」と言っていました。ナリタという刑事です。

『武器としての国際人権』を読んで

関生を辞めようと思ったことは、微塵もないです。別に弾圧されて悔しいとか、美化したいとかではありません。自分が何で関生に残っているのか、何を求めているのかを考えると、これしかないと思っているんじゃないですかね。

ただ、関生に入った当初とは違う感覚になっています。

関生は、憲法で保障されている労働者の権利を行使した。それが犯罪視された。これっておかしいなと思い、権利って何だろうということを学んで考えていった時に「人権」というキーワードにぶち当たったんです。捜査機関にしろ、裁判官にしろ、関生の組合員たちに犯罪者のレッテルを貼ることは人権侵害なんです。

国際人権法学者の藤田早苗さんが書いた『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』(集英社新書)を読むと、ものすごく面白かった。藤田さんの大阪での講演会に参加した時に、関生の弾圧のことを伝えました。藤田さんはその時、絶句したんですよ。日本はここまで来たかと。講演会の後、何人かでの食事にご一緒した時にも現状を伝えると、大阪の人権団体などを紹介していただきました。

藤田さんからは後日、関生事務所にいた僕あてに電話がかかってきました。国連の「ビジネスと人権」作業部会が関生に調査に来ることが決まったから、しっかり準備をしておくようにということでした。2023年の夏、国連のメンバーが関生事務所へ調査にやってきました。調査結果の報告書では、関生への刑事弾圧について指摘し、労働者の権利を守るよう警鐘を鳴らしました。

人権を守ることこそが大事なんです。学者さんや弁護士さん、人権問題に取り組む団体の方々がやっているシンポジウムや、学習会に参加しています。ジェンダーギャップが先進国の中で日本はぶっちぎりで低いこと、子どもの権利を守るための条約が国連ではあること、性的マイノリティや障がいのある方々への支援が足りていないことなど様々なことを学びました。

昨年からは関生に人権部が設立され、部長を務めています。

関生への弾圧が人権侵害であるということは訴えていきます。でもそれだけではない。子どもや障がい者、性的マイノリティの方々が住みづらい世の中が変わって、優しい社会になることに少しでも貢献できたらと思っています。

今は、子どもの権利を獲得するために活動している方々から、アドバイスをもらいながら、子どもの権利条例をまずは政令指定都市に作る活動をしています。

【取材者後記】人権がお題目でなくなる日/編集長 渡辺周

西島さんへのインタビューで、意表を突かれた時があった。勾留されている時につらかったことは何かと尋ねたら、自分よりも留守を預かっている関生組合員たちの方がつらかったはずだと答えたのだ。

自分は勾留されているので何もできない。だが、外にいる組合員たちは関生が劣勢にある中で奔走しなければならない。その方が大変だという趣旨だ。

西島さんは、他者へ、他者へと思いを馳せる。関生に加入したのは、自分のことをないがしろにした会社への反発心がきっかけだった。そのことを考えると、西島さんの心持ちと行動の変化はすごい。関生には「人生崖っぷち」の人たちが駆け込んでくる。「他人の痛みは我が痛み」を信条とする関生で、そういう人たちと向き合ってきた結果だと思う。

25年の取材経験の中で、「人権」とか「人に優しい社会」とか、耳にタコができるほど聞いてきたが、どこか白々しい響きを伴っていた。「選挙の時だけ一生懸命」の政治家が口にすると、怒りさえ覚えた。

だが西島さんが人権を語る時、そこには真心がある。人権が単なるお題目ではなくなる日は、西島さんのような人が地道に活動を続けた先に来ると思う。

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