保身の代償 ~長崎高2いじめ自死と大人たち~【共同通信編】

「報道の自由裁判」は最高裁へ 「戦後80年で出てきた、組織に所属するジャーナリスト個人の『表現の自由』を問う事件」

2026年07月09日 19時50分  中川七海

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東京高等裁判所=東京都千代田区で2026年7月7日、友永翔大撮影

2026年7月9日、共同通信記者(当時)の石川陽一氏が同社を訴えた「報道の自由裁判」の控訴審判決が出た。東京高裁(古田孝夫裁判長)は、原告・被告双方の主張を一切聞かないまま、原告の請求を棄却した。ジャーナリズムを全く理解していない東京地裁の判決を、東京高裁が追認した。

原告・石川氏は、最高裁判所への上告を決めた。

原告代理人の喜田村洋一弁護士は言う。

「戦後80年で出てきた、組織に所属するジャーナリスト個人の『表現の自由』がどこまで認められるかについて、正面から問われている事件です」

東京高裁が追認、「長崎新聞は公人ではない」

「報道の自由裁判」は、報道機関に属するジャーナリストの表現の自由が、どこまで認められるかを問う裁判だ。

2022年11月、当時共同通信に所属していた石川氏が、書籍『いじめの聖域』を「文藝春秋」から出版。長崎県で起きた高校生のいじめ自死事件をめぐる、学校や地元行政、地元メディアの問題点を明らかにした。

ところが共同通信は、自社の加盟社である長崎新聞を批判したことを理由に、石川氏を追及。一度与えた「社外執筆許可」を取り消し、書籍の重版を禁じた。最終的に、記者職から外された石川氏は、退社を余儀なくされた。

長崎新聞が加盟社であるからといって、批判しないのであればジャーナリズムの役割を放棄することになる。他社の出版物の重版を禁じる権限は、共同通信にはない。

そもそも、書籍に事実誤認がないことは共同通信も認めている。それでも共同通信は、所属記者の報道の自由を認めなかった。

共同通信による措置の不当性を訴え、2023年7月、石川氏は東京地裁に同社を提訴した。しかし2026年2月20日、東京地裁(大澤多香子裁判長)は、石川氏の訴えを全て棄却した。

判決では、石川氏が出版前に、批判相手の長崎新聞の見解を尋ねなかったことを「論評でも確認取材が必要」と判断した。

だが石川氏は、オープンデータや記者会見などの開かれた場所での事実を基に、論評した。共同通信を含むメディア各社も、事実を基にした論評を毎日のように発信している。例えば、政治家の言動や、不祥事を起こした著名人への批判を綴る新聞の社説欄がそれにあたる。大澤裁判長の判断に沿えば、ジャーナリズムの本分である公権力への批判ができなくなる。

この点について大澤裁判長は、長崎新聞は政治家や著名人と異なり、「公人ではない」ため、論評であっても取材が必要だと理由づけた。

石川氏は東京高裁に控訴したが、5月28日の第1回口頭弁論で結審。原告、被告の双方が意見を述べることを要望したが、古田裁判長は「裁判に時間がかかる」という理由で却下した。

7月9日、東京高裁は地裁の判決を維持し、原告の請求をすべて棄却した。

怒らない報道機関と所属記者

もし今回の判決が確定すれば、どうなるか。

組織に所属する記者は、報道の自由がなくなる。組織が経営上の利害や、政治権力に取り入ろうとすることを優先させても従わざるを得なくなる。

「長崎新聞は公人ではない」とまで断じているのだから、報道機関自体の公共性も否定されることになる。公人中の公人だからこそ、記者会見への参加や、国会や省庁をはじめとする公的機関に出入りして取材することが認められている。マスコミ各社は記者クラブに所属し、警察官や事件関係者の個人情報を扱いながら取材を進められる。

公的機関での取材だけではない。社会を構成する様々な人が、取材に無償で応じてくれるのは、報道機関に公共性を認めているからだ。

組織への所属にかかわらず、ジャーナリストの役割は同じだ。裁判所が報道機関に公共性を認めないならば、組織に所属していないジャーナリストも同様にみなされる。活動が制限され、あらゆる権力を監視するジャーナリズムの役割を果たす存在が絶える。社会的な損失だ。

しかし、このような判決が出ても、報道機関も所属記者たちも沈黙を続ける。

私は、この状況に強い危機感を抱く。一致団結して怒るべきだ。

世論で勝ち取る「表現の自由」

原告代理人の喜田村洋一弁護士は、「報道の自由裁判」には重要な意義があると考えている。

「報道機関という組織の『表現の自由』を問う裁判はありましたが、組織に所属するジャーナリスト個人の『表現の自由』がどこまで認められるのかを問うものは、私の記憶の限りでは初めてです」

最高裁まで進んだことについては、自身が手がけた裁判を例に、「一審、二審で負けてもひっくり返すことができる」と意気込む。

法廷メモ訴訟では、裁判の傍聴者がメモを取る権利を勝ち取った(1989年)。在外邦人選挙権訴訟では、海外在住の日本人に国政選挙の投票権を与えないことが違憲であると認められた(2005年)。どちらも喜田村弁護士が原告代理人の一人を務め、一審、二審の敗訴を最高裁で覆した。

喜田村弁護士は、「表現の自由」に関する重要な裁判であることを踏まえ、こう呼びかける。

「最高裁は世論を加味します。民意とかけ離れた判断をしないよう、一審、二審と違い、弁護士や外交官、研究者や内閣法制局の官僚などを加えるほどです」

「憲法問題としても最高裁で闘いますから、ぜひ注目していただいて、世論を盛り上げていきましょう」

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