総務省から「国葬文書」の開示を求める署名61,620筆が返送されました。Tansaが6月17日付で、送付したものです。
総務省は、署名の提出前から受け取り拒否を表明してきました。情報公開に対する判断は、請求を受けた行政機関の役割であり、総務省は「当事者ではない」という理由です。
しかし、情報公開法を行政機関に遵守させる責任は、法を所管する総務省にあります。「当事者ではない」は職務を放棄しているのと同義です。
署名をした市民が求めるのは、国葬文書の開示のみにとどまりません。情報公開法を遵守し、民主主義の基盤を守ることそのものを求めています。
情報公開法は、政府がその活動を市民に説明する責任を果たすための重要な法律です。政治家の汚職や薬害の隠蔽が起きたことを踏まえ、市民社会が1970年代から働きかけて、1999年に制定に漕ぎ着けた法律です。
署名の受け取りを拒否し、情報公開法の形骸化を黙認する総務省、林芳正総務大臣に対し、Tansaは抗議します。

総務省から返送された署名と、理由が書かれた文書
返送の理由
総務省が返送してきた署名には、「署名の返送について」という理由書が同封されていました。
林芳正大臣に対する要望書は、「情報公開法を所管する立場として拝読する」として受け取ったと書かれていました。Tansaが署名と一緒に郵送したもので、総務大臣として高市首相に国葬文書を開示させるよう求める内容です。
ところが、署名は受け取らず、わざわざ返送までしてきました。理由書では、次のように説明しています。
理由1
情報公開法上、開示請求に対しては、請求を受けた行政機関が開示・不開示を判断することとされている
理由2
本件は、訴訟が係属しており裁判所において審理が行われていることから、当事者ではない総務省は判断を行う立場にない
理由3
1、2の理由のため、総務省は署名を受け取る立場になく、署名に記された個人情報を保有することも適当ではないと考える
しかし、総務省は情報公開法を所管しています。
法律を所管する行政機関には、その法律が遵守され、機能しているかを監督し、指導する責務があります。
総務省は、「情報公開・個人情報保護審査会」も抱えています。審査会は、わずか2回の審議で国側の主張を全面的に認め、国葬文書の不開示を「妥当」だと判断しました。
過去の苦い経験の上に
情報公開法を遵守することは、とりわけ重要です。過去の犠牲や不正を繰り返させぬという決意で誕生したのが、情報公開法だからです。
情報公開法が制定されたのは、1999年。自民党と自由党の連立政権である小渕恵三内閣下での出来事でした。
背景にあったのは、約20年にわたる粘り強い市民の運動です。
1980年は、「情報公開元年」と呼ばれるほど、情報公開を求める声が高まった年でした。直前の1970年代に、沖縄密約事件やロッキード事件などの政治の不正、サリドマイド事件といった薬害問題が噴出したためです。
ところが、疑惑に関する情報は「国政上の秘密」を盾に明かされず、真相解明がなされませんでした。
1979年に弁護士らがつくる「自由人権協会」が公表した「情報公開法要綱」には、情報が秘匿される中で被害が拡大していった当時の状況が綴られています。
私たちは、具体的に人権問題にかかわるなかで、常に様々な秘密の壁にぶち当ったり、行政の情報が秘密にされることにより国民に様々な被害が発生している現実を見ています。
たとえば、サリドマイド等の薬害は、薬の製造許可の審議過程、副作用に関するデータ等が国民の前に積極的に公開されていたならばその発生は最小限度に食い止められたと言えます。原発、し尿処理場等の公共施設の建設をめぐる安全性の問題や環境問題については、データを隠したままの説得工作が行なわれることも多々あります。
公務員の不正行為や違法行為があっても、その告発は資料を入手できないために困難となることも多いと思われます。
私たちは、国民の知る権利を確立し、開かれた社会を実現するために、また情報の秘匿による人権侵害をなくすために、是非とも「情報公開制度」を確立しなければなりません。
自由人権協会は、現在Tansaの国葬文書隠蔽裁判の弁護団を務めています。
市民が作りあげた法律
1980年3月には、弁護士や学者、市民団体による「情報公開法を求める市民運動」が発足しました。住民の生活に密着した地方自治体こそ、情報公開制度を設けるべきだと訴えました。
実際、国での法制化が進まない中で、変化は地方から始まりました。
1982年、山形県金山町が日本で初めて情報公開条例を制定。神奈川県や埼玉県などが後に続きました。住民たちは条例を使い、実態を明らかにしていきます。
「情報公開法を求める市民運動」は、開示請求を行う全国の住民と連携し、実態のアンケート調査を行ったり、改善を求める意見書を提出したりしながら、中心的な役割を担いました。
1990年代には、市民オンブズマンが活躍します。自治体が国の官僚を税金で接待する「官官接待」や、出張をでっちあげて裏金を作る「カラ出張」の追及を始めました。全国で情報公開請求や住民訴訟を行った結果、1回数十万円の会食やタクシー代、芸者の花代など、公務員の交際費に莫大な税金が費やされていることが明らかになりました。
そうした最中の1996年、情報公開の重要性を社会が認識する出来事がありました。厚生省が「ない」と主張していた薬害エイズの内部文書が見つかったのです。国の情報の隠蔽は、命に関わる。そのことが周知されました。
国会では、自民党単独政権の崩壊から、情報公開法制定の機運が高まり始めます。法案の提出と廃案を繰り返した末に、1999年にようやく法律が成立。2001年に施行されました。
「本を焼く者は、やがて人も焼く」
情報公開法は、人の命を奪い、政治の腐敗を許した愚かな歴史を繰り返さないために、市民の努力によって作られました。
しかし現在、再び国による情報の隠蔽がまかり通る状況になっています。
Tansaは国葬文書の開示を求めて国を提訴する前日の2024年9月29日、次の言葉を引用して提訴の理由を書きました。
19世紀のドイツの詩人で、ジャーナリストでもあったハインリヒ・ハイネはこう警告しました。
「本を焼く者は、やがて人も焼くようになる」
実際、20世紀のナチスは自身に不都合な書物を集めて焼きました。焚書(ふんしょ)です。「ドイツ精神に反する」というのが理由です。ハイネの本も焼きました。
日本の公文書も隠蔽に留まらず、焼かれる日がこのままでは来ます。さらに公文書を焼くだけでは済まない日を迎えるかもしれません。
総務省は市民の声である署名を受け取り、情報公開法の意義に立ち返ってください。
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