双葉病院 置き去り事件

院長・副署長が託した最後の望み(7)

2021年03月16日16時30分 中川七海

2号機で核燃料の格納容器が破損するかもしれないーー。3月14日から15日にかけ、福島第一原発では最悪の事態を迎えようとしていた。

原発5キロ圏内で住民避難に責任を持つ関係者が、次々と持ち場を離れる。

自衛隊は、燃料入りのドラム缶を放置したまま急いで町を去った。

非常事態で現場の指揮をとるべきオフサイトセンターの人々までも撤退を始めた。

双葉病院では、残っていた院長の鈴木市郎が双葉署副署長の新田晃正に説得され、一時的な退避を受け入れた。

病院関係者3人、新田ら警察官8人と車2台に分乗し、双葉病院から18キロ地点の割山(わりやま)トンネルに向かう。トンネルは原発から20キロ離れていた。それだけ離れていて、しかもトンネルなら、放射線の被曝を少しでも防げると考えたからだ。

A: 郡山駐屯地、B: 川内村役場、C: 割山トンネル (C)Tansa

涙ながらに別れを告げる警察官(15日午前0時〜午前8時)

撤退後のオフサイトセンターに残されていた机=2014年6月20日、飛田晋秀撮影 (C)飛田晋秀

鈴木院長と新田副署長らは15日午前0時、割山トンネルに到着した。

「自衛隊が双葉病院へ救助に向かう場合、このトンネルを通るはずだ」

鈴木院長と新田副署長はそう予想し、双葉病院へ向かう自衛隊とこのトンネルで合流することに、最後の望みを託した。双葉病院にはまだ92人の患者が、3体の遺体とともに取り残されている。鈴木院長は病院を出る直前に点滴を交換したが、それで病状が維持できるのは朝までだ。早く戻らねばならない。

しかし、自衛隊はなかなか来ない。

「自衛隊はまだか」

新田副署長は県警の警備本部に無線をかけつづけた。返ってくる言葉は同じだった。

「もうしばらく待たれたい」

新田副署長と鈴木院長ら12人は、そのままトンネルの車内で朝を迎えた。

15日午前6時15分ごろ、カーラジオが報じた。

「福島第一原発4号機が水素爆発」

6基の原発のうち、これでついに3基が爆発した。

ニュースを聞いた後、新田副署長の無線に警備本部から連絡が入った。

「救助の際、医師の立ち合いは可能か」

新田副署長は鈴木院長に、警備本部からの問い合わせを伝えた。鈴木院長は答えた。

「もちろん、できます」

新田副署長は警備本部に無線で連絡した。自衛隊と合流するためにもう一度自分たちの居場所を伝えるためだ。

「我々は県道36号線の割山トンネルで待機している。ここで合流したい」

午前7時、新田副署長の無線が鳴る。

「自衛隊が救急車5台で郡山駐屯地を出発した」

割山トンネルに到着してから7時間が過ぎて、やっと具体的な情報が入ってきた。あと2時間ほどで自衛隊と合流できる。

鈴木院長たちがほっとしていると、警備本部から無線連絡が入った。

「割山トンネルは20キロ圏内になる。圏外に退避せよ」

割山トンネルは、第一原発からギリギリで20キロ圏内にあったのだ。

午前8時、一行は川内村役場へ向かうことにした。割山トンネルから役場へは一本道だ。自衛隊は役場の前も通るから、どこかで会えると思った。

そこへ、警察官の一人が鈴木院長のところにやってきた。

「私たちは別任務ができました。救助部隊が合流するまでは一緒にいますが、そのあと双葉病院までは一緒に行けません」

その警察官は、鈴木院長とともに最後まで双葉病院の患者の救助ができないことが悔しくて、涙を流していた。

副署長と握手で別れ(15日午前9時〜午後1時)

電柱も家も傾いたまま。大熊町にて=2021年3月2日、渡辺周撮影 (C)Tansa

午前9時、新田副署長らは自衛隊とすれ違うことなく役場へ到着した。役場1階で待機した。

自衛隊は午前7時に郡山駐屯地を出発したはずだ。しかし、一向に川内村役場に来なかった。

昼になった。その時、新田副署長のもとに連絡が入った。

すでに自衛隊が双葉病院に到着し、患者を救助しているという。

新田副署長は鈴木院長に伝えた。

「すでに救出されたようです。もう自衛隊に任せるしかないですよ」

鈴木院長は自分が立ち会えなかったことは残念だったが、これで全員が救助されたとほっとした。

ところが午後1時頃、一緒に行動していたドーヴィル双葉の事務課長が鈴木院長に知らせた。

「前に救助された患者さんたちは、いわき開成病院といわき光洋高校の体育館にいます」

鈴木院長は驚いた。

「14日に救助されたのは寝たきりの重篤な患者たちばかりだった。なぜ体育館なんかに運ばれたのか。理解できない。患者が全員死んでしまうんじゃないか」

鈴木院長は、まだ役場内にいる新田副署長を探して声をかけた。

「いわきの病院に行きたいので車で送って行ってもらえませんか」

しかし、新田副署長は住民の救助や安否確認に追われており、55キロ離れたいわきまで送ることはできない状況だった。

鈴木院長は、役場に知り合いを見つけ、車を借りることにした。新田副署長に声をかけた。

「車を用意できたので、私たちはこれからいわきに向かいます。大変、お世話になりました」

鈴木院長と新田副署長は握手を交わして別れた。

暗転(15日午後3時〜16日)

午後3時、鈴木院長はいわき開成病院に到着した。中に入ると、病棟内の部屋の床や廊下に布団が敷き詰められ、その上に双葉病院の患者たちが寝かされていた。完全に病院の収容限界を超えている。ベッドが6台しか入らない場所に患者20人が雑魚寝していた。

鈴木院長は患者を開成病院から転院させるため、あらゆる病院へ電話をかけ、受け入れ先が決まると患者の紹介状を書いた。

鈴木院長は開成病院での仕事に追われ、いわき光洋高校へ行くことはできなかった。

だが、いわき光洋高校では深刻な事態が起きていた。まともな医療器具がなく、治療どころではなかったのだ。

14日の午後8時にバスが到着した時点で6人が死亡していた。14日の午前に双葉病院を出発し、230キロ移動した末のことだった。

さらに16日までに、光洋高校の体育館で8人が亡くなった。

双葉病院ではその頃、思いもよらないことが起きていた。

=つづく

(敬称略、肩書きは当時)

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