前回は、大阪・摂津での「PFOA(ピーフォア)」の汚染実態をお伝えしました。京都大学の研究チームによる調査では、大気中のPFOAを取り込んでしまった摂津の女性たちの血液から高濃度のPFOAが検出されていました。環境省による地下水と河川の調査では、全国一の高濃度を記録。京大チームが地下水で育てた農作物を食べていた男性たちを調べたところ、やはり高濃度のPFOAに曝露していました。
汚染源がダイキン工業淀川製作所であることは、京大チームだけではなく、工場を行政として管轄する大阪府も認めています。
ところがダイキンは「汚染源の可能性の一つ」としか認めません。汚染された地域のPFOA除去も拒んでいます。
PFOAは、がんや臓器障害を引き起こしたり、母子の健康に影響を与えたりするほどの強い毒性を持ちます。さらに厄介なのは、残留性の高さです。PFOAを一度取り込むと体内に蓄積され、長く身体に作用します。
なぜ企業としての責任から逃げるような態度を取るのでしょうか。今回は、PFOA汚染をめぐるダイキンの対応をおさらいします。
ダイキン工業公式ウェブサイトより
軍需企業からフッ素化学で「デュポンに追いつき追い越せ」(1941年〜1960年代後半)
まずは、ダイキン淀川製作所の歴史を見てみましょう。
もともと製作所周辺は、淀川やその支流に囲まれた農村でした。住民のほとんどが農家で、田畑で育てたコメや野菜を売り生計を立てていました。
そこへ1941年、大阪金属工業所(ダイキンの前身)の巨大な工場がやってきます。敷地の広さは、甲子園球場約17個分。
当時は、戦争の真っ只中です。ダイキンは海軍艦政本部長から命ぜられ、航空機や食糧庫の冷却に欠かせないフロンの製造に着手。翌年には、海軍艦政本部が管理する化学工場が製作所内に設けられ、砲弾や爆撃機の部品を製造する大軍需工場になっていきました。
戦時中のフロン製造が、戦後のダイキンの発展につながります。
ダイキンは、フッ素技術で世界のトップを走っていた米国デュポン社に「追いつき追い越せ」を目標に掲げ、フッ素事業に注力します。1952年には「化学事業をフッ素化学を中心に展開する」という方針のもと、「弗素化学研究委員会」を立ち上げました。
1960年代後半、ダイキンはフッ素化合物の一種であるPFOAの製造に着手します。その後、世界の8大フッ素メーカーの一つにまで上り詰めていきます。
公害頻発を経て「ダイキン城下町」に(1955年〜1973年)
フッ素事業が盛んになる一方で、公害が頻発します。
1955年6月、工場からフッ素ガスが漏れ出し、地域の田んぼの稲が枯れました。1963年5月にも農作物が被害を受け、その年の11月に農家が抗議のため製作所に押し寄せました。
相次ぐ公害を受けてダイキンは1971年、社内に「公害防止対策委員会」を設置しました。
それでも公害は止まりません。
1973年6月、摂津だけではなく隣の大阪市東淀川区までフッ素ガスが到達。農家が育てた野菜が焼け焦げた上、340世帯が避難を強いられる事態に発展しました。
ダイキンは製作所の周辺住民に対する手立てを考案します。
1973年8月、ダイキンは淀川製作所に住民との窓口になる「地域社会課」をつくったのです。責任者には、製作所の井上礼之副所長(現・会長)が就任しました。
ダイキンは地域社会課を中心に、盆踊り大会やバスツアーを毎年開催して、住民を招待しました。多くの地域住民を雇用し、行政にも税収で恩恵をもたらしました。
次第に「ダイキン城下町」が築かれていきました。
米国トップメーカーが撤退してもダイキンは・・・(1978年〜2002年)
ところが、ダイキンが追い抜こうとしていた米国の企業で、暗雲が漂い始めます。
1978年、3Mとデュポンによる動物実験でPFOAを投与されたサルが死にました。1981年には、デュポンのPFOA工場で働く女性から先天性欠損症の子どもが生まれました。
2000年には、米国の環境保護庁(EPA)がPFOAの危険性について警告します。PFOA製造で世界の最前線を走っていた3Mは2002年、PFOAの製造を止めて市場から撤退しました。
ダイキンはかつて3MからPFOAを輸入していました。しかもダイキンは3Mなどと並び、PFOAの世界8大メーカーの一つです。他人事ではありません。
ところが、1994年から社長に就いていたダイキンの井上礼之氏は、雑誌『イグザミナ』の2002年の取材で、フッ素事業の強化について意気込みを語りました。
「今のような勝ち組と負け組が容赦なく峻別される時代にあっては、特に空調事業、フッ素化学事業においては、世界でナンバーワンもしくはナンバーツーにならないと負け組に入ってしまうことになります」
大阪の太田知事を支えたダイキン井上会長(2002〜2007年)
米国でPFOAの危険性が明るみになる中、日本でのPFOA汚染に着目した人物が現れます。京都大学の小泉昭夫教授です。
2002年、小泉教授率いる京大チームはPFOA調査に乗り出します。2005年には、淀川製作所の近くを流れる安威川(あいがわ)で、世界最高レベルの濃度のPFOAを検出。ダイキンが原因であることも突き止めました。
2007年9月、共産党の宮原威府議がこの問題を大阪府議会で取り上げ、「ダイキンへの府の対応が遅い」と太田房江知事に質しました。
太田知事は「PFOAの問題については、先進的にやっている」と答弁します。
しかし宮原府議は、太田知事とダイキンとの癒着を疑っていました。太田知事の後援会「21世紀大阪がんばろう会」の後援会長を、ダイキンの井上会長が務めていたからです。ダイキンはがんばろう会主催のパーティー券を、多い年で100万円分購入し、太田知事の政治活動を支えていました。
市民への周知を渋るダイキン(2007〜2009年)
ダイキンの井上会長との関係が、大阪府のPFOA汚染への対応に与えた影響について、太田氏はTansaの取材に「全く関係ない」と否定しています。
しかし、井上会長と太田氏との関係が影響を与えていないにしても、大阪府のダイキンへの対応は甘いものでした。Tansaが情報公開請求や取材で入手した非公開会議の議事録では以下のようなやりとりが判明しています。
2007年11月、府環境保全課と事業所指導課によるダイキン幹部への聴取
聴取にあたった府の職員が、ダイキンにPFOAの排出量を質問。しかしダイキンは、「企業秘密」を理由に報告を拒否。府もそれ以上は尋ねず。
2009年8月、府環境保全課とダイキン担当者との打ち合わせ
府が「ダイキン淀川製作所の盆踊り大会等の機会を利用して、環境対策への取り組みを参加者に伝えてはどうか」と提案したが、ダイキンは拒否。
「現在のところ、地元からのPFOAについての問い合わせ等もなく、かえって不安をあおってしまうことになるのなら、もうすぐ全廃ということもあり、できるだけ触れないようにしたい」
2009年10月には、ダイキン・大阪府・摂津市の3者による定例会議がこれも非公開でスタートします。しかしダイキンは、地元住民を預かる摂津市が参加しても、引き続き汚染実態を市民に周知することに否定的でした。
初回の会議での、ダイキン担当者の発言。
「会議内での情報としてとどめておいていただきたいが、米国EPAでは2015年にPFOA全廃を禁止物質とする動きがある」
米国では和解金4億4000万円を支払い(2005年〜2018年)
汚染の実態を市民に知らせようとしないダイキン。しかし、米国では違う顔を見せていました。
米アラバマ州のテネシー川で2005年、PFOAが検出されたのが事の発端です。米国当局が2013年、テネシー川の水を使った水道水を飲んでいた住民の血液を分析した結果、住民のPFOA濃度の上昇と水道水の飲用に、関連があったことが判明しました。
水道局と住民は、川の上流でPFOAを製造していたダイキンを含む3社を提訴。その結果、2018年に原告とダイキンの間で和解が成立したのです。ダイキンが支払った400万ドル(約4億4000万円)は、PFOAを飲料水から除去する費用にも充てられました。
住民への対応を問われ十河社長「ノーコメント」(2021年〜2022年)
ダイキンは摂津市議会議員たちにも、いい加減な説明をします。2021年12月、超党派からなる市議6人が、淀川製作所を訪れた時のことです。ダイキンの担当者は、京大チームによる住民の血液検査結果について「測定方法や分析精度が不明」と取り合いませんでした。
2022年1月にダイキンが摂津市議に提出した見解も、市民の不安に答えたものではありませんでした。そこには、淀川製作所敷地外の調査、浄化、住民への対応を実施しないと記されていたのです。
これを受け、ついに摂津市議の全員が動きます。
2022年3月29日、市議会はダイキンによるPFOA汚染の国への意見書を、全会一致で可決しました。
市民も黙ってはいません。
2022年4月、市民からなる「PFOA汚染問題を考える会」が、ダイキンへ情報公開と汚染対策を求めるよう、市に要望書を提出。要望書には市民ら1565人分の署名を携えました。署名の85%が摂津市民のものです。
Tansaが2022年3月8日、ダイキンの十河政則社長に摂津市民への対応を尋ねた際は、「ノーコメント」でした。
しかし今は、市議会と市民が動き出しました。ダイキンはこれからも「ノーコメント」で通すのでしょうか。
=つづく
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