公害「PFOA」

「社外秘文書」が示すダイキンの汚染者責任(22)

2022年06月14日16時00分 中川七海

2022年6月5日、渡邉真梨(36)は1歳3カ月の息子を抱えながら、大阪・摂津市内の住宅にやってきた。ダイキン工業淀川製作所から歩いて10分ほどの距離だ。

この日、京都大学名誉教授の小泉昭夫と同准教授の原田浩二が、摂津の住民のPFOA曝露を調べる血液検査を実施した。住民みずから会場を手配した。検査を受けたのは、30代から80代の男女11人。渡邉もそのうちの一人だ。

渡邉は、ダイキン淀川製作所に隣接する別府(べふ)地区で生まれ育った。ダイキンがPFOAを製造・使用していた時期には、製作所近くの学校に通っていた。地域で採れた野菜を食べることもあった。

採血に参加したのは、息子の健康が気がかりだったからだ。

「私が食べたり飲んだりしたものは、お腹の赤ちゃんに届いてしまっているじゃないですか。PFOAは蓄積すると聞いて、この子は大丈夫なんかなって。ずっと不安だったんです」

採血前の問診票を記入する渡邉真梨さん=2022年6月5日、大阪・摂津にて(撮影/中川七海)

2021年10月、淀川製作所の近くに住む男性9人が血液検査を受けたところ、全員から高濃度のPFOAが検出された。最も高い人で非汚染地域の70倍を超えた。2008年には摂津市内の女性60人の血液分析が行われているが、この時も平均で非汚染地域の6.5倍の濃度だった。

不安に駆られた摂津市民は「PFOA汚染問題を考える会」を結成。ダイキンの情報公開や汚染対策を求め2022年4月4日、市長の森山一正に1565人の署名を提出した。1歳3カ月の息子をつれて血液検査を受けた渡邉も参加している。自身は母であると共に保育士で、「大人が子どもにできることって、今こうやって声を上げること」と思うからだ。

市議会も署名提出に先立つ3月29日に、PFOA汚染の対応を求める国への意見書を全会一致で可決している。

ところがダイキンは、自身の汚染責任から逃げ続けている。製作所の敷地外は「調査にも浄化にも応じない」と住民と市議に対して表明した。

どうやって汚染に対する責任から逃げているのか。

ダイキンは、自身が汚染源であることすらまともに認めていないのである。PFOA汚染に関し「弊社が原因の一つの可能性がある」という見解を繰り返してきた。つまり、淀川製作所が汚染源ではない可能性も示しているのだ。

事態が膠着する中、私はダイキンの「社外秘文書」を入手した。そこには、淀川製作所から敷地外へのPFOA排出量などダイキンが頑なに公開を拒んできた情報があった。ダイキンが汚染源であると認めざるを得ないデータだった。

ダイキン淀川製作所の封筒で「密告」

私がダイキンの「社外秘文書」の存在を知ったのは、2022年4月20日のことだ。京都大名誉教授の小泉昭夫を取材するため、京都の太秦を訪れた。

小泉は、国内のPFOA研究の先駆者である。2002年から本格的な調査に乗り出した。京阪神の住民の血中濃度が突出していることや、摂津を流れる安威川(あいがわ)が世界最悪レベルのPFOA濃度であること、それらの原因がダイキン淀川製作所であることを突き止めたのも、小泉率いる京大チームだ。

取材の中で、小泉がふと漏らした。

「そう言えば昔、ダイキンから密告があったなあ」

2021年6月以来、小泉への取材は何度も重ねているが、初めて聞いた話だ。「密告ってなんだろう? 」。私は胸騒ぎがした。

小泉は「ちょっと待ってくださいね」と言い、その場で京大の研究室に電話をかけた。電話の相手は、PFOA研究を引き継ぐ京大准教授の原田浩二だ。

「もしもし? 小泉ですけど。昔、ダイキンから文書が届いたの覚えてます? それ、今も残ってるかな? 」

電話を切った小泉は「実は昔、ダイキンからPFOAに関する密告文書が届いていたんです」と切り出し、17年前の話を始めた。

2005年5月17日の午後、京大の研究室にいた小泉のもとに、1通の封書が届いた。ダイキンのロゴが載った、淀川製作所の白いA4サイズの封筒だ。差出人は書かれていない。ダイキン淀川製作所近くの「吹田」で消印されている。中にはホチキス留めの書類がいくつか入っていた。

差出人が不明であることから、小泉は送られてきた文書を吟味し、公にすることはなかった。

だが小泉の頭の片隅にはこの17年間、文書の存在がこびりついた。文書には「社外秘」の文字が記されていたからだ。小泉は私に言った。

「Tansaに託します。調査報道してください。他のメディアはダイキンのPFOA汚染を報道しないですからね」

文書は、原田の研究室で保管していた。私はタクシーを拾い京大医学部へ急いで向かった。

研究室では、文書が入ったダイキンの封筒を用意して、原田が待っていてくれた。

「淀川製作所でのPFOAの製造工程から排出量まで、いろいろ書かれています。原本を持っていってください」

文書記載の担当者は淀川製作所に所属

封筒には、全部で17枚、3種類の文書が入っていた。調査担当者や書類作成者の名前はマジックペンで塗りつぶされていたが、透かせば見える。後日、淀川製作所のOBを訪ねたり、ダイキンに確認したりして、実際に淀川製作所に所属していた人物であることを確かめた。

「業務報告書 DS101に関する調査」(2000年9月18日) *DS101=PFOA

 

「PFOAに関するQ&A(案) 淀川製作所からのPFOAの環境放出に関して」(2003年12月8日)

 

「『国内河川・湾のペルフルオロオクタン酸(PFOA)分布調査と様相』についての見解(案)」(2003年12月9日)

ダイキン工業の内部文書

淀川製作所、年間12トンのPFOAを環境中に排出

ダイキンの「社外秘文書」は、宝の山だった。特に重要なのは、淀川製作所から敷地外への「排出量」と「排出ルート」がわかったことだ。なぜなら、ダイキン淀川製作所が排出したPFOAと、周辺地域の高濃度汚染との因果関係がはっきりするからだ。

まず排出量。

「PFOAに関するQ&A(案) 淀川製作所からのPFOAの環境放出に関して(2003年12月8日)」には、前年度である2002年度の排出量として以下の記載があった。

・排水として摂津の下水処理場:約9トン

 

・除害塔より大気に放出:約3トン

ただ、この計12トンをどう評価していいかわからない。私は文書を入手してから1カ月後の5月18日、再び小泉を訪れた。

「これはメチャメチャ多いよー、大量です。周辺地域に影響を及ぼさないわけがありません」

「これまで、淀川製作所周辺の水環境や大気を調査してきましたが、調査で判明した高濃度汚染が合点がいきました。排出量と調査結果との整合性が取れている。ピッタリやん! 」

地域の用水路にPFOAを直接放流

私がさらに驚いたのは、文書にあった次の記録だ。

摂津の下水処理場へは、3年前から放出。それまでは、**用水路を経て、神崎川に放流

この文書が作成される3年前、つまり2000年頃までは、PFOAを含んだ排水をそのまま地域の用水路に放出していたのである。

この用水路は、「味生(あじふ)水路」のことだ。味生水路は、ダイキン淀川製作所の西側の壁を沿うようにして流れる太い水路だ。2000年頃までは、味生水路から水を引いて米を育てたり、農作物に水やりしたりする住民が多くいた。

ダイキン工業淀川製作所周辺を流れる河川・用水路の概略図(作成/望月尋加)

ダイキンの内部文書の情報をまとめると、淀川製作所からのPFOA排水は主に以下の2ルートで、摂津市内を流れる一級河川の神崎川と安威川に流れていたことになる。摂津市民はこれらの川から水を引き、農業用水に使ってきた。

・淀川製作所→味生水路→神崎川

 

・淀川製作所→下水処理場→安威川

さらにダイキンは、文書の中で、大阪湾の汚染の可能性にまで言及していた。

神崎川・安威川については当社の排水が、環境汚染源の一つである可能性はある。排水は摂津の下水処理場に送水し、そこで処理され、安威に放流されている。その為、大阪湾にも可能性がある。

ダイキン・井上礼之会長のもとへ

水環境と大気へのPFOAの排出量を頑なに伏せ、汚染源としての責任を果たそうとしてこなかったダイキン。だが今回の「社外秘文書」の露見で、汚染との因果関係を認めざるを得ないはずだ。

私は、1994年に社長に就任し今も会長としてダイキンに君臨する井上礼之(87)に見解を問うことにした。この文書を入手する前、広報を通じ取材を申し込んだ時は断られたので、兵庫県内の自宅に直接向かった。

=つづく

(敬称略)

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