公害「PFOA」

ダイキン・ベテラン広報、 戦争を例えに「バカが起こしたと糾弾するのは勝手だが、時代背景が違う」

2023年05月16日13時26分 中川七海

大阪・摂津市にあるダイキン工業淀川製作所が、今もPFOAを敷地外に排出していた。「ダイキン淀川製作所、濃度を隠蔽して今も敷地外にPFOA排出/排水は淀川、そして大阪市の水道へ」で報じた通りだ。ダイキンから出たPFOA汚水の一部は最終的に、大阪市民が使う水道水に使われる。ところがその濃度についてダイキンは、住民らがどんなに公開を求めてもひた隠しにしている。

一体、ダイキンという企業は何を考えているのか。

その本音を聞くチャンスを、私は摂津市民がダイキンに署名を提出した日に得た。相手は芝道雄氏。ダイキンで20年以上にわたり、広報を務めた人物だ。

広報の「スペシャリスト」

2023年3月24日、摂津市民からなる「PFOA汚染問題を考える会」が、ダイキンに対して全国から集めた2万4498人分の署名を提出した。ダイキンが今も敷地外に排出しているPFOA汚水の濃度の開示などを求める内容だ。

全国一の高濃度PFOA汚染に苦しむ摂津市民が、汚染源であるダイキンに署名を提出するのは初めてのことだ。大手新聞やテレビを含む報道関係者も注目し、現場に駆けつけていた。

これに対してダイキンは、敷地内に報道陣を一切入れない徹底ぶりだった。本社からやってきた広報担当職員2人が報道陣の行動をチェックしていた。

ひとりは、コーポレートコミュニケーション室 広報グループの野田久乃氏。私がこれまでダイキンに質問状を送ったり取材の申し込みをしたりする際に、窓口となってきた担当者だ。

もうひとりが芝道雄氏。名刺には「コーポレートコミュニケーション室 シニアスキルスペシャリスト」と記している。

考える会の市民らが署名提出を終えて戻ってくるまで、報道陣は淀川製作所前の公道で待つしかない。その時間を利用して、私は芝氏に取材することにした。野田氏が窓口でしかないことはこれまでのやりとりでわかっているし、芝氏は名刺で「スペシャリスト」を自認している。ダイキンがPFOA汚染への責任をどう考えているか、しっかり説明してくれると考えたからだ。

2000年にPFOAの危険性を知っても

私がまず聞きたいと思ったのは、ダイキンがこれまでに敷地外に排出したPFOAの量と濃度だ。淀川製作所周辺のPFOA汚染は、全国一の高濃度だ。他の地点よりも桁が1つ多い。ここまでの汚染を引き起こすには、どれだけの濃度と量のPFOAを排出してきたか知りたかった。

しかし芝氏は、排出量や濃度について「過去のことはわからない」と答えた。

これはごまかしだ。ダイキンはPFOAの製造・使用を1960年代後半から始めた。現在に至るまで、全ての期間で濃度と排出量を把握していないわけがない。私は、ダイキンはいつから数値を把握していたのかと尋ね直した。

芝氏は「過去のことはわからない」と言っていたにも関わらず、今度は「2000年ぐらいから」と答えた。把握した理由についてはこう説明した。

「規制物質じゃなかったので、2000年ぐらいまでは測定していなかった。アメリカで動きが出てきて、日本でもそれに倣って処理し始めた」。

2000年当時、アメリカ政府はPFOAの危険性に警鐘を鳴らしていた。環境保護庁(EPA)が、PFOAの残留性に関する情報を周知したのだ。2年後には、PFOA製造で世界の最前線を走っていた3MがPFOAの製造を止めた。芝氏が言っているのは、こうしたアメリカでの動きだ。

ところがダイキンの対応はアメリカの企業とは違うものだった。

まずダイキンはPFOAの製造をすぐにやめなかった。

汚染水の処理もアメリカの対応に比べ、杜撰なものだ。

ダイキンは今、工場敷地内にたまった地下水を汲み上げ、PFOAを除去して外に排出している。しかしダイキンは、排水のPFOA濃度を隠しているので、本当に除去されているかわからない。

汚染を敷地外に広げないためには、遮水壁を打ち込み敷地内にPFOAを封じ込めることが有効だ。だが2000年の時点で危険性を知っていたにも関わらず、いまだに設置できていない。

「文明生活維持のために」

なぜ、PFOAの危険性を知った2000年当時、ダイキンは製造をやめなかったのか。芝氏は「ご存じのように急にやめられないですよね。これだけの文明生活を維持するには」と答えた。

私が「例え危険でも? 」と聞き返すと、芝氏は「戦争」を例えとして持ち出した。

「今から過去に遡って、『あの戦争はバカが起こしたんだ』と文章で糾弾するのは勝手だけど、それを遡って、だから今この人たちを糾弾するというのも、それはちゃんとした裁判とかなんかでやればいい話であって。そこを単に『けしからん』ということで、分かっていたのにこういうことをした、しなかったっていうのは、その時の時代背景と今とで当然違いますから」

戦争を起こした責任について、時代背景を理由にうやむやにすることに私は賛同できない。さらに、芝氏の考え方には欠落している点がある。それは戦争の結果、今も苦しんでいる人たちがいるということだ。

PFOAの公害についてもそうだ。自身の血液から高濃度のPFOAが検出された摂津市民や、工場近くの小学校に子どもを通わせている親、工場排水を使った水道水を飲んでいる大阪市民ら、今現在も不安に苛まれている人がいる。

しかし芝氏にとって、ダイキンが引き起こしているPFOA汚染は、大したことではないようだ。

「『ダーク・ウォーターズ』の映画のように、(PFOAを)池にざっと出していて、池の水を飲んで牛が死んだならそうだけど、ダイキンはあんなことやっていない」

「健康被害が出ていて因果関係がわかれば50年前であっても責任をとる」

「最高の信用」って?

私は芝氏を約25分間にわたって取材した。無責任で軽率な発言は、世界的な企業の広報を担ってきた人物とは思えないほどだった。

しかし、私は芝氏の経歴を調べていて驚いた。2019年8月、企業の社会貢献の周知活動を行う「経済広報センター」が主催する「企業広報賞」で、「企業広報功労・奨励賞」を受賞していた。

2019年は、PFOA汚染が今ほど大きな話題にはなっていなかった時期だ。ダイキン、摂津市、大阪府の3者は市民にPFOA汚染の実態を伝えずに、非公開でPFOA対策会議を重ねていた。しかし、表彰式で芝氏は語った(宣伝会議「AdverTimes.」公式サイトより引用)。

「今後も、会社の方針でもある『最高の信用』に基づく広報活動を続けていきたい」

芝氏の言う「最高の信用」 とは 、一体誰に対する信用なのだろうか。

ダイキン工業淀川製作所(撮影/中川七海、2023年3月24日)

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