自宅前で誹謗中傷、警察は逮捕で「お墨付き」 冤罪が引き裂いた家族、いじめ被害の息子は今も会えず/関生支部副委員長・武谷新吾さん<関西生コン事件・証言#19>
2025年07月09日 14時00分 渡辺周、中川七海
レイシストや元暴力団員たちがある日、自宅前にやってきてデマを喧伝する。撒かれたビラでは「利権暴力集団」と中傷される。生コン会社の経営者が差し向けた。
ただのデマだと近隣住民がやり過ごしてくれればいいが、そうはいかない。警察に逮捕され、悪人としてのお墨付きが与えられてしまったからだ。
証言集の19回目は関生支部副委員長の武谷新吾さん。和歌山での労組活動の中で、威力業務妨害・強要未遂容疑で逮捕・勾留されたものの、大阪高裁で無罪判決が確定している。
しかし、武谷さんの逮捕・勾留が原因で息子は中学でいじめに遭った。妻とは離婚、今でも子どもと会えていない。
学校に行けなくなった息子
和歌山県警に2019年7月に逮捕されました。和歌山の生コン経営者が関生支部に元暴力団員らを差し向けたので、そのことに抗議し謝罪を要求した。それが威力業務妨害と強要未遂に問われました。2023年3月に大阪高裁で無罪判決が出て、検察も上告を断念したので判決が確定しています。
高裁判決では生コン会社の経営者が元暴力団員を差し向けたことについて、私たちが「脅威を感じたのは無理はない」と判断しました。元暴力団員たちが逮捕されるならわかりますが、こちらが罪に問われるのはあべこべですから当然ですよね。
私の自宅周辺では誹謗中傷のビラも撒かれました。「利権暴力集団の武谷はこの地区から追い出さねばならない」というような内容です。私が文句を言って怒っているような顔写真を載せて。3日後くらいには、関生支部にも来た元暴力団員やレイシストの瀬戸弘幸と渡邊臥龍ら14、5人が来て、誹謗中傷の街宣活動をしました。住宅街ですからね、周りはびっくりするじゃないですか。「武谷さんとこのご主人、暴力団やったんや」ってなるじゃないですか。
逮捕されたのはそれから1カ月半後くらいのことです。そうすると、自宅前で撒かれたビラの内容に警察がお墨付きを与えたことになるんです。やっぱり本当やったんやって。
当時は妻と中学生の息子、小学校低学年の娘と暮らしていました。息子は学校でいじめを受けるようになって、精神的に参ってしまいました。学校に行けなくなりました。
僕は2019年8月に釈放されたんですが、妻から電話がかかってきて「子どもの状態があるし、周りの目もあるから家に帰ってくるのはやめてほしい」と。僕は実家で母と暮らすことになりました。妻とは先日、離婚しました。子どもとは逮捕以来、今も会えていません。
子どもたちに会いたい気持ちはあります。ただ長男はね、当時学校でいじめられて精神的に参ってから、まだ完全には立ち直っていないようです。離婚時にも子どもの意思を尊重してくださいということになっているので、今は厳しいですね。
でも、食事でもしながら話ができるようになったらいいなと思っています。
120人の未払い賃金を払わせた関生
1993年に関生に入りました。それまでは運送会社に勤めていたのですが、残業代が払われなくてね。ドライバーなのに羽布団を売るノルマまでありました。でも労組は会社の言いなりの御用組合で、どうにもならない。
知り合いの伝手で関生に相談に行ったら、ものすごく真摯に話を聞いてくれました。関生に加入したら、問題を解決できるよと言われたんです。それで加入したら当時の運送会社の支店にいた120、30人のドライバー全員の未払い賃金を、関生が払わせた。
それから運送会社を辞めて、生コンのミキサー車に乗るようになったんですが、8時に仕事を始め、夕方4時半まで働いて1日1万7000円もらえた。関生の先輩に「こんなに給料もらえてびっくりしましたわ」って言ったら、先輩が仕事後の立ち飲み屋さんで教えてくれるんです。「これは関生の組合員が、ヤクザとやり合ったり警察に逮捕されたりしながら闘ってきた成果やねんで」と。
僕が関生に入った当初は、産業別労働組合のこともちんぷんかんぷんでした。でも生コン産業の中で、労働者がしっかり生活できる仕組みをどうやって作るか、たくさんのことを学びました。
今回は「ほんまに潰しに来よった」
関生への弾圧は、1982年、2005年に続いて3回目ですが、今回の2018年からの弾圧は規模も悪質さも違う。警察・検察をはじめ権力は、ほんまに潰しに来よったなと思いましたね。当時の委員長の武建一さんと、今の委員長で当時は副委員長だった湯川裕司さんのツートップを狙い撃ちにして、内部を混乱させた。その上で他の組合員たちも次々に逮捕した。暴力団壊滅作戦のようなやり方です。滋賀県警と京都府警は組織犯罪対策課が来た。
僕らより年配の人は学習してきているから、弾圧に対してどういう対応をせなあかんっていうのは分かっているんです。一方で、労働条件がよくなるからということで、関生に後から集まってきた組合員たちに、弾圧対策を浸透することができていなかった。組合員たちは不安になってしまった。そこに狙いをつけられた。僕ら執行部の反省点です。
無罪判決が相次いで、支援の輪も広がってきました。次の世代の組合員には、復権した関生を渡したいと思っています。
【取材者後記】父の正当な闘いを知ってほしい/編集長 渡辺周
インタビューの最後に武谷さんが言った。
「ドラえもんじゃないんでね、タイムマシンで過去に戻ることはできないんです」
メディアは逮捕された時は大々的に報道する。だがその後、無罪になっても小さくしか報じない。受けた被害は回復できない。そう吐露した。
武谷さんが受けた最大の被害は、家族を失ったことだ。逮捕当時、息子がいじめを受け心の傷を負った。今でも父と会える精神状況ではない。そのことが特に、武谷さんを苦しめている。
レイシストや元暴力団員が喧伝した誹謗中傷デマに、警察が武谷さんを逮捕することでお墨付きを与える。メディアはさながら警察の広報機関。武谷さんの側に取材することもなく、犯罪者のように報じる。無罪になったとしても、自分たちの過去の報道など忘れたかのように、しれっと短く報じる。
この一連の仕掛けの中で、武谷さんの地元住民や、息子の中学の生徒たちが武谷さんのことを白眼視した。
罪深いのは、仕掛けの当事者たちに、加害者としての意識が希薄なことだ。
例えばメディア。関生の弁護士たちは、今回の一連の弾圧を報じてもらうため、新聞やテレビの記者に事件の説明をする場を設けた。だが、なぜ関生側から弾圧を取り上げてほしいとお願いをしなければならないのか。メディアの側が過去の報道について謝罪した上で、取材をさせてくださいと頭を下げるのが筋だろう。そうはなっていないのは、メディアの側に加害の当事者としての自覚がないからだ。
私たちも、遅すぎた。武谷さんが逮捕されたのは、2019年7月。すでにTansaが創刊して2年が経っている。この証言インタビューをもっと早くに出せていれば、被害をわずかでも軽減できたかもしれない。当時は関生の存在すら知らなかった。無知を恥じるとともに、心よりお詫びする。
それでも、武谷さんの息子さん、娘さんにこのインタビューをみてもらえることを切に願う。父の闘いが正当であったことを知ってほしい。
他の関生組合員たちのインタビューもみてほしい。父が素晴らしい仲間たちと闘ってきたことが分かるはずだ。
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