
参政党は日本をどのような国にしようとしているのか。
そのことが如実に表れているのが参政党の憲法草案だ。参院選を間近に控えた2025年5月、「改憲案」ではなく「創憲案」として公表した。参政党のウェブサイトによると、全国の党員と共に、2年がかりで議論を重ねてきたという。
現行憲法が計103条で構成されているのに対し、創憲案は計33条。中身が薄い上に、憲法と呼ぶに値するものではない。憲法とは本来、国民が国家権力に守らせる約束事であるのに対し、創憲案は逆だからだ。国家権力が国民に課す義務に重点が置かれている。
しかも、時計の針が逆戻りしたかのような記述が目立つ。前文にはこうある。
「天皇は、いにしえより国をしらすこと悠久であり、国民を慈しみ、その安寧と幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。公権力のあるべき道を示し、国民を本とする政治の姿を不文の憲法秩序とする。これが今も続く日本の國體である」
大幅に削除された権利
毎日新聞の7月16日付記事「今の憲法にはあるのに? 参政党の創憲案で消された私たちの『権利』」が指摘しているように、創憲案では主権者であるはずの国民の様々な権利が抜け落ちている。
まず、法の下の平等(現憲法14条)がない。これでは様々な差別が助長される。
「信教の自由」(現憲法20条)もない。第一条で「天皇は、国民の幸せを祈る神聖な存在として侵してはならない」とあるので、天皇以外を崇める宗教は認めないのだろうか。
「居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」(現憲法22条)もない。住む場所や職業も国家権力に決められてしまうのだろうか。
「勤労者の団結権、団体交渉権、団体行動権」(現憲法28条)もない。労働組合に入って、賃金アップや労働条件の改善を求めることができないのだろうか。
現憲法18条にはある「奴隷的拘束及び苦役からの自由」もない。強制的に働かされたり、徴兵されたりすることがあるのだろうか。
課された様々な義務
一方で、現行憲法にはないことが創憲案には多くある。
例えば報道機関のあり方を、国防に関する「国まもり」の章に位置付け、戦前の「大本営発表」の役割を果たさせるような条文がある。
「報道機関は、偏ることなく、国の政策につき、公正に報道する義務を負う」(十六条2)
国防に関しては、こんな条文もある。
「軍事裁判所を設置し、その構成は法律で定める」(二十条5)
教育も戦前に逆戻りしたかのようだ。
「国語と古典素読、歴史と神話、修身、武道、及び政治参加の教育は必修とする」(九条3)
「教育勅語など歴代の詔勅、愛国心、食と健康、地域の祭祀や偉人、伝統行事は、教育において尊重しなければならない」(九条4)
血統と「日本人ファースト」を重んじる参政党らしい条文もある。
「国民の要件は、父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心を有することを基準として、法律で定める」(五条)
「土地は公共の財産であり、外国人または外国資本に譲渡してはならない」(十九条2)
「外国人の参政権は、これを認めない。帰化した者は、三世代を経ない限り、公務に就くことができない。帰化の条件は、国柄の理解及び公共の安全を基準に、法律で定める」(十九条4)
こんな憲法案をもとに、参政党に国の運営を任せてもいいのだろうか。改めて、7月20日投票の参院選の有権者に問いたい。
「それでも、あなたは参政党を選びますか」
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