
書籍発売イベントの様子=隆祥館書店noteから
2026年1月5日、1通のメールが届いた。
「『終わらないPFOA汚染 公害温存システムのある国で』が、ノンフィクション大賞に入賞されました」
送り主は、大阪・隆祥館(りゅうしょうかん)書店の店主・二村知子さんだ。メールはこう続いた。
「隆祥館書店のお客さまが、2025年下半期に購入してくださった、ベスト10です」
驚いた。1年前にも、本書は「隆祥館書店ノンフィクション大賞」に入賞している。発売から3カ月後のことだったので、多くの人が手に取ってくれたのだろうと思っていた。発売から1年以上経っても売上冊数トップ10に入るとは、思ってもみなかった。
何より、「隆祥館書店で多く読まれている」というのが嬉しい。
なぜなら、「闘う本屋」だからだ。
小さな書店から、全国一の注文数

隆祥館書店=隆祥館書店サイトから
隆祥館書店との出会いは2024年10月。著書の発売がきっかけだ。
『終わらないPFOA汚染』は、全国の書店で置かれることとなった。とはいえ、注文数は多くの書店で1〜5冊。国内最大規模の大型書店「紀伊國屋書店 新宿本店」でも15冊だ。
そんな中で、隆祥館書店からは40冊もの注文があった。
行ってみたい。そう思った矢先、隆祥館書店の方から連絡が届いた。
「店主の二村と申します。中川さんの書籍発売イベントを開きたくて。PFOA公害について、お話ししに来てくれませんか」
二つ返事で引き受けた。
安心できる雑誌棚
新大阪駅から電車を乗り継いで30分足らず。大阪市内を横切る幹線道路沿いに、その小さな書店は現れた。茶色いひさしに、オレンジ色の「隆祥館書店」の文字。ふと足を止めたくなる温かみがあった。店頭には子ども向けの雑誌が置かれ、書籍関連のポスターが貼られている。
スライド式の扉の奥に、接客中の二村さんが見えた。ちょうどいい。店の中を見て回ることにした。新書や文庫本、漫画や参考書などがびっしりと並んでいる。一見、どこにでもある街の本屋さんだ。だが、足を止めた雑誌コーナーで気がついた。
「雑誌棚が平和や」
ネットで本を買うことも増えたが、街中や駅で書店を見かけると、吸い込まれるように立ち寄ってしまう習慣は抜けない。カラー写真に大きな文字で、目に入りやすいのが雑誌だ。多くの書店が、差別を煽ったり、軍拡のプロパガンダを謳ったりしている雑誌を置く。売上げに貢献しているのだろう。
隆祥館書店には、そのような本が一切なかった。「安心して本と向き合える店だ」。すぐに心を掴まれた。
書籍を宣伝する手作りのポップは素朴だった。目を惹くような凝ったデザインではない。それでも魅力を伝えたい気持ちが伝わってくるし、実際手に取ってしまう。
そこへ、接客を終えた二村さんが声をかけてくれた。
「こんにちは、中川さんですよね? ここは狭いので、上で打ち合わせしましょう」
付箋だらけの原稿
二村さんの言葉どおり、店は小さい。13坪で、おおよそ25畳だという。
「こんなに小さい店で、何十冊と売ってくれているの?!」
通された応接室で未だに不思議がっていると、紙の束を持った二村さんがやって来た。
「お待たせして、ごめんなさいね」
「とんでもないです。お店、大丈夫なんですか?」
「店員がいるから大丈夫。それよりも、この本を読んでびっくりしました。私ね、大阪に住んでるのに、PFOA汚染のことを知らなかったの」
紙の束は、『終わらないPFOA汚染』のゲラだった。校了後の原稿を、出版社から受け取ったという。たくさん貼られた付箋が無造作に飛び出している。蛍光マーカーやメモの書き込みも見せてくれた。
「これは社会の人たちが知らなあかんこと。今伝えなあかんことやと思って、注文させてもらったんです」
さっき見た雑誌棚に、合点がいった。
父が言った「闘うんや」
隆祥館書店は、1949年に二村知子さんの父・二村善明さんが創業した。店を構えた大阪市中央区安堂寺町は、大阪市のど真ん中。文学賞「直木賞」に名を冠す直木三十五の出身地でもある。
幼少期に戦争を経験した善明さんには、「本を通じて人々のリテラシーを高めたい」という思いがあった。「本は毒にも薬にもなる」と常々語り、「売れる本」ではなく「血肉になる本」を店に並べた。
争いごとを好まず穏やかな性格で、人当たりもいい。閉店間際でも、お客さんが来ると快く招き入れ、話し込むこともしょっちゅうだ。知子さんはそんな父の姿を見てきたが、まさか後を継ぐとは思ってもみなかった。
小学2年でシンクロナイズド・スイミングをはじめた知子さんは、16歳で日本代表選手になった。世界大会では銅メダルを獲得した。師匠の井村雅代さんとは、現在も親交がある。
実家に戻ってきたのは30代の中頃。あらゆる不幸が重なり、パニック障害を患った。「もう消えてしまいたい」と思うほどだったが、なぜか書店には立てた。お客さんとの会話や、お勧めした本が喜ばれる経験を重ねるうちに、少しずつ回復していくのを自分でも感じた。
1995年に父のもとで働き始め、逝去する2015年までの20年間を共に過ごした。
店での接客は大好きだった。父の姿勢に共感するお客さんがたくさんおり、坪単価あたり日本一の売上げを誇っていた時期もある。だが、小さな書店にとっては厳しい業界だという現実を知る。
店に並べたい新刊を見つけて入荷しようとも、小型書店だからと納品してもらえないことが相次いだ。知子さんは東京にある大手取次商社の本社に電話をかけ、直談判した。
「うちなら絶対にたくさん売れます。坪単価は関西で1番だと言われています」
しかし返ってきた言葉は冷たかった。「坪単価が何なんですか」。
取次商社にとっては、街の小さな本屋に並ばなくても、人目につきやすい大型書店やネットで1冊でも多く売れればいいのだ。
電話を切ると、思わず涙が溢れた。すると、そばにいた父が口を開いた。
「闘うんや」
「どうやって闘ったらいいんよ!」
「声を上げることや」
「このままでは、全国の本屋の風景が変わる」
闘えと言われても、一体何をすればいいのか。本を売ろうにも、入荷すらできない状況だ。
一方で、社会的マイノリティの人を差別したり、「嫌韓・嫌中」を広めたりする書籍の営業は絶えない。「とりあえず店頭に置いていただけたら、通常の利益よりも1冊あたり数十円プラスします」という電話を何度も断った。
教科書の販売も検討した。小さな書店でも、教科書で販路を確保している本屋は潰れにくいと言われている。教科書選定から落ちた歴史の教科書が届き、店に並べた。その中身を見て、父が言った。
「日本の加害について書いていない教科書は置いたらあかん」
知子さんはハッとした。恥ずかしく思い、すぐに返品した。
「業界の流れに身を任せていたら、全国の本屋の風景が変わっちゃうんじゃないかなって思いました」
「私は専門家でもないし、学者でもない。だけど、自分が良いと思った本を選ぶことはできるし、そういう本屋であり続けようと思ったんです」
父が口酸っぱく言っていた、「『売れる本』ではなく、『血肉になる本』を売る」ことを守りきると決心した。そのために試行錯誤することが、「闘い」なのだと気がついた。
現在、知子さんは店に並ぶ約1万冊の書籍の内容を、ほぼ全て把握している。お客さんに積極的に話しかけ、その人に合った本をお勧めできる理由だ。
コロナ禍で来店者数がぐんと減った時には、「1万円選書」を始めた。知子さんがお客さんをインタビューして作った「カルテ」に基づき、1万円分の本を選んで販売する。大好評で、予約を開始するとあっという間に数百人から依頼がくる。毎回、急いで受付停止しなければならないほどだ。
近所の私立高校からは、図書館に置く本を毎月選んでほしいという依頼を毎年受けている。校長先生からの「子どもたちが知らないことに気づかせてもらえるような、そんな本を二村さんに選んでほしいんです」という言葉に、一層熱が入る。
一方で、二村さんのポリシーを快く思わない人もいる。隆祥館書店に、「あんたは反日だろ!」などとまくし立てる電話がかかってきたことがあった。
怖くてたまらなかったが、闘いをやめることはない。知子さんは言う。
「本屋が負けたら、『知らねばならないこと』を伝えるプラットフォームが壊れます」
「それって、言論の自由を手放すことだと思うんです」
ノンフィクション賞を立ち上げた理由
知子さんの視点は幅広い。書店で出会うお客さん一人ひとりから、業界全体へも意識をめぐらす。
危惧していることの一つが、ノンフィクション賞の衰退だ。
書籍関連の賞はいくつもあるものの、ノンフィクション部門の閉鎖が相次いでいる。
知子さんは、選考方法にも問題があるという。他ジャンルでは、読者投票が加味されるものが多くあるが、ノンフィクションは権威が選ぶものばかり。政治的なものが外されやすいという傾向にも気がついた。
「ノンフィクションの著者は、真実を書くために現地まで行って、命がけで取り組んでますよね。妬まれたり、危険な目に遭うこともあると思います。そういうのを評価せずに無視するって、ものすごく失礼だと思うんです」
「それにね、民主主義が壊れてしまうんちゃうかなって」
どう闘うか。
2023年、知子さんは隆祥館書店のノンフィクション賞を立ち上げた。
選考基準は、該当期間にお客さんが購入した冊数だ。
「知らなければならないこと」を届ける
依然、小さな書店を続けることは厳しい。
大型書店に優先的に納品される配本制度をはじめ、売上げの中抜きなど、書籍流通の仕組みには根深い問題がある。
知子さんは、ネット上での発信や経産大臣への対面での陳情を通し、声を上げ続けてきた。
2011年には、著者と読者をつなぐイベント「作家と読者の集い」を隆祥館書店で始めた。
私が招かれたのも、この集いだ。対面とオンラインの併用で、小さな会場に本を持った来場者が寄せてくれた。
私が「人々が知るべき」だと考えていること、知子さんが「人々に伝えなければいけない」と考えていること、読者が「知らないといけない」と思ったことが、重なった瞬間だった。
テレビやネット空間の発信者は、「よく見られるもの」を届けることに躍起になっている。報道機関やジャーナリストにも、「人々が知りたいことを届けるのが仕事」と言う人が大勢いる。
それは違う。
ジャーナリストの役目は、「人々が知らなければならないこと」を届けることだ。「人々が知りたいこと」とは、似て非なるものだ。
職業を超えて、志を同じくする隆祥館書店のノンフィクション賞に選ばれたことの意義深さは、権威からの授賞とは比べものにならない。

(左)隆祥館書店の二村知子さんと筆者=隆祥館書店noteから
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