ワセクロの五感

異国で見たもの(20)

2020年09月02日6時33分 齊藤林昌

カナダのトロントに来てからあと少しで半年になる。あっという間だったが、振り返るといろいろなことがあった。コロナのせいで授業がリモートになり、友達ができなかったこと。ずっと家にいるのでホストファーザーが飼っている猫のジギーくんに懐かれ、カナダで唯一の友達ができたこと。

まさかこんな留学になるとは思っていなかった。幸いコロナにはかからずに済んでいるが、本当に怖いのはウイルスではなく人々の視線だ。スーパーや駅の中を歩いていると鋭い目つきで睨みつけてくる人がいる。ただ散歩をしているだけなのに、「フ○ックオフ!」(失せろ!)と感情剥き出しの言葉で罵られることもあった。そんな経験をしたのは私だけではなく、アジア人への偏見はコロナの流行と共にじわじわ広がっていた。

カナダの日刊紙・トロントスターは今年4月、偏見が暴力的な行動にエスカレートする現状について報じていた。あるアジア系カナダ人は知らない人に「ウイルスと一緒に国へ帰れ」と言われたうえ、足元に唾をかけられたという。同じような出来事がカナダ各地で起きていた。そもそも人種的にマイノリティな上に、「コロナを世界に拡散させているアジア人」という偏見が加わって起きた出来事だ。異国で生活する息苦しさを身をもって体感した。

そんなとき、アメリカではジョージ・フロイドさんの死に抗議するデモが起きていた。同じ時期にカナダでも黒人女性が警察官に殺される事件が起き、デモはトロントにも波及した。

私も何度か足を運び、デモに参加した。社会を動かしつつある大きなうねりをこの目で見たいという考えもあったが、それ以上にシンパシーのようなものを感じていた。もちろん、何世紀にも渡る構造的な差別と苛烈な偏見に苦しんできた人々の気持ちを理解したつもりは毛頭ない。ただ、この国で生きづらさを感じているという点では黒人もアジア人の自分も同じだと思った。

そう思いつつも、迷っていた。黒人ではない自分がデモに参加したら野次馬だと思われないだろうか、と。杞憂だった。デモの現場はまさに人種のるつぼ。黒人、白人、アジア人も大勢いた。親に連れられた4、5歳くらいの少女や、電動カートに乗ったおじいさんもいた。人が人を想う気持ちに、人種も年齢も乗り物も関係なかった。

産まれてくる前に肌の色を選んでから産まれてきた人はいない。選択の余地がないことで社会から虐げられるほど不平等なことはない。もちろん人種だけではなく、性別や病気、障がいなど、社会の至るところに差別は蔓延している。目を覆いたくなるような現実に向き合いつつ、人のために生きる記者になりたい。

リポーター 斎藤林昌

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