スーパーのフルーツ売り場で、よく目立つところに置かれているのがフィリピン産バナナだ(*1)。そのフィリピンでいま、日本向けバナナの出荷や生産の現場で働く人たちに対して暴力行為や嫌がらせ、放火、発砲などの事件が相次いでいる。そして昨年10月、ついに殺人事件にまで発展した。
日本のバナナ市場の86%はフィリピン産バナナが占める。そのバナナが生産・出荷されているのがミンダナオ島だ。扱うのはスミフル・ジャパン(*2)。タレントのGACKTがイメージキャラクターを務める「甘熟王ゴールドプレミアム」などを扱う、あのスミフルである。今はシンガポールにあるスミフル・シンガポールの子会社だが、前身は住友商事の100%子会社の住商フルーツだ。大手スーパーのイオンでは「甘味さわやかバナナ」の一部でスミフルのバナナを売っている。
そのスミフルの出荷工場で働く人たちに対して、自宅の放火や発砲事件、本人や家族への嫌がらせなどが連続して起きている。そしてついには殺人事件にまで発展した。
激しくなったのは、スミフルの出荷工場で働く人たちが2018年10月1日から始めたストライキからだ。
八つの出荷工場が「統一労組ナマスファ」(*3)をつくり、ストライキでスミフルに正規雇用と団体交渉を要求した。ストに参加したのは八つのうちの七つの出荷工場の人たちだ。ストは300日を超えていまも続き、ストに参加したことを理由に749人全員が解雇された(*4)。
家族を支えられないほどの賃金の低さ、立ちっぱなしで深夜にまで及ぶ仕事ーー。背景には低賃金・長時間労働の実態があった (*5)。
低賃金・長時間労働に支えられる安いバナナを日本人は食べている。
日本に届くバナナの背後で何が起こっているのか。2017年からの戒厳令がいまだ解かれないミンダナオ島を訪ねた。
「警察がいる。怖い」
ミンダナオ島の最大都市はダバオ。フィリピン第三の都市だ。そのダバオ空港に到着したのは2019年8月5日夜だった。そこから北東に車で約2時間。コンポステラという町に入った。人口は8万7000人(*6)。バナナ出荷の拠点だ。
この日は、ナマスファの組合関係者の自宅に泊めてもらうことにした。周囲はスミフルのバナナ農園に囲まれている。私たちが泊まった民家を、ナマスファの男たちが見張ってくれた。国軍や警察が危害を加えたりしないよう、警戒するためだ。
翌6日の朝6時過ぎ、メロディーナ・ゴマノイ(43)とともに、車でスミフルの管理事務所に向かった。彼女は統一組合ナマスファの書記長をしている。
管理事務所はコンポステラ町のサン・ホセ村(*7)にある。バナナ農園の間を走って15分ほどで到着した。すでに、門の前には40人ほどの労働者たちが集まっている。スミフルを解雇された人たちだ。
フィリピン労働雇用省の国家労使関係委員会は、スミフルに対し、解雇した労働者の復職を命じる行政命令を出した。復職できるかどうかを知ろうと、労働者たちが集まった。
スミフル工場の鉄扉の向こうには銃を抱えた警備員が立っている。それと向かい合うように、国家労使関係委員会の法執行官2人が立つ。しかし警備員は「管理部門の人間は朝8時にならないと来ない」と繰り返すばかりだ。目の前で、警備員は鉄扉を閉ざし、鍵をかけた。
法執行官の1人、デクスター・ブルラザ(41)は「これからそれぞれの出荷工場をまわってみる。正午まで待つ。会社が復職を認めないなら、そういうレポートを作成するだけだ」といった。ストに参加したスミフルの出荷工場は七つある。
私たちは法執行官の車に続いた。途中、書記長のゴマノイのスマホに、出荷工場の前にいた仲間からのメッセージが届いた。「警察がいる。怖い」とある。
「怖がらないで。落ち着いて」
ゴマノイが返信した。
午前8時過ぎ、私たちの車の後を付いてきた車が出荷工場で止まり、男2人が降りてきた。スミフルの関係者だった。法執行官に「今から会うから、管理事務所に戻ってきてほしい」と伝えた。スト突入以来300日、スミフル側が直接話し合いに応じてきたのは初めてだ。法執行官は「全部まわってからにする」と返した。スミフルの人間を乗せた車は私たちの後を追い、車の中からスマホで私たちを撮影していた。警察の車両も私たちについて来た。彼らはライフル銃を胸で抱えていた。
組合のリーダー2人が、国の法執行官とともにスミフルの事務所に入ったのは午前10時45分頃。1時間30分以上にわたる話し合いの結果をゴマノイは門の外で待った。門の前に詰めかけた組合員は200人をゆうに超えている。
やがて、中の組合リーダーたちが話し合いを終えて出てきた。近くのバスケットボール場に集まり、ハンドスピーカーを使って報告した。スミフルは労働雇用省に対し、復職拒否を伝えたという。ただしスミフル側は、直接雇用ではなく、これまで通り、労働者を派遣する会社(サービスプロバイダー)との間接雇用でなら復職に応じる、ともいったそうだ。
ゴマノイは「復職できればまたスタートラインに立てる。一歩一歩です」と素直に喜んだ。
ただ、状況は何も変わっていない。ゴマノイはいう。
「賃金も低いままだし、戻れたとしても、生活は厳しいまま。暮らしていくことはとても困難です。そして、組合員への嫌がらせや脅しは続くことでしょう」
自宅前で発砲も
ゴマノイは、20歳のときから、バナナの出荷工場で働いている。父が病気になったため、高校を2年生までしか通えなかった。
組合の書記長になってから、嫌がらせはエスカレートした。
ゴマノイのスマホには「組合を辞めろ」とメッセージが届くようになった。知らない男が「ゴマノイの自宅はどこか?」と近所に訪ねてくるようになった。近所の人は「知らない」と答えてくれたという。今年の4月20日の午後11時頃には、バイク5台に乗った男たち10人が彼女の自宅のすぐ近くに押しかけた。身を潜めていたゴマノイに5発の銃声が聞こえた。昨年2018年の8月20日には、工場に働きに出る途中、オートバイに乗った男たちに後を付けられていたこともあった。そのときは、民家に身を隠して、難を逃れた。
「組合を辞めたほうがいいと心配してくれる人もいるけど、『(私たちのやっていることは)次の世代のためでもある』と返事をしています。私たちは悪いことをしているわけではないのですから。嫌がらせを受けることは覚悟しています」
ゴマノイは2018年の10月11日にあった出来事を忘れられない。その時、彼女はダバオ市で組合の陳情活動をしていた。
それは、午後3時頃に起こった。
「もうやめて!」
ストライキに入って10日後のことだった。
ゴマノイの働いてきたスミフルの出荷工場の門の前で組合員60人ほどが門の外側でストをしていた。バナナを積んだトラックが出ていかないよう、監視していた。ストに入っているほかの出荷工場前でも午前中から次々と仲間たちが襲われていた。
その脇に国軍と警察などが突然やってきた。私服の集団もいた。目撃者によると、150人ほどの規模だったという。
突然、銃を持った私服の男たちが突撃してきた。
誰もがスミフルの雇ったグンズ(傭兵)だと思った。
横断幕を奪い取るや、組合員に襲いかかった。リーダーのウィルソン・バティクラ(60)は仲間に逃げるよう指示した。だが、仲間の女性の1人が転んだ。逃げ遅れた。男たちにつかまり、殴られていた。それを見たバティクラはその場に留まった。
その3人の男がバティクラに襲いかかったのはそのときだった。男たちがバティクラをつかまえた。手には紐を持っていた。その紐をバティクラの首にかけてきた。バティクラがその紐をつかみ、逃げようとすると、左の口のあたりを殴られた。
口から血が吹き出した。
紫色のTシャツに血が飛んだ。バティクラは仰向けに倒れた。男たちはバティクラを殴り、蹴り続けた。すぐそばにいた妻のジェニファー(48)とバティクラの妹が止めに入った。
「もうやめて!」
妻がそう叫ぶと、妻にも男たちの拳が飛んできた。
現場は騒然となった。
「死んじゃうじゃないか」
すぐそばにいたアンヘリート・ハカ(50)はバティクラが血を吐き出すように見えた。そして、叫んだ。
「もう十分じゃないか、私の仲間が死んじゃうじゃないか!」
すると、バティクラを殴っていた3人の男たちが今度はハカに襲いかかった。男の1人は「お前もアカの仲間か!」と叫んだ。組合をアカ(共産主義者)の団体だとレッテル貼りしていた。別の男2人も加わり、ハカの両腕を取った。3人の男が背後に回り、腰を中心に殴打と蹴りを入れてきた。ハカは倒れた。倒れたハカに暴行は続いた。
メンバーは散り散りに逃げた。マリリン・ベリンゲル(51)は自宅の近くにある雑貨屋(サリサリ)の裏側にあるトイレに隠れた。ベリンゲルの自宅近くにまで来た追っ手に、近所の人が「私たちは仲間じゃない」といった。すると、彼らは立ち去った。
国軍と警察はそうした状況を見ているだけだった。
バティクラへの暴行は3分以上にわたって続いた。妻らに抱えられていったん自宅に戻り、キリスト教会に運ばれた。組合が避難所にしていた場所で、病院がわりに使った。バティクラはそこで、手当てを受け、一夜を過ごした。自宅に帰っても「いつ襲われるか」と不安でしばらく寝付けなくなった。ハカも仲間に抱えられて、自宅に運ばれ、バティクラと同じ教会で治療を受けた。今も痛みは残り、通院する(*8)。
この襲撃で、多くの負傷者が出た(*9)。
ダバオ市にいたゴマノイは、電話で事件の報告を受けた。知り合いも血だらけになっていることを知った。労働雇用省のダバオ事務所に駆け込んだ。
「助けてください」
しかし、労働雇用省の担当者は「自分たちでは何もできない。今は戒厳令。軍のコントロール下にあることだから」というばかりだった。
ゴマノイは怒った。
「あなたたちが止めないと、私たちの仲間が死んでしまいます」
「自分たちは法律に則っている。なんで助けてくれないんです」
「ダニーボーイ・バウティスタが殺された」
その20日後の10月31日、さらに深刻な事態が起こった。
その日、ゴマノイは組合事務所にいた。そこには、ストに参加する仲間たちが大勢集まっていた。
夕方、市場に買い物に出かけていた女性のメンバーが帰ってきた。
「ダニーボーイ・バウティスタが殺されたらしい」
「ほんとなの?」
「そいつは、ここにいた仲間じゃないか!」
ダニーボーイは、ナマスファで警護を担当する若手組合員だった。仕事が終わった後も熱心に組合の仕事をこなしていた。
ゴマノイはその時、「スミフルが雇った奴のしわざだ」と思った。約2ヶ月前の9月4日に組合のリーダーの1人が銃撃されたからだった。彼は6発撃たれたが弾は当たらず無事だった。朝6時頃、出勤途中の事件だった。
日本向けのバナナをめぐって、人が殺される事態が発生した。
組合事務所にいた15人ほどの仲間たちがバンに乗り込み、殺害現場に向かった。
(敬称略、年齢は取材当時)
取材パートナー:特定非営利活動法人APLA(Alternative People’s Linkage in Asia)、国際環境NGOFoE Japan、特定非営利活動法人PARC(アジア太平洋資料センター)
〈脚注〉
*1 日本にバナナが商業的に輸入されたのは1903年で、台湾からだった。日本の市場を台湾産バナナが占めた。1958年にフィリピン政府が日本の輸入自由化を見据えてバナナ栽培の研究スタート。日本政府が1963年にバナナの輸入を自由化すると、1973年にフィリピン産バナナの輸入量が1位になり、以降、日本ではフィリピン産バナナが市場の1位を占める。出典:鶴見良行『バナナと日本人ーーフィリピン農園と食卓のあいだ』岩波書店、1982年。スミフル・ジャパン、バナナ大学など。
*2 住友商事の100%子会社として住商フルーツが1970年に設立。2011年に社名を住商フルーツからスミフルに変更。2016年にはスミフルの全事業をスミフル・ジャパンが継承する。日本のバナナの27.9%(2016年)を占める。スミフル・ジャパンはスミフル・シンガポールの子会社で、住友商事はスミフル・シンガポールの株49%を持つ。住友商事は2019年6月にスミフル・シンガポールのすべての株式を売却すると発表。「フィリピンのバナナ事業から撤退」と報じられた。出典:スミフル・ジャパン会社登記簿、同社ホームページ、日本青果輸出入安全推進協会(日青協)の「日青協会員登録によるバナナ輸入実績(輸入者別・産地別) 2016年」など。
*3 ナマスファ(NAMASUFA:Nagkahiusang Mamumuo Sa Suyapa Farm) は2018年8月9日、スミフルの八つの出荷工場に作られた労働組合が結成した統一労組。結成時の組合員数は931人。各単組からリーダー3人ずつが統一労組の理事メンバー、もしくは、委員長、副委員長、書記長、会計担当、会計監査の計5人から成る「ExCom(エクスコム)」と呼ばれる執行部に入った。ストライキには8単組のうち7単組の749人が参加した。ナマスファはフィリピン国内の労働組合の連合組織の一つで、左派系の「5月1日運動」(KMU: Kilusang Mayo Uno)に加盟している。スミフルは各労組が一つになることは違法だと主張している。
*4 フィリピンの中央労使関係委員会(NLRC)は2019年1月30日、組合員の解雇理由として挙げられた事実は、証拠不十分で認められないとして解雇を取り消すよう、スミフル側に求める決定をした。また、フィリピン最高裁は2018年6月7日、一つの出荷工場の労働者について、スミフルとの間に直接雇用関係があると認定する判決を出している。
*5 「統一労組ナマスファ」が指摘する労働環境の問題としては次のようなものがある。雇用契約書の不在▽産休・緊急時における有給休暇の不在▽出荷工場で4時間の超過勤務の強要▽退職手当の不支給▽長時間、立ち仕事の強制▽化学薬品対策の不足▽組合員への嫌がらせーーなど。メロディーナ・ゴマノイによると、休憩時間は、午前11時〜正午、午後3時〜午後3時15分、午後7時〜午後7時30分。出荷工場や仕事内容によって休憩時間は若干異なるようで、ゴマノイとは別の出荷工場で働くジョセリーナ・ラグロマの場合は、午前10時30分〜午前11時30分、午後3時30分〜午後4時、午後6時30分〜午後7時。
*6 Total Population by Province, City, Municipality and Barangay: as of August 1, 2015
*7 サン・ホセ村(San Jose)の人口4,457人。コンポステラ町は16の村で構成され、人口は972人~8,348人。サン・ホセ村はコンポステラ町では中規模の村になる。出典:Total Population by Province, City, Municipality and Barangay: as of August 1, 2015
*8 アンヘリート・ハカは、ダバオ市の公共病院サザン・フィリピンズ・メディカル・センターに通院している。ダバオ市が提供している「Lingap para sa Mahirap」プログラムという貧困者向けの制度を使い、無料で治療を受けている。例えば、2019年4月7日〜5月9日まで、組合を支援するKMUの事務所に泊まり、病院に通っていた。この制度を受けられるのは1日100人までで、ハカは朝4時に病院に並んで番号札を取ったという。
*9 ナマスファが労働雇用省長官に提出した2018年12月27日付のレター。そのレターによると、襲撃された七つの出荷工場で少なくとも計27人が重傷を負った。負傷者は計200人超になった。
バナナと日本人一覧へ