強制不妊

厚生省令で、家族・親族の病歴や犯歴調査を命令

2018年02月15日17時03分 加地紗弥香

知らない間に子どもを産めない身体にされていたとしたら、あなたはどうしますか。

都道府県に設置され、不妊手術を決める優生保護審査会の中には、審査対象者の家族・親族の病歴や犯歴を調べているところもありました。厚生省令で命令していました。ワセダクロニクルの入手した文書で明らかになりました。当人の「障害」や「疾患」に遺伝性があるかを調べるのが目的でした。調査は主に医師が担っていました。優生保護の名のもと、国が主導して対象者の家族の人権までも侵害していました。

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強制不妊手術 優生保護法第1条は「不良な子孫の出生を防止する」とし、「精神分裂病」「精神薄弱」「そううつ病」「てんかん」「血友病」など、遺伝性とされた疾患や障害を持つ人たちが対象になった。手術に本人の同意は必要なく、都道府県が設置する優生保護審査会の決定があれば不妊手術ができた。医師は「遺伝性の疾患」を持つ人を見つけた場合は、審査会に申請する義務があった(優生保護法第4条)。また、厚生省公衆衛生局通知(1949年10月24日付)では「やむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬の施用又は欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許される」とされた。つまり本人が嫌がって手術ができない場合は、身体の拘束や麻酔の使用だけでなく、だまして手術してもいいとされたのである。男性の場合は精巣から精嚢(せい・のう)につながる精管を切断、女性では卵管を糸で縛り、卵子が卵管を通過しなくする。出典:中山三郎平『現代産科婦人科学大全 第9巻《不妊症 避妊》』(中山書店、1970年)、優生保護法施行規則。
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おことわり 入手した資料には差別的な表現も含まれていますが、当時の状況や実態を正確に伝えるため、原文通りに引用します。

【動画】強制不妊手術に関する公文書

厚生省令「血族の自殺者、犯罪者の記入を」

優生保護法が施行された翌1949年の1月20日、厚生大臣の林譲治(*1)は「厚生省令第三号」を出し、優生保護法の施行規則を定めた。その中には、強制不妊手術の対象者を医師が申請する際に提出する「遺伝調査書」の「記載上の注意」で次のように指示した。省令は通知などとは異なり、法的拘束力がある(*2)。

「遺傳調査書中本人の血族中遺傳病にかかった者の欄には、遺傳病にかかった者は勿論自殺者、行方不明者、犯罪者、酒乱者等についても氏名、年齢、続柄を記入し罹病者については、その病名(病名不明の者についてはその事実)を病名欄に、自殺者、行方不明者等については備考欄にその事実を記入すること」「調査血族の範囲は、一応知ることができる限度でよい」(旧字体を含め原文まま)

この厚生省令を受け、強制不妊手術の適否を決める都道府県の優生保護審査会に、医師から調査書が提出された。そこには当事者の家族や親族の詳細な病歴や犯歴までが記述されていた。

「厚生省令第三号」。家族の病歴や犯歴も記載するよう命じた

家系図作成

神奈川県の公文書館には、1970年度の優生保護審査会で使われた対象者の「家系図」が残されていた。

精神薄弱症と診断された相模原市の女性。この女性を診断した川崎市の医師は1970年10月20日、神奈川県優生保護審査会に手術の申請をした。医師は申請書とともに、家系図を提出した。

家系図では祖父母の代まで遡り、親戚や兄妹の病歴を調べている。姉が「難聴」であることや、親戚の死亡原因が「腹膜炎」「胃癌」「背椎カリエス」であることなどが書かれている。健康の場合は「健」とある。

1970年度には、優生保護審査会でこの女性を含む10人分の審査を実施。そのうち9人分の家系図があった。作成したのは全て医師だ。

家系図がなかったのは「精神薄弱」とされた横浜市の女性。身寄りがないため調査ができなかったと理由が書かれている。

医師が作成し、審査会に提出した家系図

「父方の従兄に累犯者」で「遺伝性の疑い濃い」

福岡県では、優生保護審査会で使う資料として「家系の状況」を手術の申請医師が記入する欄があった。

「精神薄弱」の39歳の女性は1980年8月8日、県立病院の医師から手術を申請された。資料には「食品会社に勤務したこともあったが、気分が不安定で社会生活で適切な判断ができず、申請医の病院に入院中」などと本人の状況が説明してあるのと同時に、「家系の状況」には以下の記述がある。

「本人の末妹は本人と同じく精神薄弱であり精神病院に長期間の入院歴がある、現在は当院外来通院中である」

「母方の従兄(父の弟の子供)に累犯者があり、現在服役中である」

以上を踏まえて、医師は「申請理由」でこう結論づけている。

「本人と本人の末妹はともに精神薄弱であり、その原因ははっきりせず遺伝性が考えられる。さらに父方の従兄にも累犯者があり、右の疑は濃い」(原文まま)

この女性は手術が決定した。

福島県は「薬物・アルコール・麻薬中毒、放射線障害」も調査

福島県では、強制不妊手術の適否を決定する審査に際し、親の薬物中毒や放射線障害に関する情報を調べていた。

福島県では1962年度および1970年度から1979年度の審査会資料が残っている。1970年度分の資料から「優生保護法第4条の申請による遺伝関係調査書」というB4判1枚の紙が添付されるようになった。

父方と母方それぞれの親族の「学歴、職業、健康状態等」を書く欄の下に、以下の調査項目がある。いずれも「有・無」を選択する。

1 父母の薬物・アルコール・麻薬中毒及び放射線障害

2 胎生期障害(風疹、トキソプラズマ症、その他)

3 出産時障害(難産、仮死出産、鉗子出産、その他)

4 乳幼児障害(1〜3才頃まで)疾病、重症麻疹、脳炎、髄膜炎、脳外傷 その他

ワセダクロニクルでは、群馬県や埼玉県などでも家族や親族の病歴を調べていた形跡を確認した。ただ「遺伝調査書」の項目が黒塗りで具体的な内容はわからない。

福島県が使用していた「遺伝関係調査書」。父方、母方の血統ごとに家族の学歴や健康状態などを記入する欄が設けられていた。アルコール・麻薬中毒などの有無も選択するようになっていた

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第2次世界大戦の敗戦から3年後の1948年、優生保護法という法律ができました。法律は1996年に母体保護法に変わり、強制不妊手術はできなくなりました。その間に国家に強制的に不妊手術を受けさせられた人は、男女合わせて1万6500人を超えました。子どもが産めなくなると知らないまま手術を受けさせられた人もいます。優生保護法は、本人がいやがった場合はだましてもいいとまで解釈されていました。

優生保護法の目的は「不良な子孫の出生を防止する」(同法第1条)でした。敗戦後、「日本民族の再興」を目指した政治家たちの発想でした。遺伝性とされた疾患や障害を持つ人が対象でした。手術の対象は、遺伝性のない疾患や障害を持つ人、そもそも疾患も障害もあるとはいえない人にまで広がり犠牲者は増え続けました。

被害者の多くは今も生きています。しかし、政府は被害者に対して補償も謝罪もしていません。シリーズ「強制不妊」では、「公益」を理由に憲法で保障された基本的人権を蔑ろにした国家の責任を問います。


*1 1930年衆院議員当選後、文部相秘書官、農林参与官、内閣書記官長を経て、1948年に厚生相に就任。その後は、副総理や衆院議長を、自民党顧問を務める。出典:1960年4月5日付朝日新聞夕刊。
*2 国家行政組織法。

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