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【研修会レポート/ゲスト講師・依光隆明さん】「高知県庁『闇融資』事件」を追った日々/時代が変わっても普遍的なジャーナリストの佇まいとは

2022年5月29日(日)、ゲスト講師に高知新聞社会部長や朝日新聞特別報道部長を歴任した依光隆明さんをお招きし、Tansa Schoolベーシックコース2期生 研修会を実施しました。(文:小倉優香)

依光隆明(よりみつ・たかあき)

1981年高知新聞に入社し、社会部長などを務める。2008年12月朝日新聞に移り、特別報道部長など。2001年高知県庁の不正融資を暴いた取材班代表として新聞協会賞を受賞。2012年、福島第一原発事故に視点を置いた連載企画の取材班代表の1人として再び同賞受賞。共著に『黒い陽炎―県闇融資究明の記録』(リーダーズノート)、『レクチャー現代ジャーナリズム』(早稲田大学出版部)など。

講演を行う依光隆明さんとメモをとる受講生=2022年5月29日(撮影/小倉優香)

研修会には、テレビ局や新聞社の若手記者、研究者や学生など、Tansa School 第2期生の中から15人が参加しました。

参加者は冒頭の自己紹介で、「自分でネタの端緒を掴めるようになりたい」「記者経験が浅いのでこの機会にいろんな記者とつながり学びたい」といった期待を共有しました。

Tansaが依光さんに講師をお願いしたのには、二つの狙いがありました。一つは、事態を動かす探査報道のプロセスを依光さんの実体験をもとに学ぶこと。もう一つは、時代が変わっても普遍的なジャーナリストの仕事内容は何かを整理すること。

そこで今回選ばれた題材が、依光さんが高知新聞時代に手がけた「高知県庁『闇融資』事件」です。

「高知県庁『闇融資』事件」とは、1996年〜1997年にかけて高知県庁が部落解放同盟の幹部が関わる特定の縫製協業組合「モード・アバンセ(以下モード社)」に総額12億円を超える県の公金を不正融資。回収が不可能とわかっていながらも、県はモード社だけを対象とした融資制度を秘密裏に設けて融資を行った。しかしほぼ全額が焦げ付き県に膨大な損害を与えた事件。

2000年の高知新聞の報道を受け、県議会が百条委員会を設置し調査を実施。2001年には県警による強制捜査が行われ、元副知事、元商工労働部長、元商工政策課長が背任容疑、モード社代表理事らが背任や詐欺容疑で逮捕・起訴。

モード社代表理事には懲役4年の実刑が2006年に確定。県幹部3人は懲役2年2カ月〜懲役1年8カ月の実刑が2007年に確定した。

「分身」が掴んだ端緒

事件の端緒を掴んできたのは、依光さんの「分身」でした。分身とは「この記者のためなら目となり、耳となって情報を集める」という存在のことです。依光さんは、この分身を持てるかが、「情報が命」の記者にとっては非常に重要だと説きました。分身になってくれるかどうかは「互いにウマが合うかどうか」。つまりその記者個人の生き様に負うところが大きいようです。

依光さんの分身が掴んできたのは、ある県庁職員の一言でした。

「僕は、怖い」。何が「怖い」のか。ここから依光さんの取材が始まります。

独りでやり切る

取材に取り掛かったあと、依光さんはこう決めたといいます。

「ネタをつぶされないよう、自分一人で取材を進め、原稿を完成させるまでは周りに話さない」

「ネタがつぶされる」というのは、社の上層部から「もうやめろ」とストップがかかることです。

当時、高知新聞と部落解放同盟とはいい関係でした。部落解放同盟を敵に回すような報道は社の上層部が絶対に止めるだろう。取材の動きを県庁が知っても、県幹部が高知新聞へ圧力をかけることもある、と依光さんは考えていました。過去の経験があったからです。

その経験とは依光さんが県庁の「カラ出張」問題の取材を手掛けた時のことです。原稿を提出した後、依光さんが所属する社会部に、政治部のデスクが怒鳴り込んできたことがありました。

「カラ出張なんて前からやっていたことはわかっていた。必要悪だ。県庁を叩いたらどうなるかわかっているのか」

当時高知県庁が行っていたカラ出張とは、国から降りてきた予算にある「旅費」の中から架空の出張を申請し、現金を引き出す不正です。裏金にして、中央官僚の接待や県庁職員自らの飲食代などに流用していました。なぜこの悪事を追及することが高知新聞にとって問題なのでしょうか。

一つは、高知新聞のような地方紙にとって県庁は一番の情報源であり、長年かけて築いてきた関係性が壊れることへの恐れです。

二つ目は高知新聞の経営を支えていた広告費です。高知新聞と県庁は、県内で行われるイベントや講演会、展示など協業する事業も多く、県庁からの広告費も高知新聞の財政を支えていました。

「一方で聞いたことを他方にぶつける」の繰り返し

「闇融資」を取材するとき、依光さんはまず、事件の当事者である部落解放同盟の幹部や縫製工場、県庁職員たちの元へ地道に足を運びました。一方で聞いたことを他方にぶつけ、そこで聞いたことをまた元の人に聞いてという繰り返し。端緒を得てから紙面で報じるまで2年半。最大の山場は、県が業者に闇融資をした金額を掴んだ時でした。

ある日、依光さんが商工労働部長の部屋を訪れた時のことです。部長はおもむろに脇に置いてあったざら紙を取って、数字を書き始めました。闇融資の金額でした。

「これで記事が完成する」

依光さんは原稿を書き終えて出しました。

原稿を見た編集局長は、記事を掲載するか迷います。部落解放同盟や県庁と正面衝突するリスクを避けたいというのが理由でした。

ここからは、記事を掲載するための作業です。部落解放同盟の幹部の自宅に行って記事の趣旨を説明することもしました。ようやく記事が掲載されたのは、原稿を提出してから半年後のことでした。

自分が報道しなくては、事実は闇に葬られたまま終わる

記事を掲載した後は、高知新聞の心配をヨソに追い風が吹きました。読者からどんどん応援が寄せられたのです。「毎日記事を読むのが楽しみ」という手紙をくれた読者もいました。県議会、部落開放同盟、そして警察まで動きました。県議会は「百条委員会」で追及し、解放同盟は事件に関わった幹部を事実上解任。警察は闇融資の決裁ラインにいた県幹部たちを次々に逮捕していきました。全国の公務員に戦慄が走りました。

逮捕された県幹部たちは、私腹を肥やしたわけではありません。家族もいます。依光さんは「報道することで誰が得をするのだろう、本当に書く意味はあるのか」という葛藤で、寝ることができない日もありました。犯人は不明ですが、ハトの死骸を自宅に投げ込まれたこともありました。

それでも依光さんを支えていたのは「自分が書かなければこの事実が闇に埋もれてしまう」という思いでした。

依光さんが忘れられない光景があります。

商工労働部長が自宅から警察に連行された時のことです。依光さんと偶然目が合い、部長は軽くうなずきました。ザラ紙に闇融資の金額を書いて依光さんに渡した、あの部長でした。

当時の様子を振り返る依光隆明さん=2022年5月29日(撮影/小倉優香)

 

受講生と依光さんのQ&A(抜粋)

Q:闇融資事件の初報後、他紙からの追っかけ報道はあったのか。東京から記者が来るなど他紙とのコミュニケーションがあったら教えてください。

A:すぐに他紙の追っかけはあると思ったが、全くなかった。1年くらいは高知新聞の独り旅。初報から1年後に毎日新聞が全国版で報道し始めたが、その内容は高知新聞の闇融資記事のスクラップの中から「明日どれ書こうかな」って選んだものだった。

全国的にみると、毎日新聞がスクープしたことになる。高知新聞のサブキャップは怒っていたが、それでも報道されないよりはいいと当時は思った。

 

Q:自分が書こうと思っていることを嫌がる人に会い続ける時の工夫はありますか?

A:常にこちらの窓を開けておくことは大事。人の気持ちは一定じゃない。秘密を持っている人って「絶対に言わない」と気持ちが揺らがないこともあるが、無性に話したくなる時もある。会い続けたらその無性に話した時にぶつかることもあるかもしれない。だがそもそも会ってくれないこともある。そんな時には手紙を出すのも一つの手。その手紙を見返して、話したくなった時に連絡がくることもあるかもしれない。

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