記者になって初めての夏休みは、島根県にいた。朝日新聞の松江支局で勤務していた。
その前は日本テレビで勤めていて、ネオン輝く東京を楽しんでいた。いきなり対極の地へと赴任し、東京が恋しくなった。夏休みは東京で遊ぼうと思った。友人たちも東京にいる。
だが松江支局の上司が立ちはだかった。「夏休みは東京に行きます」と報告したら、言われた。
「お前、東京にどんだけたくさん記者がおると思っとるんや。お前が行かんでもええ。東京に行く暇があったら、車でまだ行ったことのない島根県内の土地を回ってこい。島根のことはお前が頑張らなあかんやろ」
えーっ!と思った。こちらは夏休みだ。仕事をしに東京に行くわけではない。大事件や大事故の緊急取材に備え、県外に出る時は報告することになっていたから、夏休みの行き先を告げたまでだ。どこへ行こうが自由ではないか。
だが、彼が意地悪で言っているわけでないことは分かっていた。彼の口癖は「現場に行ってごらん」。こちらが不甲斐ない仕事ぶりだと「そんなことじゃ、世界の大記者にはなれんぞ」と言われたこともあった。育ててやろうという思いを感じていた。
彼の言う通りにした。夏休みは練馬ナンバーの愛車で、県内各地を回った。島根は東西に長く、高速道路が行き渡っていない。松江は東の端の方なので、西の端の津和野まで行った時は4時間くらいかかった。
だが、その夏休みに県内各地を回ったことが、島根で勤務した3年半に活かされた。現場主義を徹底するようになり、その土地、その土地の人たちの息づかいを伝えることができた。たまに東京や大阪への出張もあったが、いつからか出張先から松江駅や出雲空港に降り立つと「ああ、帰ってきた」と思うようになっていた。離任の際、島根版のコラムで書いた。
「縁もゆかりもない土地で、記者生活のスタートを切った。以来約3年半。行き詰まって放心した宍道湖のほとりは思い出だ。でも、そんな自分を支えてくれた島根の友人や先輩たちは、ただの思い出ではなく財産だ」
ローカルネットメディアの芽吹き
メディア激動研究所の井坂公明さんが昨日、「離島で行政を監視する市民メディア『屋久島ポスト』」を研究所のサイトに掲載した。
屋久島ポストは、2021年創刊のネットメディアだ。町幹部の出張旅費の不正や、交際費を無駄遣いする町長を追及。町長は交際費で、国会議員に屋久杉で作った10万円の万年筆を送っていた。行政を監視する役割をしっかりと果たしている。
屋久島には、2024年3月末に南日本新聞が常駐記者を引き揚げてから、マスメディアの記者が常駐していない。屋久島ポストがジャーナリズムの命綱だ。取材は6人の「島民記者」が支える。
共同代表の武田剛さんとは先日、たまたま東京地裁で会った。元共同通信記者の石川陽一さんが、共同通信を訴えた「報道の自由裁判」を傍聴しに来ていた。
武田さんは、朝日新聞の写真記者だった。早期退職後、屋久島ポストを立ち上げたのだが、財政基盤が弱い。記者たちは他の本業や年金で暮らすボランティアで、武田さんは貯金を取り崩して暮らす日々だという。私もTansaを創刊した当初は同じ状況だったので、他人事とは思えない。生活費や取材費で、お金が出ていくばかりの日々は不安なものだ。眠れない日もあった。
それでも武田さんが踏ん張っているのは、地方の現場でジャーナリズムの火を灯し続けたいからだ。井坂さんの記事の中で語った言葉が胸に響いた。
「新聞各社は今、記者の数がどんどん減っている。そんな中で自社だけで全てを取材するという従来の姿勢では、地域に埋もれた重要な問題を放置することになる。『ニュース砂漠』を少しでも減らすために、市民メディアや独立系ネットメディアと連携してほしい。全国紙はたとえ(支局の)記者が1人になっても全国取材網の灯は消さないでほしい。そしてカバーしきれない情報を市民メディアから拾い上げ、重要であれば全国紙として取材・報道してほしい」
井坂さんの記事の中では、地方で奮闘する新興のネットメディアとして、「ニュース『奈良の声』」(奈良県)、「NEWSつくば」(茨城県つくば市・土浦市)、「WATCHDOG」(滋賀県大津市)、「News Kochi」(高知県)が挙げられている。Tansaは、地域に根を下ろしたメディアと連携していく。自分たちも東京に留まることなく、どんどん出張する。
ただし、資金に行き詰まれば初志を貫徹できない。せっかくの地方での芽吹きを生かし、ニュース砂漠を食い止めるため、寄付などでぜひ応援してほしい。

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