編集長コラム

親に打ち明けられない子のとりで(186)

2025年11月15日12時33分 渡辺周

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私が通った幼稚園では、昼食は自宅から持参する弁当だった。昼休みに教室で、みんな一緒に食べる。

ある日、弁当を食べているとクラスメートの女子が私のところへやってきた。手にはお茶の入ったやかんを持っている。

彼女は、おもむろに私の弁当にお茶を注ぎ始めた。弁当はどんどんお茶漬けになっていく。弁当箱の中で、おかずや米が浮遊する。あっけにとられ、彼女がお茶を注ぐのをただ眺めていた。

彼女に何か嫌なことをした覚えは全くない。私は当時、今ではその面影は全くないが、見た目が女の子みたいだとよくいじめられていた。やんちゃな男子たちに、口の中のガムを投げつけられたり、長い髪の毛を抜かれたり。私はおとなしい性格だったから、抵抗できずにされるままだった。弁当のお茶を注いだ彼女も、ちょっといじめてやろうかと思ったのかもしれない。

さて、お茶漬けになった弁当をどう処理するか。

私はそのまま完食した。もしお茶漬けになった弁当を家に持ち帰った場合、母が心配すると思ったからだ。仕事が忙しい中で母が作ってくれた弁当を、そんな状態にされてしまった自分が恥ずかしくもあった。

中川七海が、来週木曜から「保身の代償~長崎高2いじめ自死と大人たち~」の「学校編」を始める。学校編を始めるにあたり、中川が書いている。

学校という閉ざされた空間で「いじめ」が起きたとき、子どもを預かる教育機関は、「絶対に子どもを守る」と断言できるでしょうか。

私は、断言できる教育機関はほとんどないと思います。

私も学校は子どもを守れていないと思う。

しかし学校は、子どもを守る上で極めて重要だ。自分がいじめられていることを、親に打ち明けられない子どもが多くいるからだ。打ち明けないどころか、心配をかけまいと努めて平静を装う子どももいるから、家庭では発覚しにくい。いじめの現場である学校で、子どもたちをよくよく観察し、もしいじめがあれば全力で対応することが必要だと思う。学校は子どもを守る「とりで」だ。

中川が「学校編」を始めるに書いた文章の中で、ハッとする一節があった。

私たちは皆、「いじめ」を経験しているはずです。いじめる側、いじめられる側、いじめを目撃する側の、いずれかに当てはまりませんか。しかし多くの人は、時とともに学校を去ります。気付かぬうちに学校でのいじめが「他人事」になります。

学校を去って長い時間が経ち、私もまた学校でのいじめが「他人事」になっていた。成長するにつれ、様々な出会いのおかげで心身ともに強くなり、幼稚園児の時のような泣き寝入りはなくなった。

だが、自分のつらい時間は過ぎたから、もう何もしなくていいわけがない。いじめた人、傍観した人も過去のことで済ませていいわけがない。

「学校編」は、そのことを考えずにはいられない連載になるはずだ。

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