NGO「国境なき記者団」(本部パリ)が、2024年度の「報道の自由度ランキング」を発表した。
日本は70位だった。2023年度は68位で、2022年度は71位。低ランクが定着している。
国境なき記者団の総評。
「議会制民主主義国家の日本は、一般的にはメディアの自由と多元主義の原則を尊重している。しかし、伝統的な利害、ビジネス上の利害、政治的圧力、ジェンダー不平等が、権力監視の『番犬機能』を、ジャーナリストが完全に果たすことをしばしば妨げている」
この評価は、日本のマスコミ各社に向けられたものだ。日本のメディア状況について、次のように説明している。
「日本では、伝統的なメディアの方がネットメディアよりも影響力がある。主流の新聞とテレビ局は日本の5大メディア・コングロマリットによって所有されている。読売、朝日、日本経済、毎日、フジサンケイである。読売は620万部、朝日は360万部で世界最大の新聞発行部数を誇っている。NHKは世界で最も大きな公共放送局の一つである」
評価がマスコミを対象にしたものであるならば、国境なき記者団が押さえておくべき点がある。
それは、マスコミは権力と一体であるということだ。政府や大企業など「権力」と、それを監視するメディアが対峙する構図になってはいない。「番犬の機能を果たしていない」のではなく、そもそも番犬ではないのだ。
例えば、記者クラブは「官庁の広報機関」と疑いたくなる制度だ。記者クラブ発の報道は「大本営発表」を思い起こさせる。
新聞には消費税の8%の軽減税率が適用されている。食料品以外で8%なのは新聞だけであり、露骨な特別待遇だ。
ギョッとした『天声人語』
Tansaのメンバー一同が、ギョッとしたコラムがある。
今年2月17日付の朝日新聞『天声人語』だ。
刑務所や拘置所に収容されている人を、これからは名字に「さん」をつけて呼ぶと法務省が公表した。名古屋刑務所での刑務官による暴行事件を受けた改革だ。この日の天声人語では、呼び方一つに相手とどう向き合うかが表れると説いた。
趣旨は理解できるが、驚いたのは冒頭の導入部分だ。
「最初に呼ばれたのは『記者さん』だった。初任地で警察署を担当したころの話である。新人だから名無しでも仕方ないか。めげずに毎日通っていると『朝日さん』になった。どの社の記者なのかが認識されたわけだ。ようやく名前を覚えられると、名字に『ちゃん』がついた」
警察を取材する記者の役割は、警察がその権限を濫用していないか、公正で十分な捜査を行っているかを監視することだ。警察に気に入られることではない。
だがこの天声人語は、新人記者だった筆者が「ちゃん」づけで呼ばれて喜んだとしか読めない。あの時は喜んだが、ベテランとなった今は軽薄だったと反省している。そうとも読めない。
なぜ警察は「ちゃん」づけで呼んだのか。
筆者は「相手をどう呼ぶかとは、その人とどう向き合うかだ」と書いている。警察は、自分たちの仲間として向き合うことにしたのだろう。
怖いのは、権力に絡めとられていることに、本人は気づかないことだ。気づいていたら、警察官に「ちゃん」付けで呼ばれたエピソードをコラムで書かないだろう。悪気なく権力の一員になっていく。マスコミには、そういう人が多い。
マスコミを取り込んだ権力は恐ろしい。同じ「権力ムラ」の中にあっても、ムラに迷惑をかけると判断された者は、村八分にして徹底的に叩く。マスコミは「水に落ちた犬を叩く装置」としてフル稼働する。それは「権力監視」ではなく、「権力濫用」だ。
このままでは、あんまりだ。
Tansaの仕事の積み重ねと、闘うメディアの勃興で、国内外が「日本の報道の自由が向上した」と認める。
そういう日が来るように、私たちは奮闘を続ける。
「国境なき記者団」のウェブサイトより
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