編集長コラム

「裸の王様」への特別功績金43億円(114)

2024年06月01日15時34分 渡辺周

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2022年6月2日午前9時前、高級車のセンチュリーが兵庫県内の高級住宅街に滑るように入ってきた。横付けしたのは、ダイキン工業の会長・井上礼之(のりゆき)氏の自宅前だ。

スーツ姿の運転手は、車を降りて直立不動で井上氏を待つ。紺色のセンチュリーは、ピカピカだ。白ナンバーなので、社有車なのだろう。

ほどなく、井上氏が自宅から出てくる。紺色にチェックの模様が入ったスーツを身にまとっている。Tansaの中川七海が、スッと距離を詰めて声をかける。私は2人のすぐ近くからスマホで撮影している。だが井上氏は気にしない。

中川は名乗った上で、Tansaのパンフレットを渡した。井上氏はパンフを受け取って表紙を一瞥する。

「知らんな」

大阪府摂津市にある淀川製作所が原因のPFOA汚染については、日本で最悪のPFOA汚染として、散々Tansaが報じている。広報とのやりとりもしてきた。それでも知らないのは、井上氏の部下たちが耳に入れていないのだ。私はそう思った。まさに「裸の王様」である。

中川は「淀川製作所の、PFOAの汚染について聞きたい」と切り出した。井上氏が答える。

「ああ、はあ、はあ。うちに関連する役員がいるので」

井上氏は、PFOAの件を担当する役員に取材するよう水を向けた。中川はひかない。

「井上さんに、おうかがいしたいんです」

中川が井上氏に直接取材したいのは、彼がダイキンの最高権力者であるという理由だけではない。淀川製作所が引き起こしたPFOA汚染について、井上氏が最もよく知っているはずだからだ。

井上氏は同志社大学を卒業後、1957年にダイキンに入社。配属されたのは、淀川製作所だった。その後、1970年代には淀川製作所の副所長を務めた。この時に製作所内にできた「地域社会課」の責任者も兼任した。同課は、有毒ガスの発生など淀川製作所による公害が重なったため、地元住民とのコミュニケーションを取る目的で新設された。地域住民を招待する盆踊り大会を考案したり、低価格の飲み放題バスツアーを実施したりした。

社長に就任したのは1994年だ。2000年前後には、米国でPFOA汚染の問題が深刻化し、その危険性が世界中で知られるようになった。井上氏はそれ以降も約20年にわたりダイキンのトップを務めたことになる。

井上氏は公害の現場を熟知した上で、ダイキンとしてのPFOAに対する意思決定ができる立場にいた。

王様の座」を降りる人になぜ?

直接取材を迫る中川に、井上氏は特に警戒していないようだった。腰をかがめて中川の言葉に耳を傾ける。

「そしたらね、本社行って、秘書のね、秘書室にミナミという部長がおりますんで、そこへ電話してくれますか。12時ごろに電話していただいたら。私の名刺をわたしとく。ここが電話番号です」

中川は言われた通り、正午に井上氏が指定した番号に電話をかけた。秘書部長のミナミ氏が応じた。

「井上から指示を受けてまして。この件に関しては弊社の担当役員から回答するように指示が出てるんです。調整は広報としてください」

話が違う。以下のような事情だろう。

井上氏が本社に出社し、Tansaが自宅に来たことを秘書部長のミナミ氏に伝えた。部下たちは、「Tansaの取材なんか受けたら会長に傷がつく」と井上氏を守ったーー。

それから2年。89歳の井上氏は、ダイキンの取締役会長を6月で退くことになった。オーナーでもない叩き上げの人物が、30年間にも渡ってトップに君臨したのは驚きだ。

だがもっと驚くのは、ダイキンが井上氏に対し、特別功績金として43億円の支払いを決めたことだ。マスコミ各社が報じた。6月27日の株主総会で承認を得る予定だという。

特別功績金を支払う理由は「海外展開などにより、企業価値の著しい向上に多大な貢献を果たした」。社外取締役で構成する委員会が2019年から9回の審議を重ね、支給を決めたという。

PFOA汚染の問題は、収束するどころか拡大している。この状況で、それまでも年間億単位の報酬があった井上氏が、さらに43億円の功績金を得るなど常軌を逸している。

不思議なのは、井上氏は「王様」の座を降りる人だということだ。彼の権力に怯える必要はもうないだろう。

それでも井上氏に「贈り物」をするのは、ダイキン全体が「裸の王様化」していると言わざるを得ない。自分たちが外からどう見られているか分かっていない。

ダイキンを裸の王様にしている大きな要因は、マスコミ各社にある。

井上氏への特別功績金のことを報じたのは、日経新聞、産経新聞、読売新聞、共同通信とその配信を受けた毎日新聞や地方紙各紙だが、記事の中でPFOA汚染のことは一切触れていない。

朝日新聞は5月21日、ダイキンの100周年記念式典での井上氏のスピーチを取り上げた。見出しは、「ダイキン中興の祖が語った成功の秘訣『企業経営で肝に銘じなければ』」。そこで読み取れるのは、「裸の王様」とは真逆の名経営者、井上氏の姿だ。一部引用する。

風通しの良い、フラットな組織をつくることの重要性にも言及し、「組織から言葉を奪えば、間違いなく衰退に向かう。企業経営ではこれを肝に銘じなければならない」と強調した。

血液検査後に寄付していく住民たち

汚染地域の住民は、中川に怒りの声を寄せる。

「地域の要望書を無視しているダイキンが、43億円の功績金を井上会長に支払うのはどういうことでしょうか。マスコミの報道は市民の声をもっと掲載するべきです」

京都大学の研究者や医師らの有志は、大阪府内で住民を対象に血液検査を実施している。体内にPFOAを取り込んでいないかを調べるためだ。

ダイキンはこれまで、汚染地域の住民から血液検査の実施を求められているが応じていない。大阪府は淀川製作所が主な汚染源だと認めているにもかかわらず、ダイキン自身は認めていないからだ。

検査には1人あたり2万7500円かかる。1000人の疫学調査を目指しているので、検査会場や書類作成の費用等を含めると3000万円に及ぶ。検査と分析を担う京大の研究費だけでは足りず、資金の確保に苦慮している。検査を受けた人の多くが、寄付をしていってくれるという。

井上氏は検査会場に顔を出してみるといい。次に対面する際は提案してみようと思う。

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