早稲田大学在学中に労働経済学のゼミに参加していた。ゼミとは少人数で学ぶ授業のことで、私はそのゼミの2期生。当時は、伝統ある有名ゼミと比べるとのんびりしていた。
ところが年を経るに連れて、学内で人気ゼミとなっていく。理由は、卒業生たちが就職活動で大手企業や省庁に続々と入っていくことにあった。「就活に強いゼミ」という評判が定着していた。
卒業して10年ほどした時のこと。ゼミのOB・OG会に出席してゲンナリした。現役のゼミ生が主催したその会は、高級ホテルで開かれた。受付にはスーツを着た学生たちが、「2期生の渡辺様でございますね」と出迎える。学生が名刺を持っている。私が卒業した年のOB・OG会場は、高田馬場の安居酒屋。学生も卒業生もラフな格好だった。
卒業生たちのスピーチは、いかに自分が活躍しているかの自慢話がほとんど。私は自分の番が回ってきた時に言った。
「卒業生が自分の活躍を披露し、学生が就活に活用するようなゼミにはならないでほしい。学生時代の仲間がいいところは、自分がうまくいってなくても『あの時の仲間なら』と話ができること。活躍している人が元気なことは自然と耳に入ってくるのだから、うまくいっていない人が集えるOB・OG会にしてほしい」
実際、私の同期生でその時うまくいってなかった友人がいた。「OB・OG会には行きたくない」と言うので、ごく親しい仲間内だけの2次会で合流した。OB・OG会に来られない卒業生の存在に気づいた人が、あの会の参加者でどれほどいただろうか。
関生支部が喜びを爆発させた理由
2月26日、生コン産業の労働組合「関生(かんなま)支部」の湯川裕司委員長に、京都地裁が無罪判決を出した。冒頭で川上宏裁判長が「無罪」と言った時、法廷からは歓声が上がった。2時間余りの判決文読み上げが終わり、閉廷する際には拍手が起きた。関生支部の組合員や支援者は、互いに握手し、湯川委員長を抱きしめる人もいた。いい意味であんなに騒がしい法廷取材を、私は初めて経験した。
しかし、あの判決は当然だ。むしろ、物足らない。
事件は警察と検察のでっち上げであり、罪に問うことは労組活動を保障する憲法28条に反する。検察が懲役10年も求刑するのは権力濫用も甚だしい。川上裁判長には憲法28条に反するということを明言し、警察と検察の不当捜査に切り込んでほしかった。
それでも関生支部の組合員にしたら、歓喜の瞬間だった。なぜか。
世間の安全地帯にいる人たちは、関生支部の組合員たちの真の姿に気づくことなく、彼らを追い詰めた。「関生支部は反社会的勢力」のレッテルを貼った捜査当局の嘘を、そのまま流すマスメディアの報道や、SNSでの罵詈雑言を受け入れた。「関生支部はそういう人たちの集団なのね」と気にも留めなかった。
裁判所という公的機関が、偽りのレッテルを払拭してくれたのだから、喜びを爆発させるのは当然だ。
疾走の危うさ
ならば、私自身はどうなのか。気づかずに誰かを追い込んだことはないのか。
何度かある。
大学生の時、予備校で浪人生を対象に進学相談のアルバイトをしていた。生活費の足しにする目的はもちろんあったが、掛け持ちしていた他のアルバイトに比べて、あの仕事には思い入れがあった。
私は新聞奨学生として、配達所に住み込んで予備校に通った。同様に、新聞奨学生として大学受験する予備校生が当時はかなりいた。仕事をしながら受験勉強をすることは、他の受験生に比べれば、かなり不利な条件だ。それでも、志望校に合格できるという希望を持ち、実際に合格する。経験者として、その手伝いをしたかった。「困窮していても負けるな」というエールを送りたかった。
ある新聞奨学生の女子生徒が、春先から私のところへ相談に来るようになった。毎回、私は彼女に勉強方法や計画の立て方をアドバイスすると共に、新聞奨学生だって志望校に合格できるんだぞと励ました。その度に彼女は「アドバイスを実行します! 」と元気いっぱいになった。
ところが、夏から来なくなった。なんでだろう、順調で相談の必要もないということならいいけどなと思いながら時が過ぎた。
受験シーズンが終わり、彼女から私宛ての手紙が予備校に届いた。
「心身共についていけず、地元に戻りました。いろいろとアドバイスいただいたのに申し訳ありません」
私は自己嫌悪に陥った。
確かに自分は新聞配達をしながら志望校に合格した。猛烈に努力した。だがそれは、様々な条件に恵まれた結果でもある。
まず私には体力があった。睡眠時間を削って勉強時間を捻出しても耐えられたし、年間を通して風邪をひくこともなかった。何より、新聞販売店の人たちが応援してくれた。店長夫人は月1万円で私の夕食を毎日作ってくれた。夫婦と2歳の娘の分を確保すると、あとは「おかわりができるように」と鍋ごと私に持ってきてくれた。そういう暖かい雰囲気に満ちていた。
一方で彼女はそんなに体力はなかったと思う。住み込んでいた販売店の雰囲気も悪かったようだ。
それにもかかわらず、「自分ができたからやれるはずだ」と彼女を追い込んでしまった。確かにそう言われると一時的には元気になる。だがアドバイス通りにできなかった時に負い目に感じてしまい、彼女は私から足が遠のいたのだと思う。フルスロットルでアドバイスするのではなく、その通りにできなかった場合でも相談に来られるよう、ある程度の「逃げ道」を示しておくべきだった。
Tansaは理想を実現するために創刊した。この8年、万難を排して疾走してきた。8年が2、3年くらいに感じる。
でもだからこそ、「気づかない人」になる危うさをはらんでいる。時には立ち止まって、周囲に目と耳を凝らすことが大切だと思っている。

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