程度の差はあれ、誰もが少数派の側に身を置いた経験があるだろう。
私は小学校3年生の時、初めてその体験をした。
当時、近所の友だちグループと遊ぶことが多かった。野球やサッカーをしたり、秘密基地を作ったり。登下校もみんなでワイワイ。学校で過ごす時間以外は、ほとんど一緒にいた。
やがてそのグループは、5年生のA君をいじめるようになった。A君は病弱で運動があまりできない。活発な少年たちにはついていけない。サッカーではあまり動かなくてもいいキーパーをしたが、それも下手だということでいじめ始めた。容姿もからかった。いじめの中心は6年生のB君。ガキ大将的な存在だった。
私の中で怒りが募っていった。ある日、下校のために校門で待ち合わせていたグループに告げた。
「A君をいじめるならもう一緒に遊ばん」
その場にはA君もいた。私はA君の手を引いて「行こう」と、そのグループから連れ出した。
A君と2人きりで過ごす日々が始まった。A君は激しい運動ができないので、プラモデル作りや野球盤で遊んだ。
だがすぐに行き詰まる。私は野球盤が下手だし、プラモデルも苦手だ。A君は「付き合わせて申し訳ない」という感じになる。私はA君にそんな風に思わせることが心苦しかった。
居場所もなかった。家にいると、姉が外でサッカーをしている少年たちの声を聞いて「まこ、みんな外で遊んでるよ。行かないの?」と尋ねてくる。自分で選んだこととはいえ、仲間外れになっていることを知られたくない。何より心配をかけたくない。A君と近くの物置に行って、飛行機のプラモデル作りに取り組んだ。
これは限界だと判断し、「向こう側」のグループにいる友だちを、一人、また一人と説得した。私とA君の側で遊ぶ友だちが増えて、最後はガキ大将のB君だけになった。ここでB君を仲間外れにすれば、私とA君が体験した孤独がB君を待っている。「もう、いじめるのはやめようね」と釘を刺して仲直りした。
中途失明者が抱いた希望
視覚障がいがある人のための、白いつえの製作所を取材したことがある。18年前、朝日新聞の浜松支局にいた時だ。
この製作所の特徴は、中途失明した人が自ら製作を担っていることだ。
工具職人だった男性は、45歳で失明し職人を辞めた。8年間、家に閉じこもる日々を送った。
ふさぎ込んでいる彼を、製作所の所長が「たばこでも吸いに来んか」と誘った。以来、白いつえ作りに励むことになった。
当初は苦労した。「目が見えていたらこんな仕事、わけないのに」と苛立った。
それでも「四六時中、素材と製品を触って感覚を養う」ことで、寸分のくるいもなく白いつえを作り上げることができるようになった。「昔は先輩の技を『目で見て盗んだ』もんだけどそれができんもんで」。彼が冗談を言いながら、見せてくれた笑顔が忘れられない。
元植木職人の男性は52歳で失明。子どもが2人いる中での失明で不安な日々だったが、白いつえの製作所で希望を見出した。製作所のノウハウは、所長がミャンマーの盲学校で技術指導するほどになっていた。国境を越えて白いつえが広がる。そんな希望を彼は持っていた。
「ここに来て自分も何かの役に立ちたいとずっと思っていた。身につけたことが伝わるなんてうれしいね」
いつ、何がきっかけで少数派の側に身を置くか。誰にもわからない。少数派を排除するなどもってのほかだ。大切なのは、同じ輪の中で生きることだ。
私が参政党を許せないのは、少数派を排除することで多数派がまとまるという思想があることだ。

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