19歳の時、特攻隊員の手記『きけ わだつみのこえ』(岩波書店)を初めて読んだ。
当時は新聞配達所に住み込む浪人生。受験勉強と新聞配達の合間を縫い夢中で読んだ。
慶應義塾大学経済学部の上原良司の手記が、心に刺さった。
「人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つ」
自由主義者としての信念を貫いたことに、心からの敬意を抱いた。享年22歳。同時に、自分と年齢が三つしか違わない人の無念を思った。信念とは反する国で死を強いられたからだ。
それから30年余り。私は51歳となり、『きけ わだつみのこえ』を読み返した。当時とは違う気持ちが湧いてきた。
特攻隊員と同時代の「大人」たちへの怒りだ。
特攻隊員に出撃を命じたのは、年配の上官たちだ。特攻作戦を容認した政治家、天皇も何十歳も年上だ。なぜ、未来ある若者を死地に向かわせて自分たちは安全な場所にいるのか。
私は今、Tansaで若者たちと仕事をしている。皆、特攻隊員たちと同じ年頃だ。
自分に置き換えた時、Tansaの若者たちに「特攻に行ってこい」と命じることができるか? できるわけがない。そんな状況は絶対に阻止しなければならないし、意味のない仮定かもしれないが、もしTansaから誰か命を差し出さければならない状況になれば、私が行く。東京電力福島第一原発事故の後、高齢者で「暴発阻止行動隊」を作る動きがあったが、未来ある若者を守ろうとする気持ちは自然の情だろう。
しかし、当時の年配者たちは若者を犠牲にした。「英雄」だの「軍神」だのと称賛したのは、自責の念を軽減するための姑息なやり方だ。大人の悪知恵である。
海軍の大西瀧治郎中将は、特攻作戦を最初に指揮した。終戦の翌日に割腹自殺した。最後の夜、友人に言った。「いかに国家のためとか、敗けられぬと考えたにせよ、見事ないい若者を特攻隊で殺して、自分ながら救われないね。無限地獄に堕ちるさ」。偽りのない心境だったろう。
知覧特攻平和会館をTansaのメンバーたちと訪れたところ、来場した多くの大人が泣いていた。泣くな、怒れと言いたい。
特攻隊員に感謝する大人も多い。「軍神」と崇めて若者に命を差し出させた当時の大人たちと同じことを繰り返している。
現代に生きる大人がしなければならないのは、同じ犠牲者を絶対に出さないよう、怒り、闘うことだ。闘いは日常の中にある。おかしいと感じたことを、周囲に流されず勇気を出して声を上げるのだ。
個々の日常での闘いを怠ると、同調圧力という「空気」に支配され、社会が暴走する。戦前は主権者だったはずの昭和天皇でさえ、戦時中を「勢いに引きずられてしまった」と振り返っている。

特攻隊員たちが出撃前に寝起していた「三角兵舎」。知覧特攻平和会館で復元されている=2025年8月13日、渡辺周撮影
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