村山富市氏がきのう、101歳で亡くなった。
社会党の委員長だった村山氏は、1994年6月に首相に就いた。自民党、新党さきがけとの連立政権だった。
それから30年あまり。高市早苗氏が総裁の自民党は今、日本維新の会と連立政権の協議を進めている。自民党のなりふり構わない権力への執念は相変わらずだが、そこに連なる政党は一変した。隔世の感がある。1996年に改称した社民党は、今や風前の灯。衆議院1議席、参議院2議席で、政党要件を維持するのが精一杯だ。
社民党の政治家を取材する中で、感銘を受けた人物が3人いる。出会った順に紹介する。
まず土井たか子氏。2003年の衆院選で取材した。
土井氏はそれまで、兵庫7区(西宮市、芦屋市)で圧倒的に強かった。しかし、2003年の選挙は大きな批判を受けた。日本人の拉致問題で社会党が北朝鮮寄りの対応を取ってきたことに加え、秘書が秘書給与を流用した事件が発覚したからだ。自民党は安倍晋三幹事長や山崎拓副総裁が兵庫7区に入り、土井氏に対抗する自民党の候補者を後押しした。山崎氏は土井氏のことを「腐っても鯛」と評し、自民党サイドを引き締めた。
選挙最終日の土曜日。土井氏はすでに選挙情勢の報告を側近から受けており、落選すると知っていた。だがいつものように護憲を訴えて回った。
最後の演説会場は阪神西宮駅前。前座として、初当選から土井氏の選挙を支えてきたメンバーたちが、交代でマイクを握った。土井氏は夜空を見上げ聞いている。次第に目が潤んでくる。記者の私は土井氏の目の前にしゃがみ、「涙を流したら写真を撮ろう」と固唾をのんだ。
だが、いよいよ土井氏の出番が来た時、土井氏の目からスッと潤みが消えた。朗々と護憲の重要性を語った。
選挙中、土井氏に「なぜ政治家になったのか」と他社の若手記者たちと尋ねたことがある。すると「あなたたちは、なぜジャーナリストになったの? あなたたちの先輩には、私があこがれるようなジャーナリストたちがいますよ」と逆質問された。
土井さんにとって、あこがれの政治家はいたのだろうか? 再質問すれば良かったと後悔している。
米国とガチンコでやり合った村長
2人目は山内徳信氏だ。1974年から98年まで沖縄県の読谷村長。県出納長を経て、2007年から13年まで社民党の参院議員を務めた。
山内氏は読谷村長時代、村の74%を占めていた米軍基地を47%にまで削減させた。米軍の補助飛行場内に、敷地を共同使用するという体裁で、村役場や野球場を建設。米軍の懐に飛び込んで闘うという手法を取った。村内での米軍施設の建設計画を止めるため、ジミー・カーター大統領に手紙を書いたこともある。
私が山内氏に会ったのは2005年。当時は参院議員になる前で、神戸市内に講演にやって来た。山内氏の話に引き込まれ、講演後に取材をしようとあいさつした時のことだ。山内氏が開口一番、私に尋ねた。
「渡辺さんは何年生まれですか」
何のこっちゃと思いながら答えた。
「1974年生まれです」
すると、山内氏は私をマジマジと見つめて言う。
「あぁ、あの時の赤ちゃんが」
その時は意味不明だったが、後で山内氏の経歴を調べて気づいた。山内氏が高校の教師から読谷村長になったのも1974年だった。山内氏にしてみれば、自分が政治家として歩み始めた時に生まれた赤ん坊が、こうして自分の前に現れて取材をしている。そのことが感慨深かったのではないだろうか。
Tansaを創刊してから、山内氏の『民衆の闘い「巨象」を倒す』(創史社)を買った。愛読書になっている。
ニーメラーのメッセージ
3人目は、大椿ゆうこ氏だ。2023年から参院議員を務めたが、今夏の選挙で落選した。
大椿氏は、非正規雇用の人を正社員にする政策の実現を目指している。自身も政治家になる前は、非正規雇用で雇い止めに遭った経験がある。
国会では、弾圧を受けている労組「関西生コン支部」について質問。無罪が確定した判決が相次いでいることに関し、警察庁の刑事局長から「真摯に受け止める必要がある」という反省の答弁を引き出した。
山口県宇部市の海底にあった長生炭鉱の遺骨収集、返還に向けても尽力している。この炭鉱では、1942年に落盤事故が起き183人(約7割が朝鮮人)が死亡。市民団体が懸命に海中の遺骨収集に取り組んでいるのだが、大椿氏は政府が動くべきだと国会で追及した。石破首相は大椿氏に「政府が危険を承知しておきながら自己責任というわけにはいかない」「現地視察をちゅうちょすべきと思わない」と答弁した。
大椿氏の特徴は、窮地にある少数派の側に立って仕事をすることだ。票にはなかなかつながらない。それどころか、ヘイトスピーチに遭う。落選した7月の参院選中には、ネット上で殺害予告まで受けた。踏んだり蹴ったりだ。
その一方で、排外主義を煽る参政党は7月の参院選で躍進した。
来週の国会での首相指名をめぐっては、高市氏から神谷宗幣代表が協力を要請された。自民、維新の両党合わせても過半数には届かないからだ。
きょうの朝日新聞によると、神谷氏は高市氏との会談後に「高市氏から参政党とは政策が近いと言っていただいた」「高市さんが首相になれば、日本は少し良い方向に向くかなという期待はある」と語った。まんざらでもなさそうだ。
このままでは早晩、高市自民党、神谷参政党が象徴する「戦前回帰勢力」が、日本社会を一色に染め上げる。日本社会が一つの方向性にまとまる時のスピードは、戦前に証明済みだ。
次の解散総選挙で、政治に無関心だった有権者が危険を察知し、自分ごととしてこの流れを止めないと、もはや引き返してこられないのではないか。
ジャーナリストの竹信三恵子さんは、著書『賃金破壊』(旬報社)の中で、ドイツの宗教家・マルティン・ニーメラーが、ナチスの迫害について語った言葉を引用している。『賃金破壊』は、関生支部の労働運動への弾圧を取り上げた本だ。
ナチスが共産主義者を連れて行ったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が投獄されたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を連れて行ったとき、私のために声を上げる者は、誰も残っていなかった。

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