編集長コラム

「ジャーナリズム・ベンチャー」として(207)

2026年03月28日14時30分 渡辺周

東京新聞の記事に苦笑してしまった。

反貧困ネットワークが主催する「貧困ジャーナリズム大賞」を、Tansaが受賞したと報じる際、Tansaを「調査報道グループ」と説明していた。

「探査報道」を「調査報道」と呼ぶのも引っかかるが、Tansaのことを「グループ」と表現するところに「サークルか何かと勘違いしている?」と違和感を覚えた。Tansaは「グループ」ではなく、「組織」だ。東京新聞に比べれば小さな組織だが、専従メンバーが5人、4月から6人になる。

組織でジャーナリズムを実践していくために、私はTansaを立ち上げた。

朝日新聞が窮屈で退屈だったから退社したことは事実だ。だが、それだけならばフリーランスとして個人で活動すればいい。わざわざ組織にしたのは、理由がある。

一つは、次世代のジャーナリストを育成すること。日本には本格的なジャーナリズムスクールがない。新聞社など大手マスコミは凋落に伴い、育成を担えなくなっている。このままでは早晩、本来の役割を果たせるジャーナリストは「絶滅」する。

もう一つは、寄付モデルを軸に市民とともに歩むジャーナリズムのあり方を確立すること。寄付者は「お客様」ではない。共に社会を築く「仲間」としての関係を築くことで、これからのジャーナリズムを創り上げることができる。明治に新聞から始まった「マスコミ体制」は150年を経て、終焉を迎えようとしている。Tansaは時代の狭間の「ジャーナリズム・ベンチャー」として、次の150年の礎を築くのだと本気で思っている。

ただ、壮大な目標に向かって遠くを見遣っても、足元に目を向ければ石ころだらけだ。

当初は給料をまともに出せなかった。

辻麻梨子は東洋経済で、中川七海は日刊現代でそれぞれ生計を立てた。Tansaとの兼業を認めていただいた東洋経済と日刊現代には、本当に感謝している。

昨年加入した千金良航太郎と、この4月からTansaに加わる新メンバーは元Tansaの学生インターンだが、卒業後は毎日新聞と朝日新聞に入社した。2人はTansaに就職したかったが、資金がなくて当時は迎え入れることができなかった。送別会で2人が号泣した時、私は自分の無力さに胸が詰まった。

しかし、そういう経験を経たことで、ジャーナリズム・ベンチャーとして随分とたくましくなってきた。

今週の火曜日、私たちは中期経営計画会議を開いた。

今後10年の経営計画について話し合う会議で、3カ月に1回開催している。様々なデータや失敗と成功、社会情勢を勘案しながら、目標への進捗確認や修正を行う。Tansaは仕事の性質上、家族を心配させることがあるので、それぞれの家族にどう安心してもらうかまで話し合う。

この会議で私が嬉しくなるのは、数値目標や改善事項、新規の活動まで各メンバーが自発的に提案するということだ。もちろん最終責任者は私だが、全員がTansaの将来を「自分事」としてとらえ、「経営者」として会議に臨む。

組織の個々人が、日々に足跡を残す。その積み重ねがやがて大きな成果として実る。私たちはこの冒険に没頭している。

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